7

1/3
前へ
/38ページ
次へ

7

 翌日の朝、いつも通りの時間に由貴くんは姿を現した。  ざわ、と教室全体の空気が揺れる。みんなの表情を言葉にするなら―─戸惑い。  本人もそんな周囲の様子に気がついているだろうが、あくまで涼しい顔で教室の後ろまでやってきた。 「おはよう由貴くん」  僕は彼の腕をつつきながら言った。 「おはよ、秋人。あれ、席替えしたんだっけ」 「うん。由貴くんの席、廊下側だよ」  僕が指さすや否や、廊下側から男子生徒が「おーい、こっちこっち」と手を振る。  彼が自分の席に向かうと、やがて「成瀬久しぶりー」「何で学校来ねぇんだよ」といつも通り周囲に囲われ始めた。  僕はほっと胸を撫で下ろす。  どうしてこんな時に隣にいてあげられないんだろうとますます席替えを恨む気持ちはあったが、流石は人望厚い由貴くんのこと、僕が出る幕はなかったのかもしれない。 「お前ら名前で呼び合ってたっけ?」  前の席の真宮がくるりとこちらを振り向いた。 「う、うん。昨日から」 「昨日から? あのあと告ったんか?」 「告ってはない……」 「告ってないのかよ」 「でも僕決めたよ。ちゃんと由貴くんに気持ち伝えなきゃ」 「おお、頑張れよ秋人クン。で、いつ―─」  ガラリと教室のドアが開いて担任の先生が入ってきた。「ホームルーム始めるぞー」という眠気混じりの声に、みんなも各々の席に戻っていく。 「さて、十月の修学旅行についてだが─―」  修学旅行。高校三年間の中で最も大きなイベントと言えるんじゃないだろうか。行き先は京都を中心とした関西圏。中学の時もそうだったな、と思い返す。行程も同じような感じかな。 「修学旅行、チャンスじゃね?」  真宮が再び振り向いた。 「しゅ、修学旅行中に告れって⁉」 「班は違うけどさ、自由時間いっぱいあるじゃん。成瀬と回れば?」 「いやいやいや、由貴くん別の人たちと回るでしょ。わざわざ僕なんかと一緒にいたら変に思われるよ」 「お前なぁー」  そうこうしているうちにホームルームも終わり、先生はいつもクラスの中心にいる生徒たちと「旅行中のクラスリーダーどうする?」「お前やるか?」みたいな話をし始めた。  こうやって僕たちの知らないところで何もかも決まっていくんだよなぁと苦笑いをする。  まぁひっそりと教室の空気を構成する一員でしかない僕に、そういう役割が回ってくることはまずないので、彼らだけで勝手に決めてくれるに越したことはない。 「―─そうそう。それから旅行のしおりも誰かに作ってもらわないと」  先生が思い出したように言う。 「このクラスで絵が上手いやつって誰だ?」  ドキ、と心臓が鳴った。 いやいや、何を自惚れているのだ。ちょっとやってみたいな、なんて思うはずがない。そう、僕はただの空気なのだ。絵が描ける人なんて他にいくらでもいるだろう。 「えー、誰だろ」 「あたし絵は無理だな」 「私もー」 「倉木くんが上手いですよ」  ドッ、とひときわ大きく心臓が跳ねる。  赤い顔で会話の中心を見れば、由貴くんがこちらを見て笑っている。 「へー、倉木、上手かったんだ」 「じゃあしおり作成は倉木に頼もうかな」  「それでいいか、倉木ー?」と先生がこちらを呼んでいる。 「はっ、はいぃ」  僕は裏返った声で返事をした。   * * *  昼休み。僕が自販機へジュースを買いに向かうと、同じく飲み物を買いに来ていた由貴くんとばったり出くわした。 「あっ、秋人」  彼は僕に近づくや否や、持っていたペットボトルを首筋に当ててくる。 「ひゃあっ⁉」  バッと手で口を覆った。 「あはは、すげぇ声」 「ちょっと! みんなに変な目で見られたじゃん!」  彼は悪びれた様子もなく、ゴクゴクとペットボトルのジュースを飲み始めた。  僕も緩んだ頬をそのままに、隣に並んでカシュ、と炭酸の蓋を開ける。 「あっあのさ由貴くん」 「ん?」 「僕実はしおりの係やってみたくてさ。でも声を上げる勇気がなかった。今朝はホントにありがとう」 「俺がもっと秋人の絵見てみたかったってだけ。でもまぁ、推薦した手前、ちゃんと俺も手伝うから。絵は描けねぇけど行程表ぐらいなら作れるよ」 「由貴くん……‼」  フォローまで完璧すぎて頭が上がらない。  僕はいつになく張り切っていた。放課後になったらさっそく行き先の資料を集めよう。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

357人が本棚に入れています
本棚に追加