第1話

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第1話

 窓外の小鳥の囀りで目覚めた霧島(きりしま)は目覚まし時計が鳴り出す一分前にアラームを解除し、年下の恋人が目を覚まさないよう静かにダブルベッドから滑り降りた。  切れ長の目を振り向けると愛しい京哉(きょうや)はブルーの毛布にくるまり眠っていて起きる気配は微塵もない。  あどけないような寝顔は却って昨夜の激しさを思い出させ、霧島の朝の生理現象を加速させて今からでもちょっかいを出したくなったが、ここは我慢する。  殆ど偶然だったとはいえ大した美人を選んだものだと自分の審美眼を内心褒め称えながら取り敢えずバスローブを羽織った。  こうして京哉の寝顔を愉しむために一分だけ早起きする習慣が身について一ヶ月近くになる。  かつて京哉は非合法のスナイパーだった。その頃の名残から普段は自分を目立たせないアイテムであるメタルフレームの伊達眼鏡を掛けている。何も造作が悪化する訳ではないが印象は随分変わった。故に起きている間は素顔を見せないと云える。  だが霧島にとっても京哉が目立たないのは有難かった。  自分と違って京哉は女性がだめではない。お蔭で霧島は今まで何度も嫉妬に駆られてきた。虫がつかないよう出会って初めての誕生日にはペアリングを嵌めさせ、頑強に拒んでいた同居に持ち込み可能な限り行動を共にしてきたにも関わらずである。  何処にでも京哉への誘惑は潜んでいた。勿論互いに信じ合い、何より愛し合っている。しかし霧島自身プライドは捨て難く年上の余裕を見せたい思いが強い。  要は頼られたいのである。  京哉が内に秘めるタイプであるが故に余計に。  そんなことを考えながら鑑賞していると、小柄で華奢な身を包んだ毛布がもぞもぞ動き始めて霧島は寝室を出た。今週の食事当番は自分である。ギリギリまで京哉を寝かせてやるつもりでバスルームに向かい軽くシャワーを浴びると寝室で着替えた。  霧島(しのぶ)、つい最近二十八歳になった。  職業は警察官で県警機動捜査隊長を拝命している。階級は警視だ。この歳で警視の階級は最難関の国家公務員総合職試験を突破したキャリアだからである。更に国内外にあまたの支社を持つ巨大総合商社の霧島カンパニー会長御曹司でもあった。  警察を辞めたら霧島カンパニー本社社長の椅子が待っている。実父の会長や義母からは社に戻るよう説得・画策・陥穽などがたびたび仕掛けられるが、霧島本人は警察で現場のノンキャリア組を背負うことを何より望んで辞める気は毛頭ない。  あらゆる武道の全国大会で何度も優勝を飾っているほど鍛え上げた百九十近い長身をドレスシャツとオーダーメイドスーツのスラックスで包み、また京哉の方に目を向ける。  すると視線を感じたのか京哉が目を開けて上体を起こした。 「ん……あ、綺麗」 「何が綺麗なんだ?」 「忍さんの目……灰色がもっと薄い灰色で、綺麗」  窓から差し込む陽射しで霧島会長の愛人だったハーフの実母譲りの瞳が透けているらしい。けれど霧島は自分に見えないそんなものより、光を浴びた京哉の眩いまでに白い素肌に目を奪われる。そのまま押し倒したいくらい年下の恋人は綺麗だった。  鳴海(なるみ)京哉、二十四歳。職業は警察官で霧島の部下である。階級は巡査部長と優秀だ。更にスペシャル・アサルト・チーム、SAT(サット)の出張狙撃班員でもあった。狙撃班員になったのは京哉が元・非合法の暗殺スナイパーだったからだ。  自発的に始めたのではなく陥れられて、警察官をする傍ら五年間も続けていた。  警察学校で抜きんでた射撃の腕に目を付けられたのだ。  政府与党重鎮と警察庁(サッチョウ)上層部の一部に霧島カンパニーが手を組み作った、のちに暗殺肯定派と呼ばれる組織に亡き父の犯罪を捏造されて脅され、実行部隊の主人公に嵌められていたのである。  結局京哉はスナイパー引退宣言をして消されそうになったが、間一髪で霧島が部下を率いてなだれ込み命を存えた。それらの事実は一部のみメディアに洩れて霧島カンパニーも一時は株価が大暴落した。  だが何とか踏み留まって持ち直し、落ち着いた今は却って上昇傾向にある。  幸い京哉に関しては警察が全力を以て隠蔽したためにこうしていられるが。  そんな酷い目に遭ったのに何故か京哉は霧島会長と気が合い御前と呼んで親しんでいた。逆に息子の霧島はずっと以前から手段を選ばぬ実父を毛嫌いしクソ親父と罵倒するだけでなく、悪事の証拠さえ掴めた日には逮捕も辞さない構えである。  そんなハードな諸々は今、霧島の脳内に欠片も存在せず、思考の全てを占めるのは堪らなく色っぽい京哉のみだった。  霧島は一歩、また一歩と近づいてベッドにダイヴする。のしかかって組み敷こうとしたが京哉は毛布ごとサッと避けた。  デカい図体はシーツに落下する。 「京哉……私の京哉――」 「はいはい、貴方の京哉ですよ~、おはようございます」  キスのひとつも許さず京哉は昨夜脱ぎ捨てたバスローブをさっさと身にまとった。単にしっかり目が覚めたのだ。大体、ここでキスなどしたら年上の男がそれだけで終わらせてくれる筈もなく、仕事も何もかも吹っ飛んでしまうのは目に見えている。 「あっ、もう四十五分じゃないですか! 今日は生ごみの日ですよ、生ごみ!」
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