1. 剣士

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1. 剣士

冬馬(とうま)」  稽古のあと、道場の庭先で井戸水に浸した手拭いで身体を拭っていると、後ろから声がした。  振り返ると、冬馬の親友の飯田文吾(いいだぶんご)が立っていた。  徳川の治世。場所は地方のある小藩の無心一刀流(むしんいっとうりゅう)道場。  事が起きる数日前のことだった。 「どうした? 文吾」 「いや……その」 「静香(しずか)殿との婚礼が迫っているというのに、嬉しそうではないな」  冬馬が揶揄(からか)うと、文吾は少し照れたように笑う。 「そんなことはない。ただ、いいのだろうか?」 「何がだ?」 「お前は静香殿と幼き頃から一緒だった。剣術の腕も、俺より上だ。俺よりもお前の方が、この道場の婿(むこ)相応(ふさわ)しい」  静香と夫婦になるということは、静香の父である渡辺尚武(わたなべしょうぶ)の跡を継ぎ、この道場の主となる。  つまり、将来的には藩主の剣術指南役となるのだ。 「自信家のお前がそんな弱音を吐くとは思わなかったな。怖気(おじけ)づいたか」  冬馬にはなんの屈託もない。 「そんなわけはない! ただ……」  文吾は言葉に詰まる。 「静香殿も、俺なんかよりお前がいいに決まっている。噂では、最初先生は婿の話をお前にしたのに、お前が断ったというではないか」  冬馬は弱音を吐く文吾を見て笑う。
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