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ゆっくりと瞼を開く。暗い部屋の中、まず視界に入ったのは散らばった花札と飲み干した酒の缶だった。いつの間にかかけられたタオルケットの感触。何度か瞬きをし、上体を起こす。ぼんやりと室内を見回すと、樒は部屋の窓を少し開け、のんびりと煙草を吸っている。こちらに気が付くと、光のない目を細めて笑った。
「あ、起きた」
煙草の小さな光が明滅する。
「なァんかうなされてたよォ。よっぽど嫌な夢だったんだねェ」
樒から吐き出された紫煙が夜の空気に溶けるのを見て、俺は立ち上がり樒の側へと移動する。
「樒、お前、夢の中で……」
「ん?」
「……いや」
まさか。いくらこいつでも、他人の夢に介入するなんて芸当が出来るはずがない。偶然か、それとも、不本意ながら俺は無意識に樒を頼っていたということなのか。
「なァにィ? 僕の夢でも見たのォ?」
「死ね」
苦々しい思いで呟くと、樒からふと笑みが消える。そしておもむろに俺の両手を掴み、自身の首元へと持っていく。ゆびさきで俺の指を上から強く押した。
「ここ。頸動脈。強く圧迫すれば殺せるよ」
囁く声。吸い込まれそうな瞳と目が合う。
「……それとも」
樒の手が離れ、俺の首元をとらえる。僅かに込められた力。樒が喉の奥で笑う。
「――僕が殺してあげようか」
ぐぐ、と首を絞める手にゆっくりと力が入る。血管を圧迫されているからか、鼻がつんと痛い。こころなしか周囲の音も聞こえにくく感じる。
「や、め……」
掠れた声でそう言うと、樒はぱっと手を離した。思わず数歩後ずさり、首元をさする。
「冗談だよォ」
にこ、と笑った樒はいつもと変わらなかったが。
「僕がハセくんを殺すハズないじゃない」
……その瞳が、全く笑っていなかったことに、俺は気づいている。
殺人と死体遺棄の容疑でパン屋の店主が捕まったのは、それから三日後のことだった。殺した女をスーツケースに詰め、山中に埋めたらしい。まさか、と思いながらインターネットで記事を探すと、被害者の女は夢で見たままの、桃色の髪をしていた。
思念の残滓。店主の明朗な声。もしもあの時、店主に僅かでも疑念を抱いていたら、俺も事件に巻き込まれていたのだろうか。樒はそれを知っていて、あえて俺に真実を隠したのだろうか。
だが――樒がパン屋で見せたあの一瞬の表情は――もっと暗い嫉妬や羨望に似た何か、だったように思えてならない。
棒アイスをくわえた樒は何も言わない。俺も、何も聞かない。
八月初旬の話である。
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