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 僕の家から学校までは、自転車を三十分ほど走らせる必要がある。  たかが三十分、だけど体力のない僕にとってはかなり大きな負担である。真夏の炎天下ともなればなおさらだ。  夏休みになった。僕は補習のため、今日も学校を訪れていた。エアコンの効いた教室に入った瞬間に脱力する。この時期の登校は、登校しただけでもう何かを達成した気になっちゃうんだもんな。  新高では多くの生徒が夏の補習に参加する。各々の成績に合わせてクラス分けが行われ、来年度の入試に向けてひたすら演習と復習を繰り返す。  とはいえまだ僕たちは二年生なので、実際には、周囲の生徒と雑談し合いながら、普段の授業と比べてだいぶゆるい雰囲気で進められていた。 「おはよ、倉木」  一限目の開始時間ギリギリになって成瀬くんが現れた。 「隣いい?」  僕が頷くと、彼は隣の席の椅子を引いて腰掛けるなり、スポーツタオルで顔を覆って汗を拭う。 「外暑すぎ。死ぬ」 「同感」  僕が持っていた下敷きでパタパタと成瀬くんに風を送ると、彼はタオルの隙間からこちらを見て微笑んだ。  うわっ、眩しい。  成瀬くんは夏でも肌が白い。僕も白い方ではあるんだけど、インドア人間の白さとスポーツマンの白さじゃまるで価値が違う。前髪からポタ、と落ちる汗まで透き通って見えるな。 「おー、成瀬じゃん」 「てか成瀬学校来んの遅すぎー」  二人の時間に幸せを噛み締めていたのも束の間、成瀬くんはすぐに周囲の生徒の注目の的となっていた。  ううむ、すごい存在感だ。隣の僕のことなんて誰も見えてすらいないだろうな。  それからすぐに担当の先生がやって来て、課題のプリントを回し終えると演習の時間に入った。  順調に問題を解けていると感じた時に限って、必ず四、五問目あたりで手が止まる。これ、何なんだろうな。隣を見れば、成瀬くんも同じところで詰まっているようだった。 「倉木、分かる?」 「さぁ……」  一人が分からない問題は、大抵みんな分からない。次第にだれてきて、教室のあちこちで雑談タイムが始まっている。  成瀬くんは頬杖をついて指先でくるくるとペンを回していた。 「どうやるの、それ」 「できねぇの?」 「できないよ」 「ここをこう持って、親指の上でペンを回して……」  成瀬くんの言う通りやってみたが、僕は三メートルほど後方にペンを飛ばしただけだった。 「くっ、あははは、下手すぎ」 「ちょ、笑いすぎだってば」  成瀬くんはこれでもかってぐらい笑った後、ようやく落ち着いてから僕の方を見て呟いた。 「この前さ、穂乃花と買い物行ったんだよ、隣町まで」  その顔には隠しきれない喜色が浮かんでいる。 「あいつこの前誕生日だったから、何か欲しいものはないかって聞いたんだ。そしたら服が欲しいって言うから、一緒に買いに行った。俺、あいつの服の好みなんて全く知らなかったよ。そもそも服が欲しいと思ってたことすら知らなかった。なんていうか、たったこれだけのこと、どうしてもっと早くしてやれなかったんだろうって」  穂乃花ちゃん、自分の欲しいものをちゃんと言えたんだ。なんだか僕まで嬉しい。 「それからファミレスに行った。なんか美味いもの食わせてやりたくて先月のバイト代全部下ろして行ったのに、どうしてもファミレスがいいって言うんだよな」 「僕も小学生の頃はファミレスのことテーマパークだと思ってた節あったよ」 「ちょっとわかる。で、二人で豪遊して帰った。楽しかったよ。あいつの学校の話とかもたくさん聞けたし」  成瀬くん、本当に嬉しそうだな。穂乃花ちゃんもお兄ちゃんとお買い物ができて、さぞ楽しかったに違いない。 「倉木のおかげだよ。少しずつだけど、前より肩の力抜いて穂乃花や母さんと向き合えるようになってる」 「それは何よりだよ」 「あぁそうだ、穂乃花がお前にお礼の手紙書いてた」  お礼の手紙?  成瀬くんはゴソゴソと鞄を漁って、可愛らしいピンク色の封筒を取り出した。 「はい。俺も内容は知らない。見るなって言われたから」  僕は封筒を受け取って、中からこれまた可愛らしい便箋を取り出す。  念のため成瀬くんに見えないよう、こっそり文面に目を通した。 『このあいだ、ねつが出たとき、おにいちゃんとびょういんつれて行ってくれてありがとうございました。おかげですっかりげんきになりました』  なんと、めちゃくちゃ礼儀正しい子だ。  続きの文面にも目を通す。 『おにいちゃんのこと、すきなんですか? おにいちゃん、わたしのことばっかりでいそがしくてかわいそうなので、はやくけっこんしたらいいと思います。―─ほのかより』 「何を言ってるの?」  いや、マジで何を言ってるのだ穂乃花ちゃんは。まったくもって意味がわからない。いや、マジでわかんないよ。何?  ―─まさか、ハグしたの見られてた? 「倉木、何赤くなってんの?」 「へっ⁉」 「あー、ラブレターだな。穂乃花、倉木に惚れたんだ。あいつ意外にませたとこあるんだな」 「いや、それは違う」  穂乃花ちゃんの名誉にかけて、それだけはきっぱりと否定しておこう。  いやしかし、小学生って突拍子もないことを言うんだな。びっくりして心臓がいまだにバクバクしてる。
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