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そんなこんなで補習も終わり、僕はクラスが別れた真宮を待って帰宅することにした。
鞄の中に荷物をまとめていると、同じく荷物をまとめていた成瀬くんの席へ、同じクラスの笹谷さんがやってきた。
彼女はクラスの中でも一際派手で目立つ存在で、男子生徒からの人気もめっぽう高い。けれど特定の誰かと噂が立つことは一切なく、僕は彼女のことを「成瀬くんの女性版みたいだ」と密かに思っていたりする。ちなみに僕は一言も彼女と話したことがない。
二人が親しげに世間話をするのを横目に見つつ、美男美女の圧ってすごいなぁ、なんて思いながらノートを鞄にしまおうとすれば、僕の机に腰を下ろした笹谷さんにノートをお尻で踏ん付けられてしまった。
僕は自分のことをよく「影が薄い」と自虐するが、このように本当に存在を認識されないことも多々ある。
「あの」「えっと」「笹谷さん」と僕は小声で主張するが、あまりに小声すぎて彼女の耳には届いていないらしい。
「それでさ、成瀬」
笹谷さんが閑話休題、といった具合に成瀬くんの名前を呼ぶ。
「今日の花火大会、一緒に行かない?」
今日の花火大会。あぁ、今日って花火大会なんだ。僕には馴染みのない単語である。
そんなことより今僕は笹谷さんのお尻の下敷きになっているノートを引き抜くのに必死なのだ。教室の外で真宮を待たせているのに、これがなければ帰れない。
「いいけど。誰が来んの?」
「えっと、うーん……」
笹谷さんは何かを言い淀んでいる。
あれ、何か雰囲気がおかしい。僕はノートを諦めてじっと笹谷さんの背中に潜んだ。
「二人で……」
ふたりで! やっぱりだ!
そんな資格もないのに心音がドクドクと荒れる。どうするの成瀬くん。行くの?
「いや、それはやめとこう。誰に会うかわかんねぇし、変な噂でも立ったら笹谷にも悪いから」
さすが、危機管理能力はそこらの芸能人以上である。しかし笹谷さんにはかなり不満な返事だったようだ。
「……別にそれ、私に悪いと思ってないよね。成瀬が噂になりたくないだけでしょ」
「…………」
むむ、鋭い。成瀬くんは黙っている。
「恋人いんならさっさとそう言えばいいのに。成瀬ってアルファのくせに、そういうのとは無縁ですみたいな雰囲気出してさ。何がしたいのかわかんない」
「雰囲気も何も、ホントに無縁なだけなんだけど」
「じゃあマジで恋人いないの? あれだけ色んな子から告られといて? そんなに興味ないの、アルファのくせに」
笹谷さん。成瀬くんはアルファじゃないですよ。なんて言えるはずもなく。
「別に興味ないわけじゃねぇよ。ただ本当に好きになったやつと付き合いたいだけ」
「ふぅん。じゃあ好きな人いるんだ?」
いるの? 僕は思わず笹谷さんの背中から顔を覗かせた。
成瀬くんはそんな僕の顔をチラリと見たきり、結局、その質問には答えなかった。
「……もういい。私別の人誘うから。じゃあね成瀬。私みたいなアルファ女じゃなくて、せいぜい可愛いオメガの彼女連れて行きなよ」
そう言って笹谷さんは僕の机から腰を上げ、教室を出て行ってしまった。
僕はノートを鞄にしまいながら成瀬くんの方を見る。彼は困った様子で教室の入り口を見つめていた。
「あ、あんな棘のある言い方しなくてもいいのにねぇ」
僕は思わずフォローを入れていた。
いやしかし、笹谷さんもそれだけ成瀬くんのことが好きなのだろう。成瀬くんに恋人がいるなら諦め切れるのに、というもどかしさはちょっと僕にもわかるよ。
「……ああいう話題は苦手なんだ。俺アルファじゃないし、恋愛だの性だのを話題にされた瞬間、化けの皮が剥がれそうになる。それが怖い」
成瀬くんはハァとため息をついた。
「でも最近思うんだよな。この先一生アルファと偽り続けるなんて不可能だし、もうさっさとオメガとして生きるべきなんじゃないかって。でもそれを明かした瞬間に学校での立場がなくなるんじゃないかとか、色々考えて二の足を踏み続けてる。オメガとして立派に活躍してる人なんか世の中に山ほどいるのに、それができない自分の弱さが嫌になるよ」
成瀬くんの場合、ただ虚勢を張ってるわけじゃなくて自分の努力で本当に周囲からアルファと同じように見られてるんだから、それは強さだと思うけどなぁ。
オメガであることを明かすにしても明かさないにしても、成瀬くんが今まで積み上げてきたものは変わらないんだから。
そうは言ってもこの社会、まだまだ二次性を明かした瞬間に色眼鏡で見られることは避けられない。
「ゆっくり考えて、成瀬くんの納得がいく生き方すればいいと思うよ。どう生きたって成瀬くんは成瀬くんなんだから。世間の視線が変わったって、僕は変わらず成瀬くんのこと好……」
「す?」
「スーッ……すっごくかっこいいと思ってるから‼」
もうダメダメである。ボロが出過ぎてる。
成瀬くんは成瀬くんで「ありがとう」と笑っている。鈍すぎるのか、気づいていながら野放しにされているのかイマイチ判断がつかない。
「でも、倉木だけでも俺の本当の二次性知ってくれて助かってる。罪悪感持たずに喋れる相手ってホント貴重だから」
「こちらこそ話してくれて嬉しかったよ。それにしても、どうして僕にだけ教えてくれたの?」
「倉木なら信頼できると思って。それに……。アルファのやつに話すのはなんか気まずいし」
うん?
「倉木もベータだけどこの学校入って頑張ってるから。なんか、勝手に親近感持ってたというか。いや、オメガの俺と一緒にすんなよって感じかもしれないけど」
あれ?
「なんていうか、俺、倉木と仲良くなれたのすげぇ嬉しいんだよ。……あっ、俺、これから部活だからもう行かなきゃ。また明日な」
「またあした…………」
僕は成瀬くんの背中が見えなくなるまで手を振って、それからしばらくの間放心していた。
……なんてことだ。
僕、成瀬くんからベータだと思われていたのか。思えば僕は成瀬くんに、自分がアルファだなんて一言も話したことなかったな。
周囲の人が十人見れば十人ともにベータだと言われる僕だから、話さなければ勘違いされるのは当然のこと。だから、それはいいんだ、うん。だけど「僕がベータだから二次性を話した」と言われれば話は変わってくるじゃないか。
……あれ、僕、成瀬くんを騙していたことになるのか?
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