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修学旅行当日。僕は京都へ向かう新幹線の中から寝不足の眼を外に向けた。
旅行の前日に眠れないなんて小学生じゃあるまいし、とは思うのだけど、自由時間を由貴くんとたった二人きりで過ごすことになった僕の心境を想像してみてほしい。
「どうしよう真宮。やっぱつまんねー奴だって思われないかな」
僕は新幹線で隣の席に座る真宮の腕に取り縋った。
「お前がつまんねー奴だって思われようがどうでもいいんだよ。大事なのは相手を楽しませようって気持ちだ」
正論である。
「でもお前は挙動が面白いからつまんなくはならないと思うぞ」
「それ褒めてないよね⁉」
「励ましてんだよ。成瀬もお前のこと面白いって言ってたし」
「ゆ、由貴くんにまでディスられてる⁉ というか、なんで真宮が由貴くんと僕の話してるの」
「成瀬が俺に、秋人のこと教えてほしいって聞きに来るんだよ。あいつちょっと可愛いとこあるんだな」
「なっ!」
何それ知らない。一体何の話をしたのだろう。気になるけど、どうせ聞いたって教えてもらえない。
「まぁ頑張れ。俺は応援してるから。きっと上手くいくよ」
「ありがとう真宮……」
* * *
初日は班行動が主なので由貴くんと話す機会はそうないけれど、時々すれ違うことがあればこっそり手を振ってくれたり笑いかけてくれたりするので、何だかちょっとむず痒いような心地がする。
本番は明日。明日告白すれば恋人として隣を歩けちゃったりするんだろうか、なんて調子に乗ったことを考えてはぐっと堪える。
焦りは禁物だ。告白というのは然るべきタイミングで行わないといけない。失敗すれば、他でもない由貴くん自身に迷惑が掛かるのだから。
夜になって、旅館の部屋でスマホを眺めていると、由貴くんからメッセージが入った。
『明日はよろしく。楽しみにしてる』
ニヤニヤと頬を緩ませながら足を布団にバタバタさせていると、同室のメンバーから怪訝な顔をされた。
『僕も楽しみ。よろしくね』
『夕食美味かったな』
『美味しくて食べすぎちゃったよ。温泉どうだった?』
『オメガ専用の風呂、貸し切り状態だった。普通に満喫してた』
『いいなぁ』
『でも部屋は一人だとやることなくて暇かも』
『僕は五人部屋だから窮屈だよ。この際思いっきりくつろいだら?』
『そうする。じゃ、そろそろ休む』
『おやすみ由貴くん』
『おやすみ秋人』
スマホの画面を切って目を閉じる。由貴くんはずっと一人部屋みたいだ。本当にこの学年、由貴くん以外にオメガの生徒はいないらしい。
ちなみにアルファの生徒が部屋を行き来することは禁止されている。彼の安全のためにはしょうがないことだけど、せっかくの修学旅行で一人きりなのは少し寂しいだろうな。
* * *
翌朝。ついに自由時間がやってきた。僕はドキドキしながら彼の姿を探す。
「あっ、由貴く―─」
声を上げるや否や、彼はすぐに周囲の人たちに囲まれてしまった。
「ゆ、ゆきくん……」
人垣の外からあたふたとアピールしていれば、彼は人の合間をくぐり抜けてこちらへやってくる。
「行こう秋人!」
由貴くんは僕の手を取ってひたすら遠くへダッシュする。みんなの姿が見えなくなって、ようやく二人で息をついた。
「よ、よかったの……?」
「二人で回るって約束じゃん。ほら早く行こう」
僕たちは京都駅から電車に乗って嵐山へとやってきた。行き先は通話しながら二人で決めた。
電車に乗っている時から思っていたけど、さすが紅葉シーズン、とんでもない人の数だ。
「渡月橋だ!」
桂川に架かる有名な橋。素朴な見た目で好きだ。かの上皇が上空を移動する月を見て「月が橋を渡っているみたいだ」って言ったことから名付けられたんだって。そんな感性、僕にも欲しい。
それにしても人が多すぎて、渡るのに難儀しそうだな。
「秋人、見て。ボートがある」
由貴くんが指差す方向を見れば、橋の上流に何艘もの手漕ぎボートが浮かんでいる。なるほど、あれを漕いで向こう岸まで行けるのか。
めちゃくちゃ面白そう。けれど筋力も体力もない僕には不安しかない。
「観光客用のやつだし簡単だろ」
「ホントに……?」
「俺に任せてよ」
頼もしすぎる。そしてその言葉通り、由貴くんの漕ぐボートは水面をすいすいと進んでいく。
僕は彼の向かいに座って、すごい、速いと大騒ぎしながらカシャカシャとスマホで写真を撮った。
「何でいきなり漕げるの?」
「だから簡単だって。秋人もやってみなよ」
僕は由貴くんと場所を交代してもらい、意を決してオールを握った。
「よし、いくよ」
「頑張れ秋人。向こう岸まで連れてってよ」
「お任せあれ!」
オールを川につけて、それから手前に引っ張って……。由貴くんがやっていたのを見ていたので完璧だ。
と、思ったけどダメだ。どういう訳かその場でくるくる回転してしまう。
「左右同じように動かせばいける」
「こ、こう……?」
「回ってる回ってる」
「あっ、わかった、こうだ」
「回ってる。オールをもっと縦にして……」
「あっ! 進んだ!」
「いや、回ってるし流されてるだけ。…………ふっ、ふふ」
「ちょっと笑ってないで助けてよ」
「ごめ、ふっ、ふふふ」
由貴くんはツボってしまった。いやもう、由貴くんの笑顔が見られたので僕としては本望である。
しかし彼は一向に助けてくれないのでどんどん目的地から遠ざかっていく。
まぁいいや。こんなに楽しいなら何でもいいや。やがてお腹が空くまで、僕たちはボートを楽しんでいた。
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