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第3話
「だから我が機動捜査課に外回りという仕事はない、ここで同報を待っていればいいのだよ。下手をするとホシより先に現着しているとはどういうことだね。一緒に危険に晒されるハイファス君の身にもなってみたまえ。大体キミのお蔭で管内の事件発生率は――」
「あー、はいはい、定時まで書類やりますから」
赤い増血剤とクサい胃薬を貪るように食いながらヴィンティス課長は泣き出しそうだった。その哀しげな色を湛えたブルーアイを見て見ぬふり、耳をかっぽじりながら愚痴というより泣き言を右から左に聞き流してシドは自分のデスクに着く。
もう『俺が事件をこさえてる訳じゃねぇ』などという科白も言い飽きていた。
今日の分だけでも結構な量の書類が溜まったのは事実で、連休を前に片付けるべく対衝撃ジャケットを脱いで椅子の背に掛けるとまずは煙草を咥えた。
そこにハイファが刑事部屋名物の通称・泥水コーヒーを持ってくる。
「ラッキィ、淹れたてだったよ。どうせこの一杯じゃ済まないけどね」
「おっ、サンキュ」
紙コップを受け取ると並んだデスクで書類に取り掛かった。
容易な改竄や機密漏洩の防止のために結局落ち着いたのが何と今どき書類の手書きというローテクだった。筆跡は内容と共に捜査戦術コンに査定されデジタル化されて法務局の中枢コンにファイリングされる。故に誰かに押し付ける訳にもいかない。
昔は事務支援ツールとしてのAIもあったらしいが、現代ではそういったモノはない。巨大テラ連邦は自由主義経済、純然たる資本主義社会だ。
人間主体の社会システムを維持し需要と供給のバランスを崩さぬためにヒューマノイドへのAI搭載、いわゆるアンドロイドは製造も使用も不可、ご禁制項目トップに挙げられている。
「始末書も一日に三枚ともなると、文章構成にオリジナリティが欠けてくるよね」
「俺は一週間分のパターンを作ってあるんだ。分けてやろうか?」
「課長の前で堂々とそれはないでしょう」
ハイファが現役軍人で別室員ということは軍機、軍事機密だ。前述の通り、機捜課でその事実を知るのはバディのシドとヴィンティス課長のみである。
そういった別室関係の密談をするために課長の多機能デスクの真ん前がハイファのデスク、その左隣がシドのデスクという配置だった。
別室関係の密談……そう、別室はハイファを出向させても放っておいてくれるようなスイートな機関ではなかったのだ。未だに任務を振ってくる。
そしてそれはイヴェントストライカという、裏を返せば『何にでもぶち当たる奇跡の力』を当て込み、統括組織の違いも無視して今ではシドにまで名指しで降らせてくる厚かましさなのだ。
「シド先輩、やけに真面目じゃないっスか」
何処からか戻ってきたヤマサキがシドの左隣のデスクに着地した。
「失敬な。俺はいつも真面目だぞ」
「そういや最近は書類も溜め込まないっスよね」
「ふん。そういうお前はヒマそうじゃねぇか。今日は何やってたんだ?」
「午前中は二課の張り込み交代要員っスよ」
捜査二課は知能犯罪専門課、詐欺や横領、汚職などを扱う。
一方の我が機動捜査課は本来、殺しやタタキなどの凶悪事件の初動捜査をするセクションである。だがそういった事件が殆ど起こらなくなった昨今では血税でタダ飯を食らっている訳にもいかず、機捜課員は僅かな在署番を残して他課の張り込みや聞き込み、ガサ要員などの下請け仕事に出掛けている有様だった。
その残された在署番はやはりヒマ、デカ部屋のあちこちで噂話に花を咲かせ、デスクでうたた寝し、鼻毛を抜いて長さを比べ、深夜番を賭けてのカードゲームに熱中している。忙しいのはイヴェントストライカと相棒のみだった。
下請け仕事を終えたヤマサキも多分に洩れずヒマなようで、最近産まれた愛娘の3Dポラをデスクに投影してニヤついている。
これでも所帯持ちなのだ。
「先輩たちも遺伝子操作して、この愉しみを味わったらどうっスか?」
いきなりかまされたフックにシドは焦る。
「なっ、何言ってんだ、俺たちはタダの職務上のバディだぞ!」
叫んだはいいが右隣から冷ややかな視線を浴びて、シドは書類に顔を伏せた。
機捜課にハイファがやってきた当初、シドが『男の彼女を連れてきた』などと噂になり周囲に冷やかされ、からかわれてシドは随分と居心地の悪い思いをした。
結局それはのちに事実となった訳だが、シドもまさか自分が七年来の親友だったハイファに転ぶなどとは思ってもみなかったため、うろたえ躍起になって否定し続けた。
だが同性どころか異星人とでさえ結婚し、遺伝子操作で子供さえ望める時代に周囲はとっくに噂に飽きて二人をカップル認定している。それなのにシド本人だけは未だにハイファとの仲を認めようとしない照れ屋で意地っ張りなのだ。
理由はともかく熱中したお蔭で定時の十七時半前には全ての書類を埋め終わりFAX形式の捜査戦術コンに食わせることができた。
課内では事件待ちのローテーションが班ごとに組まれていたが、シドは単独時代が長かったために遊撃的な身分として扱われてどの班にも属していない。深夜番も免れていた。
何も優遇されている訳ではなく、どの班にも属さないのは特定人員だけに負担が掛かるのを防ぐため、深夜番に就かないのは真夜中の大ストライクによる非常呼集を課長以下課員一同が恐れるが故である。バディのハイファも同じ扱いだ。
そのために仕事のキリが良ければ定時上がりが可能だった。
何杯目かの泥水を味わっていると広域惑星警察大学校・通称ポリスアカデミーでのシドの先輩であるマイヤー警部補が手を叩き、涼しい声で告げる。
「皆さん、定時ですよ。深夜番に挨拶して帰りましょう」
人員の動向を表示するデジタルボードに行列ができ『在署』から『自宅』に入力し直した者からオートドアを出て行く。あっという間にデカ部屋はスカスカになった。
「じゃあ帰ろっか」
紙コップと煙草の始末をしたシドはハイファに頷き、対衝撃ジャケットを羽織る。
「二人ともゆっくり休んでくれたまえ。できればシド、キミは表を歩かんようにな」
イヴェントストライカの二連休で嬉しげなヴィンティス課長の言葉と青い目をシドはガン無視、ハイファと揃って深夜番にだけ頭を下げた。
デジタルボードの自分たちの名前の欄を見ると既に『有休』になっている。業務管理コンから流れてきた『有休取得命令』に嬉々として課長が入力したのだろう。
溜息をついてデカ部屋を出る。
署を出ると、右に向かって二人は歩き始めた。二人の自室がある単身者用官舎ビルは、ここから七、八百メートルほどの場所に建っている。
見上げると夕暮れ前の空は気象制御装置に頼ってか雲ひとつ浮かんでいなかった。薄い水色は林立した超高層ビルに切り取られ、それらを串刺しにして繋ぐ通路のスカイチューブに分断されている。
夜になるとスカイチューブは色分けされた衝突防止灯を輝かせ、季節外れのクリスマスイルミネーションの如き騒々しさだが、今はまだタダの串だ。
内部がスライドロードになっているこのスカイチューブで帰ることも可能である。繋がるビル内に住むか職籍があるかしないと使用不可だった。
故にこれを使えばイヴェントにストライクする確率も抑えられるという特典もつく。お陰でヴィンティス課長は常々『使え、使ってくれ!』と口を酸っぱくしている。
だがシドは『刑事は歩いてなんぼ』を標榜し、自発的には殆ど使わない。
大体、同報なる事件の知らせ待ちをしていればいい機捜課でじっとしていられず、管内を歩き回ってばかりいるのだ。
ストライク怖さに他課が滅多に下請け仕事を寄越さないというのも理由だが、単にヒマだから歩いているのではない。歩いていなければ見えてこない犯罪から人々を護ろう、『間に合おう』として日々、足を棒にしているのである。
それを充分理解していて、ハイファも一緒に靴底を擦り減らしているのだ。
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