case2.紫陽花の花束

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case2.紫陽花の花束

 六月の初旬の話だ。例年より二日早い梅雨入りを迎えたその日は朝から霧雨が降っていた。一コマ目の講義に向かおうと安いビニール傘をさしはしたものの、細かい雨の粒は身体にまとわりつく。傘の意味があるのか無いのか分からないな、と思っていた矢先、視界に飛び込んできたのは紫陽花の花束だった。赤紫に僅かに傾いた花が、道の端にぽつんと置いてある。確か、紫陽花は土壌によって色が変わるのだったか。錆びついた知識を引っ張り出す。赤紫はアルカリ性だったと記憶している。  まだ真新しい花束は、手向けられて間もないことが容易に想像できた。ここで誰かが死んだのだろう。それも最近。事件があったという話は聞かないから、おそらく事故か。  ……何とも、やるせない気持ちになった。  雨で花束が濡れるのがしのびなく、俺はさしていた傘をそっと置いた。幸い、講義室のある棟までは走って三分もない。それに、この柔らかい雨の中では傘があっても無くても同じだ。ならば、花が濡れない方が傘も役目を果たせて本望だろう。心の中で手を合わせ、大学へと急ぐ。僅かに強まった雨足を、気にしながら。  ☻  講義室へ入ると、樒が軽く手を挙げた。俺も軽く手を挙げて返し、隣の席に座る。 「あれェ、傘は?」 「忘れた」 「忘れたァ?」  いちいち経緯を説明するのも面倒だったので適当にそう言い、カバンからタオルを取り出す。腕にタオルを当てると想像していたよりも水分を吸った。軽く上半身を拭き取るだけでもタオルが濡れて重みを増す。 「酔狂だねェ~~~。ハセくんはタップダンスでも踊るつもりだったのかなァ?」 「何の話だよ」 「雨に唄えば、って知らない?」 「知らない」  有名なんだけどねェ、と樒がぼやく。確か、昔のミュージカル映画だったと記憶しているが、俺は生憎観たことはない。樒の口ぶりから察するに、雨の中傘もささずにタップダンスを踊るシーンがあるのだろう。現代日本の街中でそんなことをしたら不審者扱いだ。いや、俺はともかく、こいつならやるかもしれない。少しくすんだピンクの髪を雨に濡らしながら踊る樒の姿は容易に想像できた。ということはやるのだろう。きっと。  と、樒は何かに気づいたように、じろじろと俺を見てから首元に顔を近づける。耳元ですん、と鼻を鳴らす音が聞こえる。 「ハセくん、香水変えたァ?」 「……いや?」  俺が答えると、樒はそのまま二、三秒考えるような素振りをして、にや、と笑った。濁った瞳が三日月のように歪む。  こいつが――(しきみ) 一総(かずさ)がこういう顔をする時は、大抵ろくなことを言わない。 「君、またなァんか良くないものに関わったねェ~~~?」  そして、喜びの色を抑えるように、耳元で囁く。 「ハセくんからさァ、お葬式の匂いがする」  俺が信じているかはさておき、樒は「霊が視える」らしいのだ。
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