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高校3年生になった萌は、学校帰りに病院に向かうのが日課になっていた。純子が病気で入院してから2カ月が経っていた。
見慣れた六人部屋の病室に入ると、ベッドに横たわる母の枕元に男性が座っていた。
「あれ? たかしおじさん?」
純子の弟の隆だった。
「おお萌か、久しぶり」
叔父が萌を見て明るい声を出した。叔父は外国に住んでいてあまり顔を合わせたことがなかったが、数年に一度帰国するときは萌にたくさん外国の土産を持ってきてくれて、離れていても純子と萌にとっては唯一頼れる存在だった。でも今回、叔父がはるばる日本にやってきた意味を考えると、萌は胸が抉られる思いがした。母はベッドの背もたれを少し起こしていたが、叔父の話に相づちを打つのも難儀そうだった。
「中村さーん。おくすりですよ」
看護師がベッドに近づき純子の手元に薬を置くと、叔父に、
「中村さんのご親族ですか? 先生がお話ししたいそうです」
と告げて去っていった。
純子はゆっくりと錠剤を口に運び、様子を見守っていた叔父にカップを渡されて、水を飲んだ。母を包んでいる時間が、母をいたわりながらそっと流れていた。母の喉がこくこく鳴っている。ほらね、生きてる。大丈夫、きっと。
その後、純子がゆっくり首を回して萌を見た。
「……萌ちゃん。あなた、勉強は?」
「えー、さぼりに来てたの、バレちゃった?」
萌がおどけると、純子と叔父が笑った。
「ちゃんと、受験勉強、しなくちゃ」
純子は大きく息を吐いて、目を閉じた。
それから二人は純子の病室を出て、医局にいる医師のもとへ向かった。
「純子さんの容体は今は落ち着いていますが、これからは石が坂を転がるように悪化していくと思われます。とても残念です」
萌と叔父は身体を固くして医師の話を聞いた。
「純子さんの身体は痛みで悲鳴をあげています。薬は単なる痛み止めです」
二人は放心状態で医局を出た。萌は毎日見舞いに来ていたけれど、純子が彼女の前で痛がるそぶりを見せたことはなかった。母は最期の気力をふり絞っているのだ。だったら、自分だって。萌はあごを少し上げて目を皿のように広げ、涙を乾かそうとした。
隣をとぼとぼ歩いていた叔父がつぶやいた。
「あ、萌ごめん。何もお土産買ってこれなかったよ」
それ、今このタイミングで言う話だろうか。叔父の顔を見ると、思いっきり顔を歪めて嗚咽をこらえていた。
「そう、『ポップ・ターツ』食べたかったな」
萌はアメリカのあの菓子の強烈な甘味を思い出したが、いま食べたら何の味も感じないだろうと思った。
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