春の日の夢

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 翌朝出勤すると、すぐに警察から「封筒が届いた」という連絡が入った。  部長に報告すると、 「良かったじゃないか。でも、山川君も気を付けてくれないと困るよ。責任を持って届けてくれないと」  苦言を呈された。 (とりあえず、良かった……)  安堵しながら、封筒を受け取って○○企画に届けに行くべく、警察に向かおうとオフィスを出た所で、 「山川さん !」  菜穂子に呼ばれた。  後を追って出てきた彼女が、 「言ってなかったんですか?」 「何を?」 「私が落としたってこと」  まだ夕べの表情を引っ張っている。 「部長に頼まれたのは俺だし、君に頼んだのも俺だからね。俺の責任だ」  と穏やかに笑って、 「じゃ、行ってくるよ。今日も一日、頑張ろう!」  とガッツポーズを作って見せ、警察へ向かった。  今、助手席の菜穂子は、あの時のしょげた顔からは想像がつかないぐらいだ。  一方で、山川がチーフを任されているプロジェクトが最近になって行き詰まり、メンバーたちの反発に孤独感を深めていた。 ある日、深夜にまで及んだプロジェクト会議の後、山川と、メンバーの一人である菜穂子だけが残っていた。 「私は、山川さんについていきます」  デスクで一人悩んでいた山川に、菜穂子が、そっと缶コーヒーを差し出してくれた。 「おっ……ありがとう」  たったそれだけのことだったが、その時の山川の心には、沁みる一本の缶コーヒーだった。  窓辺に立ち、東京の明るい夜景を見降ろしながら、プルタブをカチッと開け、ひと口飲む。新たな力を得られた気がしていた。 「山川さん」  菜穂子の呼ぶ声で、現実に戻った。 二人の車は、寄木細工で有名な、畑宿の古い街並に差しかかっている。 「何考えてるんですか?」 「え?」 「さっきから、無反応だから」  菜穂子が笑う。 「うん? この一年の君の成長ぶり」 「えーっ、恥ずかしいですよ!」  春の日を浴びる彼女が眩しい。 「成長してますかね?」 「してるさ」  そう言うと、彼女はまた照れくさそうに笑った。  と、聞き覚えのあるメロディーが、カーラジオから流れてきた。 ノスタルジックでありながら、透明感のある哀愁が漂う旋律に、独身の頃を思い出す。  湘南から三浦半島へ。よく海岸線をドライブしたものだ。 「岬めぐりだぁ!」  歌が始まってすぐに、菜穂子が反応した。 「知ってるの?」 「はい。好きなんですよ、この曲。私、本当に岬めぐりしたことあるんですよ」  そう言う菜穂子の笑顔が、どことなく寂しげに見えた。 「そうなんだ……ちょっと憧れる」 「ふふっ、じゃぁ、今度私が連れていってしんぜよう……なぁんてね」  菜穂子は茶目っ気たっぷりに笑って、風になびく髪を押さえ、窓の外の景色に目を遣った。  すっかりその気になった山川は、 「いいね、行こうよ。今度のゴールデンウィークなんてよくない?」  勢い込んで言う。 「そうですねぇ……じゃ、一応約束しますか。でも、歌のとおりになっちゃったりして」 「歌のとおり?」 「ほら……」  と言って、軽く咳払いをしてから、遠くを見つめ、 「二人で行くと約束したが……」  菜穂子の歌声が、切なく響く。  それから少しの間、二人は黙っていた。
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