第2話

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第2話

 すると詰め所内では三班の隊員である栗田(くりた)巡査部長がデスクの上に立ち、片手に広げた週刊誌を掲げて、まるで江戸時代の瓦版屋の如く得々と講釈を垂れていた。 「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! この本日発売の週刊誌、またもウチの隊長が載っている。注目すべき内容は、社交界でも華やかなレキシントンホテルでのパーティーで、同席した鳴海巡査部長に対し愛を叫んだ奇行だよ。それも現場の激写画像付きときたもんだ!」  他の隊員が「おおお~っ!」と騒めく。気を良くした栗田は続けて口上を述べた。 「タダでさえ名物男の隊長の、停職中の密会スクープに次ぐ第二弾、巨大総合商社・霧島カンパニー会長の御曹司がやってくれました! 今更何をしているんでしょう、とっくに二人はゴールイン、鳴海が妊娠しそうなほどなのに――」  隣で京哉が頭から湯気を出しそうなくらい顔を赤くしているのに気付いた霧島は、さすがに年下の恋人が可哀想になって栗田の口上を止めた。 「栗田巡査部長、前へ」 「あ、あれ、隊長ってばいつの間にご出勤で?」 「栗田巡査部長、あとで武道場倉庫の裏に来るように」  居合わせた隊員らが大笑いしつつ起立して隊長に身を折る敬礼をする。霧島隊長はラフな挙手敬礼で答礼した。そのまま涼しい顔で隊長席に就く。  一方の京哉は恥ずかしくて堪らなかったが、国内外にあまたの支社を持つ霧島カンパニー会長の御曹司である霧島が、先週初めの某参議院議員の婚約披露パーティーで奇行に走ったのも事実なら、霧島と自分がそういった関係にあるのも事実なので反論できない。  取り敢えず顔を見られないよう給湯室に逃げ込んだ。  皆に茶を淹れて配るのは機捜で最新異動者であり隊長付き秘書でもある自分の役目である。湯を沸かして湯呑みを準備しながら、人手不足で県警本部長直々に任命された非常勤SAT(サット)狙撃班員であり、元はスナイパーとして暗殺に携わってきた京哉は、スナイプの時のように呼吸と心音を合わせて何とか落ち着こうと努力した。  スナイパーとして暗殺に携わった事実は過去のものとはいえ無論合法ではない。  警察学校で抜きんでた射撃の腕に目を付けられ、捏造された亡き父の罪をネタに脅されたのだ。政府与党重鎮と警察庁(サッチョウ)上層部の一部、それに霧島カンパニーが手を組み組織したシステム、のちに暗殺肯定派と呼ばれる者たちに陥れられ、暗殺実行本部の主人公に嵌められていたのである。  結局は自らスナイパー引退宣言をし、京哉自身も暗殺されかけた。しかし間一髪で霧島と率いる機捜隊員たちに助けられ暗殺肯定派も瓦解した。  それらの事実の一部はメディアに洩れ、霧島カンパニーも一時は株価が大暴落して窮地に立たされた。だが何とか踏み止まって現在は落ち着いている。  霧島の実父である会長も今は息子とパートナーである京哉を見守ってくれていた。霧島自身は実父を毛嫌いして裏での悪事の証拠さえ掴めたら逮捕も辞さないと明言しているが。  ともあれ暗殺肯定派はのちにサッチョウや議員連中まで捜査のメスが入り、とんでもない数と面子の検挙者を出して一時は政権すら揺らいだくらいだ。  それでも鳴海京哉という『現役警察官で暗殺スナイパー』なる存在は警察の総力を以て隠され、そのために大勢検挙された者たちも『殺人教唆』や『殺人の共同正犯』ではなく汚職での検挙だった。  それらの全てのシナリオをたった独りで霧島が描き、計画の中には自分自身の懲戒処分という厳しいものすら含まれていたが怯まず警察を辞めもしなかった。  普通は懲戒を食らうと以降の昇任が殆ど不可能になるため誰もが辞めるものだが、敢えて残った霧島は京哉と共に上層部の秘密を握ったも同然であり、いわゆる『知る必要のないこと』を山ほど溜め込んでいる。お蔭で上層部も二人を無下に扱えないという訳だった。    代わりに絶対に洩らせない特別任務を振ってきたりもするのだが。  とにかく京哉がこうしていられるのは警察組織が京哉というスナイパーを隠蔽したからだが、そこにはやはり霧島の恐るべき計算能力に依って計画されたシナリオありきである。  警察上層部も単純にこればかりは拙いという判断をしたのだろうが、陰には霧島の想いがあるのを京哉は有難くも忘れない。  そんな京哉は五年間もの暗殺スナイパーという裏の貌を維持するため、わざと他人との深い人間関係の構築をしなかった。家族も親族もいない。唯一の家族だった母は高二の冬に犯罪被害者として亡くなった。  だが失くすものが何もなかったあの頃と違い、今は霧島がいる。  霧島忍は鳴海京哉にとって唯一絶対の存在だった。殺した人々の凄惨な顔は今でも夢に見る。霧島曰く京哉は複雑性PTSDらしいが、京哉自身自分が何処か壊れている自覚もあった。  でも何より霧島の傍に居ることを霧島が許してくれている。  それだけで幸せなのに愛してすらくれているというのだから身に余る幸せで、自分が無理矢理人生を叩き折ってきた人々には申し訳ないじゃ済まされないけれど、今を続けたい欲もあった。  この先も死刑台に吊るされなければいいなあと思いながら京哉は大きなトレイに湯呑みを並べて茶を淹れた。トレイを持つと詰め所に戻って皆に熱い茶を配給する。二往復すると隊長のデスクの真ん前にある自分のデスクに就いた。  ここからは隊長付きの秘書としての仕事が待っていた。  機捜隊員は普通の刑事と違って二十四時間交代という過酷な勤務体制である。だが隊長とその秘書は基本的に日勤で土日祝日は休み、仕事内容も内勤が主だ。  しかしその内勤も見張っていないと隊長はすぐサボるわ、隊員と一緒に表に出て行こうとするわで大変なのだ。今日も仕事のふりをしているのを京哉は見抜いた。 「隊長、督促メールが来ている書類だけでも手を付けて下さい」 「今、やっている」 「ウィンドウを開いているだけじゃだめです。そのオンライン麻雀は閉じて下さい」 「麻雀などやっていない、言い掛かりはよしてくれ」 「じゃあ今日は何を……どうしてそんなに傾いているんですか?」  見に行くと霧島のノートパソコン上で戦闘機がくるくるとロールを打っていた。 「空戦ゲームなんかに嵌ってないで、さっさと書類をやって下さいっ!」 「うわ、爆散した! お前が喚くからだぞ、どうしてくれる!」 「どっちが言い掛かりですかっ!」  聞いていた皆は笑い転げている。そんな彼らも警邏に出て行くと詰め所は閑散とした。京哉は霧島に任せておいては間に合わない書類を自分のノートパソコンで代書しながら、出会ってから初めての誕生日に嵌めて貰ったプラチナのペアリングを眺めては喜びを噛み締め、時折見上げては隊長を監視する。  霧島の生母は霧島会長の愛人だったハーフの女性という話で、その母譲りの灰色の瞳が秋めいた窓からの日差しで薄く透けていた。  透明感のある薄い灰色の瞳が嵌った怜悧さを感じさせる切れ長の目。すっきりと通った鼻梁にシャープな輪郭を描く横顔。思わず見入ってしまうほど綺麗だ。 「鳴海、お前こそ手が止まっているぞ」 「あ、すみません」  しかつめらしく言った霧島だが、そのまなざしは優しい。  京哉も暗殺者だった頃に自分を目立たなくするためのアイテムとして導入したメタルフレームの伊達眼鏡を押し上げた。もうフレームのない視界は落ち着かなくなってしまったのだ。おまけにこの野暮ったい伊達眼鏡を掛けていないと霧島の機嫌が悪くなる。  そんな子供のような年上の愛し人に微笑み返して作業に戻った。やがて昼になると皆がポツポツと昼食休憩で帰ってくる。  また京哉は茶を配給し、自分と隊長の弁当を確保して食し始めた。ここでは夜食も含めて一日四食三百六十五日、全てが近所の仕出し屋の幕の内弁当と決まっている。  迷うことを知らない霧島がそれしか注文しないからだ。そのため『人呼んで幕の内の霧島』などと部下に言われているのだが、本人はそれを知りつつ涼しい顔である。  大概、動じることのない非常に安定した精神の持ち主であった。  だがそれも年下の恋人が絡まなければという但し書きが入る。
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