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萌の中学受験が四日後に迫っていた朝、学校から電話が来た。萌が登校途中に倒れてしまったらしい。純子は会社に連絡を入れると、あわてて学校へ向かった。
萌は保健室の白いベッドに寝かされていた。
「萌」
純子は萌の枕元に走り寄った。萌は真っ白な顔をして眠っているように見え、純子は息をのんだ。
「萌ちゃんのお母さんですか」
白衣を着た女の先生が純子に近づいてきた。
「はい」
「登校しているときに歩けなくなってしまったらしくて、学校に着いたのが1時間目の途中だったんです。ベッドに横になったらすぐに眠ってしまって。病院で診てもらって下さい」
担任に連絡してくると言って保健の先生があわただしくベッドを離れると、一瞬の静寂が訪れた。純子は萌の乱れた髪をなでた。
夏になった頃、萌は友達と一緒に中学受験をしたいと言った。私立中学に行かせる経済的余裕はなかったので純子は反対したが、萌は国公立の付属中学校を受験すると言ったので応援することになった。
純子は参考書を買って萌よりも先に問題を解き、わからない問題は会社で頭のいい人に質問し、萌と二人で勉強をした。萌は夜遅くなると眠くて頭をこっくりこっくりとし始めるので、夜は早く寝かせて日がのぼらないうちに萌を起こしながら勉強を続けた。
純子は時折、もっとできるはずだと萌を責めた。
「受験するって言ったのはあなたでしょ? 私がこんなに一生懸命やってるのに」
「なんで? わたしだっていっしょうけんめいやってるよ」
二人は衝突を繰り返した。そして、あと四日でようやく受験勉強から解放されるところだったのだ。
萌が布団の中でうわごとを言った。
「……算数、まだ……いまやる」
純子は萌の頭をなで続けた。
手をかけて育てられなかった割に、萌は勉強ができる子だった。もしかしたら評判の高いあの中学校に入れるかもしれない。もし萌が合格できれば、母子家庭であっても自分はわが子をしっかり教育できたと世間に知らせることができると純子は考え、必死だった。自分のことしか頭になかった。だから、萌が体調を崩していたことに気づかなかったのだと思った。
担任がやってきて、地域の大きな病院をすすめられて萌と向かった。萌は貧血と判断され、大きな袋に山のように入った鉄剤を処方されて家に戻った。
「……受験、できるかなあ」
布団に横になって萌がつぶやいた。
「むりして受けなくてもいいわよ」
「え?」
「それより、くすりちゃんと飲んでね」
「わっ、こんなにあるの? やだあ」
それは久々にのんびりした親子の語らいだった。萌は純子の差し出したコップを受け取ると、顔をしかめながら大量の錠剤を飲み、ひと息ついてから純子を見た。
「……ごめんね、ママ」
「ごめんね萌」
純子が謝ると、萌が目を丸くした。
「なあに? 大人だって悪いと思ったらあやまるわよ。無理させちゃって、ごめん」
すると萌は布団の上に涙をぽろぽろ落とした。
「今までの勉強はむだじゃないわ。高校受験でリベンジしましょう」
純子はわざと明るく、片手を突き上げてエイエイオーと言い、萌はなにそれ、と泣きながら笑った。
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