1人が本棚に入れています
本棚に追加
突張達に連れて来られたのは、異様な雰囲気の建物だった。大きさは、中型のライブハウスくらい。全体的に黒く塗装されていて、ドクロのマークや血痕の柄が無数に施されている。はっきり言って趣味が悪い。
ボクシングで勝負っていうから、てっきりどこかの体育館に行くと思っていたんだが。ここは、どこかの格闘技イベントの会場だろうか。
突張の手下とおぼしき奴に案内されて、俺と明人は、建物内の更衣室に入った。リングシューズとトランクスに着替える。着用するグローブは、間違いなくボクシングのものだった。
グローブを着けた俺は、胸の前で、二度三度とグローブを叩き合わせた。バンッ、バンッ、と破裂音が響く。この感触、久し振りだ。インターハイ予選に出ていたときの気持ちが、蘇ってきた。
意味もなく不良なんかをやっていて、遠回りしてしまった。でも俺は、本来進むべき道に戻るぞ。ボクシングをやるんだ。燃えて、燃えて、燃え尽きて、灰になるんだ。それほどまでに、ボクシングに全てを賭けるんだ。
「よし、明人。せっかくだからセコンドやってくれ」
こんな馬鹿でも、不良としての俺の相棒だ。それなら、俺の本当のスタートラインでも、相棒でいてほしい。
「ああ」
頷いた明人の頬には、汗が滲んでいた。それほど暑くもないのに。なんなんだ?
小さくない疑問を抱きつつ、俺達は更衣室を出た。ドアの外では、突張の手下が待っていた。俺達をリングまで案内するらしい。
会場の廊下を歩く。リングに向かう高揚感。本当に懐かしい。この、緊張と高揚が入り交じる感覚。胸が高鳴る。何の小細工もないリングの上で、二人のボクサーが、自分の拳だけを武器に戦う。過酷で、残酷で、それでも美しい戦いの舞台。
あの舞台に、俺は帰るんだ!
廊下の突き当たりまで来た。大きな扉がある。あの扉の向こうに、試合会場があるのだろう。観客に囲まれたリング。
突張の手下が、扉を開けた。
途端に、大歓声が響いた。
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……っ!!
歓声に包まれながら、会場に足を踏み入れ――
「……は?」
俺はつい、間の抜けた声を漏らした。
会場の中心にあったのは、俺が知っているリングではなかった。耐熱性と思われる土台の上に、六メートル四方ほどの広さの鉄板。土台にはいくつも通気口のような隙間がある。その隙間から、無数の薪が見えた。
呆然としている俺の横で、明人が固唾を飲んだ。ゴクリという大きな音が、この歓声の中でも聞こえた。
「これが……あの伝説の、ボクシング……!!」
「は?」
ボクシングのリングとは似ても似つかない、六メートル四方の鉄板。それなのに明人の口から出た、「ボクシング」という単語。どういうことだよ?
俺は明人に聞いた。
「知っているのか? 明人」
「ああ」
頬に汗を流しながら、明人が頷いた。
「都市伝説のようなものだが、聞いたことがある」
明人の口調は、先ほどまでの不良口調とはまるで違っていた。未知の事柄を的確に説明する、解説者の口調。
けれど、目の前の光景について、彼から説明されることはなかった。
「というより、浮きペディアにも載ってるような有名な話だ。調べてみろ」
俺はグローブを外し、明人からスマホを受け取った。情報サイトである浮きペディアで、検索をしてみる。
『決闘 ボクシング』
すぐに、浮きペディアのページにアクセスできた。そのページのタイトルが俺の目に映った。
『人間焼肉』
……は?
なんだか、まったくもって想定外の文言が見えた気がする。見間違いか?
俺はスマホから目をそらし、数回瞬きをして、再度スマホを見た。
……見間違いではなかった。
『人間焼肉』
どんなフリガナだよ!?
激しいツッコミとともに、俺は、スマホを床に叩き付けそうになった。
いやいやいやいや。落ち着け、俺。これは明人のスマホだ。壊しちゃ駄目だ。しかもこのスマホ、最新の愛ポン69だ。俺の財力で弁償できる代物じゃない。
深呼吸をして、俺は画面をスクロールしていった。
人間焼肉の説明に目を通す。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『人間焼肉――その歴史とルール』
――人間焼肉。
発祥は古代中国という説が一般的である。
時の皇帝が、奴隷達の決闘を見世物にしていた。二人の奴隷を一対一で戦わせ、敗者には罰を与える。
敗者に対する罰は、観客の総意で決定された。
観客にとりわけ人気があったのは、炙り刑という罰であった。これは、鉄板の上に敗者を乗せ、その下から火を付けて焼くというものである。敗者は、徐々に熱を増す鉄板の上で焼かれる。
燃えて、燃えて、燃え尽きて、真っ黒な炭になったという。
観客達の残虐性は、文字通り、その罰を見て燃え上がった。だが、幾度となく繰り返すことにより、徐々に飽きられていった。
そこで皇帝は、一計を案じた。
『いっそ、鉄板の上で戦わせればよくね?』
そして、四角い鉄板の上で命を賭けて戦う競技――人間焼肉が誕生した。
二人の選手が鉄板の上にあがると、「着火!」というゴング――もとい掛け声と共に、土台の中の薪に火が着けられる。それが戦闘開始の合図。
土台の中の炎により、鉄板は、急速に熱せられる。
人間焼肉の選手は、鉄板が熱せられてしまうと、たとえ勝っても重篤な火傷を負うことになる。それ故、早期決着を狙う選手が大多数であった。
そして、短期決戦であるが故に一気にヒートアップすることが、人気の秘訣であった。
なお、現代の焼き物料理では「強い火力で短時間」という格言が常識となっているが、その語源が人間焼肉にあることは、言うまでもないだろう。
参考文献:『中華料理と人間焼肉』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アホかクソがぁっ!!」
俺は、明人のスマホを床に叩き付けた。愛ポン69は、バキンッという音を立てて砕け散った。
ふざけんなや! なんでこんな競技が現存するんだよ!? 今は現代だぞ!? 奴隷制度があった時代じゃねぇんだぞ!
しかも、日本は法治国家だ! こんな競技、法で許されてんのか!? こんな馬鹿丸出しの競技が許されるなんて、法治国家にあるまじきことだよ! 法治国家じゃなくて放置国家じゃねーか! 国民に対する放置プレイじゃねーか!
くそっ。なんでこの時代では、ボクシングが、こんな馬鹿競技になってんだよ。冗談じゃねーよ。俺にこれから、どうやって生きていけって言うんだよ?
いやいやいやいや。これからの生き方はいいとして。
とりあえず、俺は帰るぞ。こんな馬鹿なこと、やってられるか。こんな競技に参加しろなんて言われたら、狂犬だってチワワになるわ。動物は本能的に火を怖がるしな。
俺は、回れ右をして帰ろうとして――
「……あ」
出口までの道は、すでに消失していた。観客に埋め尽くされていて、俺達が進める道は、鉄板までの通路のみとなっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
後世。
情報サイト『浮きペディア』より引用。
人間焼肉。それは、四角い鉄板の上で、二人のボクサーが命を賭けて戦う競技である。
かつて日本には、伝説のチャンピオンがいた。
彼は圧倒的に強く、対戦相手をことごとく焼肉にした。
だが、そんな彼にも衰えはくる。
彼が三十四歳のとき。
終焉は訪れた。
焼肉臭ただよう鉄板の上。
ジューッという焼け焦げる音。
彼は鉄板の上で倒れ、力尽きた。
ボロボロになった彼は、最後に呟いたという。
「灰じゃなく、炭になっちまったよ……」
(終)
最初のコメントを投稿しよう!