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 成瀬くんの家は学校からほど近い住宅街にあるマンションの一室だった。置いてあるものは必要最低限、といった具合で、間取り以上に広々として見えるけれど、少しだけ寂しい印象を受けてしまう。  成瀬くんに続いてリビングにお邪魔すると、ソファにぐったりと横たわる女の子の姿が目に入った。 「穂乃花!」  成瀬くんが慌てて駆け寄る。僕の心臓も一瞬嫌な音を立てたが、穂乃花ちゃんの意識はしっかりしているようだ。彼女は成瀬くんの顔を見るなり「お兄ちゃん、ごめんなさい」と弱々しい声で謝った。  兄妹にしては他人行儀のような違和感を覚えるが、そもそも一人っ子の僕に「普通のきょうだいの距離感」なんてわかるはずもない。異性かつ年が九つも離れているならこんなものなのかもしれないな。 「熱が三十九度ある」  成瀬くんが体温計を手に青白い顔で言った。 「どうしよう倉木」 「落ち着いて。病院で診てもらおう。僕がタクシー呼ぶから成瀬くんは病院に連絡をお願い」 「わかった」  それからすぐに、穂乃花ちゃんは近くの病院で診察を受けることができた。  帰りにドラッグストアで食料品や冷えピタなどを買って成瀬くんの家に戻ると、先に穂乃花ちゃんを連れて帰っていた彼がベッドの前で脱力していた。彼女はスヤスヤと寝息をたてている。病院で出してもらった解熱剤を飲んだら落ち着いたようだ。 「夏風邪か……」 「良かったよ、大したことなくてさ」 「倉木」  成瀬くんは僕の方を見上げた。 「ごめん。何から何まで。俺ちょっと動揺しすぎだったかもしれない」 「いいじゃない。それだけ大事なんでしょ、穂乃花ちゃんのこと」  僕はドラッグストアで買ってきたスポーツドリンクを成瀬くんに手渡した。思えば彼は試合以降ひと時たりとも休んでいない。  彼はサンキュ、とペットボトルを受け取ると、ゴクゴクと一気に飲み干した。 「……大事にしてる、なんておこがましいこと言える立場じゃないんだよ、俺は。どちらかと言うと負い目がある、の方が近い」 「負い目?」 「父親が違うんだ。俺と穂乃花は」  成瀬くんは眠っている穂乃花ちゃんに目を向ける。  似ているけどなぁ、二人とも。艶々した黒髪も、端正な顔立ちも。お母さんに似たのかもしれない。 「俺の父さんは事故で亡くなってて、穂乃花は母さんの再婚相手との子供。でも穂乃花が物心つく前には離婚した」  亡くなってたんだ、成瀬くんのお父さん。こういう時って何て言葉を掛けたらいいのかわからない。 「俺、母さんにも再婚相手にも穂乃花にもどう接したらいいのかわかんなくてさ。三人だけで新しい『家族』ができてるって感覚だった。両親はともかく、まだ幼稚園児だった穂乃花のことまで邪険にして。ホントに馬鹿だった」 「だって、当時は成瀬くんも小学生でしょ。そんなすぐに割り切れるわけないよ」 「……でも、そのせいで穂乃花は何でも一人で我慢するようになってしまった。今はもうあいつの父親もいないし、母さんはずっと仕事だし、頼れる相手は俺しかいないのに」  成瀬くんはひどく思い詰めるような面持ちで、しばらく穂乃花ちゃんのことを見つめていた。 「……部活やめようかな、俺」 「え⁉」 「もっとちゃんと穂乃花に向き合わねぇと。いつも一人で寂しい思いさせてる。俺ばっか自分のやりたいこと優先させてるようじゃいけないのは、ずっと前からわかってたんだ」  かといって、成瀬くんが自分の時間を犠牲にするのは間違ってるんじゃないの。彼がどれだけ努力してあそこまで昇り詰めたのか、それが今日の試合だけで全てわかったなんて言うつもりはないけれど。 「……成瀬くんが全部背負う必要なんてないと思うよ」 「倉木。俺……」  成瀬くんは首を緩く横に振った。 「俺が穂乃花と母さんを支えなきゃ。そもそも、そのつもりで新高に入ったんだ。国公立大への進学率もいいし、大学諦めて就職するにもそれなりのところで雇ってくれるんじゃないかって」 「……成瀬くん」 「進学校に通うオメガなんて腫れ物でしかないのはわかってんだけど、オメガだからこそ、こうでもしないと家族を支えるどころか自立することすらできない」  考えるより先に身体が動いていた。考えて、考えて、考えた末に結局動かない小心者の僕が。  気がつくと僕は、成瀬くんの身体を正面からぎゅうと抱き締めていた。 「……倉木?」 「わかったよ、成瀬くんの覚悟はわかった。でも部活やめるのは一旦考え直してからにして。それからお母さんや穂乃花ちゃんとしっかり話し合って。家族なんだからお互いに助け合った方がいい。成瀬くんは何でもできるから、全部、背負えてしまうんだろうけど」  でもそれじゃあ、成瀬くん自身のことを支えてあげられる人がどこにもいない。 「……その、僕でよければ頼ってほしい。何かできることがあればするし、話だっていつでも聞くから」 「……倉木、どうして」 「僕、成瀬くんの力になりたいんだ。成瀬くんのこと、誰よりもかっこいいって思うから」 「倉木……」  背中に温かいものが触れる。回された彼の両腕の温かさだった。  ……うん? あれ? 僕今、成瀬くんとハグしてる?  もぞ、と布団が動いて穂乃花ちゃんが寝返りを打った。 「……っ⁉」  僕は目を白黒させてその場から飛び退く。心臓がバクバクとありえないぐらいの速さで音を刻んでいる。 「ご、ごごごめん成瀬くん‼」  僕は彼の前にスライディング土下座した。 「え、何が?」 「僕ごときが成瀬くんに触れるなんて!」 「え?」 「ぼ、僕もう帰るから! な、何か買い物とか必要なことあったら連絡して! それじゃ!」 「あっ、ちょっと待て倉木」  足を縺れさせながらどうにか玄関までやってきたところで成瀬くんに腕を掴まれた。 「ちょっと、礼ぐらい言わせろよ」 「いやもう、十分ですので」 「じゃあお返し」  言うや否や、今度は成瀬くんの方からぎゅうぎゅうと抱き締められる。逃げられない。僕より細いのになんて力の強さだ。 「倉木」  耳元で囁かれ、僕は「ひぃ」と情けない声を上げた。 「ありがとう。なんか嘘みたいに気持ちが楽になったよ」 「ソウデスカ……」 「うん」  こちらは嘘みたいに心臓が爆音を立てていますけど、聞こえてないはずがないよね? ねぇ、どうなの成瀬くん。
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