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燃えて、燃えて、燃え尽きる。
やり切って、振り絞って、何も残らないくらいに出し切る。
そんな現役生活を送りたいと思っていた。
高校ボクシング。インターハイ予選決勝の日。
高校三年の初夏。試合当日の朝。
鼻息荒く意気込み、俺は家を出た。勝って、インターハイの切符を手にするんだ!――という決意を胸に。
それから間もなくだった。
「ぶべらっ!?」
トラックに轢かれて、意味不明な断末魔を上げてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
トラックに轢かれて死んだ。
気が付くと、俺は転生していた。
新しい父も母も、日本語を話している。俺が転生したのは、どうやら未来の日本らしい。
成長するにつれて、世の中のことを学んでいった。文明や文化の程度は、前世の頃と変わらない。そう遠くない未来に転生した気もするが、大きく変わっているところもあった。
令和といったような元号がない。年号は、西暦ではない。
いつの時代に転生したのか。もしかして、日本にそっくりなだけで異世界なのだろうか。それとも、地球以外の惑星なのだろうか。国の名前は日本というのだが。
まあ、そんなことはどうでもいい。
文明や文化の程度に大差がないなら、俺がやるべきことはひとつだ。
再び、ボクサーとして生きる。今度こそ、燃えて、燃え尽きて、灰になるまでやり切る。
俺の決意は変わらない。この気持ちは、ダイヤモンドより硬い。
ただひとつ、問題があった。今度の両親は、俺を溺愛していた。ボクシングをやりたいなんて言ったら、卒倒しそうだ。
どうする?
俺は自問した。学生のうちからボクシングをやるなら、少なからず親の援助は欠かせない。道具の購入費などはバイトで稼げても、両親と同居である以上、試合前の減量には彼等の協力がいる。
考えた末に、俺は結論を出した。
少しスタートが遅くなるが、ボクシングは高校を卒業してから始めよう。卒業して、就職して、一人暮しを始めてから。
それまでは、こっそりと自主的にトレーニングをしよう。
幸いなことに、俺には知識がある。必要かつ効果的なトレーニングの知識。今のうちに体作りをしっかりやっておけば、始めるのは、高校を卒業してからでも遅くない。
幼い頃から、日々鍛錬を積むんだ。将来のために、鍛え上げるんだ。
俺は、小学生になった直後から自主的なトレーニングを始めた。前世で教わったトレーニングを、毎日欠かさなかった。
鍛え抜いたお陰で、俺は、同級生の中では圧倒的に強かった。小学校三年の時点で、六年生にも喧嘩で勝てた。
同じ小学校の番長だけではなく、近隣の小学校の番長にも勝てた。
『野宇金小学校の四谷大成』
その名は、瞬く間に近所に知れ渡った。
中学に入学した直後、転校生が来た。俺が、中学の番長を左手一本で殴り倒した頃だ。
そいつは、他の奴とは目が違っていた。狂犬のようにギラギラした目。触れる者全てを八つ裂きにしそうな、凶悪な目だった。
あいつも、俺の存在に気付いたようだ。強者は強者を知るとは、本当なんだな。
すぐに俺は、あいつ――八条明人と一対一を張った。決着は付かなかった。殴っても殴っても、八条は倒れなかった。狂犬の目をしたゾンビ。そんな印象だった。
明人とのタイマン以来、俺達は一緒に行動するようになった。
『盆倉中の四谷と八条』
近隣の中学生で俺達の名前を知らない奴は、いなかったと思う。
幸いというか、何というか。俺と明人は、頭の程度も同じくらいだった。いつも、学年トップを争っていた。下から数えたトップ争い。
俺達は、名前を書けば合格できると名高い府手来高校への進学が決まった。
高校進学後も、すぐに有名になった。
高校生ともなれば、行動範囲も広がる。色んなところで暴れ回るようになる。地元で一番の不良高校と名高い珍平高校の奴等ともやりあった。
『府手来高の四八』
そんな、昭和の不良漫画のようなコンビ名まで付けられた。地元で負け知らずの、最強コンビ。
『破壊の四谷大成』
『狂犬・八条明人』
はっきり言って無敵だった。
そんな俺達を、珍平高の奴等が放っておくはずがなかった。地元最強の不良高校。そのメンツをかけて、あいつらは、一〇〇人ほどの大所帯で府手来高に攻め込んできた。
俺と明人は無敵だ。珍平の奴等が相手でも、負けるはずがない。けれど、高校としての戦力は、明らかに珍平が上だった。府手来の不良は、俺と明人の二枚看板。俺達以外の不良は、どいつもこいつも大したことがない。
俺達の教室から、校門が見渡せる。ゾロゾロと集まってきている、珍平の不良達。
窓際に腕を乗せながら、俺は明人に視線を向けた。
「どぉするよぉ、明人ぉ? 府手来に、俺達以外に、まともな戦力はねぇ。明らかに多勢に無勢だけどよぉ?」
「あぁ?」
明人は鼻を鳴らしながら舌を巻いた。
「何言ってんだよ、大成ぃ? 俺とお前がいりゃ、十分だろうがよぉ。珍平だかチンチンだか知らねぇけど、叩き潰すんだろぉ?」
「わかってんじゃねぇか」
これが漫画の一場面なら、俺と明人の背後に「ドンッ!」とか「バーン!」とか「!?」という文字が現れていただろう。そんな雰囲気を出しつつ、俺達は教室から出た。
廊下を歩く。
「向こうは一〇〇人以上。こっちは俺達二人。どうよ? 今の気分はよぉ?」
「あぁ? 上等じゃねーか」
舌を巻きながら会話を交す。玄関で靴を履き替え、校庭に出た。
校庭の校門前には、珍平の奴等が大勢いた。どいつもこいつも、俺達を睨んでいやがる。ここぞとばかりに、バイクのエンジンを吹かす奴もいた。
珍平の奴等に向かって、俺達は歩いて行く。登下校の道を歩くような気軽さで。
奴等との距離が十メートルくらいまで縮まったところで、明人が啖呵を切った。
「数集めねぇと喧嘩もできねぇ雑魚共がよぉ! かかって来いやぁ!!」
奴等はかかって来ない。ただ、口々に喚き散らしている。
「あぁ!? たった二人で調子に乗んじゃねぇぞコラァ!」
「ミンチにすっぞお前ら!」
「とっとと詫び入れろや!」
仕掛けてくることもなく、粋がったセリフを吐く珍平の奴等。
フンッと俺は鼻で笑った。俺の隣りでは、明人がすでに戦闘態勢に入っている。さすが狂犬だ。
俺は、明人の肩をポンと叩いた。仕掛けるぞ、の合図。明人が、目を血走らせて狂気の笑みを浮かべた。
地面を蹴り、一気に仕掛けようとする。
そんな俺達を止めたのは、珍平の奴等から上がった声だった。
「うるせぇぞてめぇ等! 静かにしろや!」
でかい声だった。騒音で、近所から通報されそうなほどの大声。すぐに、珍平の集団の中から、ひとりの男が姿を現した。
時代錯誤とさえ思えるほどきっちり固めたリーゼント。今時こんな制服着るのか、と指摘したくなるような短ランとボンタン。改造学生服だが、少しおかしい。
珍平の制服は、ブレザーだったはずだ。
大声を上げた男は、俺達と同じくらい有名な奴だった。珍平の頭を張っている、突張人生だ。体格がいい。一九〇くらいの身長に、がっちりとした体。外見だけで分かる。こいつは強い。
突張は一番前まで出てくると、俺達を睨みながら笑った。
「なあ、四谷に八条。お前達がその気になれば、ウチの奴等くらいぶっ殺せるだろ?」
「あぁ? 当たり前だろうが」
「誰に口聞いてんだ、てめぇ。てめぇも八つ裂きにすんぞ?」
俺達の煽りにも、突張は笑みを崩さない。
「正直なところ、俺も、タイマンならお前等に負ける気がしねぇ。けどよぉ。いや、だからこそ、か。ここで総力戦なんてやって、無駄な犠牲を出すこともねぇんじゃねぇか?」
「あぁ?」
「何言ってんだお前」
「だからよぉ、せっかくだからタイマンで決着つけようって言ってんだよ。それも、ただのタイマンじゃねぇ。特別な趣向を凝らしたタイマンだ」
突張の表情は自信に満ちている。自分の強さにも、その「特別な趣向を凝らした一対一」とやらにも、自信があるのだろう。
「上等だぁ。乗ってやんよ」
明人より一歩前に出て、俺は自分を指差した。
「その『特別な趣向を凝らしたタイマン』とやらで、俺が相手してやっからよぉ」
「あぁ?」
不満気な声を上げて、明人が俺の横に立った。
「ふざけんなや。戦んのは俺だ! ぶっ殺してやんよ」
「何言ってやがる明人! 突張をぶっ殺すのは俺だ。お前は黙って見てろや」
「あぁ? だったらまず、てめぇから血祭りに上げてやろうか? 中学以来の決着、ここで着けてもいいんだからよぉ?」
「上等だコラァ」
俺と明人がやりあっていると、突張は大声で笑った。一通り笑い、高らかに宣言してきた。
「ボクシングだ! ボクシングで決着つけんぞ! 文句ねぇならすぐに始めっから、着いてこいや!」
ボクシング!?
突張の言葉に、俺は目を見開いた。頭の中で、前世の記憶が蘇ってきた。
ボクシングに全てを賭けていた。燃え尽きるまでやり抜くと決めていた。ボクシングのために、自分を鍛えていたはずだった。
……あれ? どうして俺、不良になんてなってたんだ?
冷静になって、今の自分を客観的に見てみた。名前さえ書ければ馬鹿でも入れる高校に進学した。脳ミソまで筋肉でできているような馬鹿と一緒に行動している。挙げ句の果てには、こんな昭和の不良漫画みたいなことをやっている。
いやいやいやいや! 本当に何やってんだよ、俺!
即座に俺は決めた。不良は引退だ。ちゃんとボクシングをやろう。
同時に考えた。突張は、ボクシングで決着と言っている。それなら、とりあえず、素人相手に腕慣しするのも悪くない。
よし。まずは突張をボクシングルールで叩き潰そう。それで不良は卒業だ。まっとうなボクサーの道を歩み始めるんだ。
「明人。ボクシングなら、やっぱり俺がやる。譲ってくれ」
俺は明人に頼んだ。彼は嫌がるだろう。だが、これは、俺がボクシングの道に戻る第一歩だ。譲って欲しい。
必要があれば、頭くらいは下げよう。そんなことを思いつつ、明人を見て。
つい俺は、目を見開いてしまった。
明人の様子が、すっかり変わっていたのだ。血走った目と狂気の笑みで相手を殴り倒す、狂犬と呼ばれる男。そんな男は、俺の目の前にはいなかった。
彼は、借りてきたチワワみたいに怯えた様子になっていた。
「あの……明人?」
「あ、ああ」
「俺が突張とボクシングするけど、いいか?」
「あ、ああ。譲ってやるにょ」
明人は語尾を噛んだ。チワワになった彼が「にょ」とか言っていた。
そんな彼を連れて。突張率いる珍平の奴等に先導されて。
俺達は、ボクシングの会場へ向かった。
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