1 ヤスコさん①

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「お母さんが、香水を嫌いなわけじゃないんですよね?ほら、よく柔軟剤や芳香剤でくしゃみが出たり、アレルギー反応が出て呼吸が乱れてしまうとか、肌に湿疹ができたりする、えーと、なんでしたっけ?」 「化学物質過敏症、でしょうか?」 「そう、それです。実は私の友人に、軽度なんですけれど化学物質過敏症らしくて、免税店とかデパコス売り場とかでくしゃみが止まらなくなったり、目がかゆくなったり、ひどいときは結膜炎をはじめ、腕の内側とかの柔らかい皮膚が赤くなったりして、季節の変わり目なんかとくに大変だって言っていました」  実際には存在しない友人を、あたかもこないだ会ったかのように、私はいけしゃあしゃあと作り上げる。  汗のにおいが気になっているけれど制汗剤に入っている成分でわきの下や腹部の皮膚がただれてしまったと、嘆いていた先輩の女性社員がいたけれど、ただ同じ部屋で仕事しているだけであり、部署内で行われる飲み会ぐらいでしか接点がないほど、希薄な関係性だ。    むしろ、あれこれ詮索したがるところがあったから、私を含めて周囲から避けられている。  余談として「嘘と本当を適度にミックスさせて」話すと、唯さんは「実際、悩んでいらっしゃる方が多いみたいですね。母とは無縁ですけど」と、クールダウンしたらしく、落ち着きを取り戻して合いの手を入れる。  かわいがるだけで、世話や掃除は家族に丸投げするヤスコさん。  なのに、娘には事細かく制限を設けるヤスコさん。  深くて、卑しくて、意地汚い、家族であるがゆえに視界へと入ってしまう彼女の「恥部」が、唯さんの会話からちらりと顔をのぞかせてくる。  悪趣味なことは百も承知だけれど、生きている人間がいちばん「浅はか」で、かつ「おそろしい」ということは、私のいる「界隈」では周知の事実だ。
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