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その日は萌の保育園の親子遠足だったのだけれど、萌は前の晩、熱を出して欠席になった。萌は熱を出しやすい子だからしかたがないと、純子は簡単にあきらめがついたのだが、お医者にかかって帰ってくると萌は布団をかぶって泣いていた。
「萌ちゃん」
純子が布団をぽんぽん、とたたいた。
「萌ちゃん、しょうがないよ。お熱出ちゃったんだから」
萌が少しだけ顔を出した。
「もえ、年少さんも年中さんも先生と手つないだの。きょうは、ママといっしょだったのに」
萌は頭を布団の中に戻した。
純子は仕事に追われて、去年も一昨年も幼稚園の親子遠足に参加できなかった。萌に「遠足はどうだった?」と聞くと、「たのしかった」と答えるので安心していたが、萌が年長になり、幼稚園最後の遠足はなんとしても一緒に行きたいと思ってなんとか仕事の休みを取ったのだ。
純子は台所に立ち、今日持っていくはずだったお弁当のおかずを半分だけ作った。そして、小さなお弁当箱に入れて萌の布団の横に座った。
「萌ちゃん、お昼ごはん食べよう」
「いらない」
「おにぎり作ったよ、ちいさめの。ちょっとだけ、ママと一緒に食べよう」
そして萌が布団の上に座ると、首の周りにタオルを軽く巻いた。萌は鮭の入った小さなおにぎりに手を伸ばしてひと口食べた。
「お、えらいね。食べたらおくすりね」
「えーやだーおくすり」
「大丈夫。甘いし」
「でもへんなあじするもん」
「がんばって飲んだら……そうだ、アイス食べていいよ」
「ほんとう?」
萌は小さなおにぎりをひとつ食べると、オレンジ色のシロップをごくっと飲んで「まずーい」と言った。純子は約束通り、バニラアイスを萌に食べさせた。
布団を整え、萌を寝かせて食後の片付けをしようとすると、萌が「ママ、いっしょにねよう」と言った。枕元にお弁当の食べ残しや薬のシロップが置きっぱなしで片づけてしまいたかったけれど、純子は思い切って萌の布団に入り、横になった。すると萌は純子にぴったり寄り添い、純子の手を握った。
萌が物心ついた時から母子二人で暮らしていた。純子は仕事や家事で忙しかったが、萌はわがままを言うこともなく、育てやすい子だった。それも子どもなりにがまんしているんだと思うと愛おしさがつのった。萌は熱を出すことが多く、そのたびに仕事を休まなければならなくて困らされていたけれど、そんなことはどうだっていいと純子は思い直した。
純子は萌の手を握り返して子守歌をつぶやいた。
ねむれねむれ、もえちゃんはいいこ……
秋の穏やかな昼下がり、萌と純子はどちらともなく眠りに落ちた。
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