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このクラスにオメガがいるらしい、なんて噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、校庭の木々が新緑に染まる頃だった。
何でも、第二次性の定期検診の結果が入ったデータをこっそり盗み見た生徒がいて、僕たちのクラスにオメガの生徒がいることがわかったのだそうだ。
セキュリティがそんなガバガバなことがあるかい、と思ったり、そもそもデータを見たくせに肝心の生徒の名前がまったくもって流出していなかったり、ツッコミどころは多々あれど、アルファばかりの僕たちのクラスに浮ついた空気が流れ始めたのは確かだった。
* * *
「オメガ探しをしよう」と一人の男子生徒が張り切り始めたのは、これまたある日の昼休みのことだった。
「いいな、やろうやろう」と忽ちクラスの中心生徒たちは盛り上がりを見せている。
他の生徒たちは無関心を装うも、やはり「オメガ」の存在に好奇を隠しきれないのかソワソワと周囲を窺っている。
オメガ。この世にたった〇・五割しか存在しない希少な性。
アルファと番になることで優秀なアルファを出産できる―─たとえ男性であってもオメガは出産が可能なのだ─―ことから、表向きは社会全体で尊重しようという風潮を見せている。が、実際には彼らを取り巻く視線には侮蔑が込められていることが多い。
オメガにしかない身体の特徴として、発情期と呼ばれるものがある。
このヒートの期間、オメガは生殖行為のことしか考えられなくなり、無差別にアルファを誘惑するフェロモンを振り撒くことになる。これにあてられたアルファも同様、目の前のオメガと子を成すことしか考えられなくなってしまう。
つまり互いに人間らしい理性を失い、獣のようになってしまう、というわけだ。
このヒートがあるから、オメガはアルファやベータのように普通の社会生活を送ることが難しい。自然、社会的地位は低くなり、オメガはあらゆる能力が低い存在としてみなされるようになってしまうのだ。
「ほんと、勘弁してくれよ」
いつものように一緒に昼食をとっていた真宮がうんざりとため息をついた。
「嫌な視線だよね。僕たち『ベータ組』の中からオメガを探し出そうとしてる」
「お前はそもそもベータですらないけどな」
「探し出してどうするの? 同じ入試受けて同じ基準でここの高校に入学してるのに。二次性なんて、どうだっていいんじゃないの?」
「単なる興味本位だろうよ。晒して祭りあげて『お前はオメガ』だって烙印押して、優越感に浸りたい。それだけ。あるいは―─」
ガラ、と教室の扉が開いて、手に飲み物を持った成瀬くんが戻ってきた。
「おお成瀬、遅ぇぞ。どこまで飲み物買いに行ってたんだ」
「別にそこの自販機だけど。どした?」
「噂だよ。このクラスにオメガがいるって噂。知ってんだろ」
「まぁ」
「成瀬は誰だと思う?」
成瀬くんは定位置―─教室の真ん中の席―─に座ってペットボトルのキャップを開けた。
「さぁ、知らねぇ」
「成瀬でも知らねぇのか」
「そもそも探し出してどうすんだよ」
成瀬くんが僕と同じ疑問を投げかけてくれたので、内心でガッツポーズをする。
「なんだよ、成瀬はオメガとヤリたくねぇのかよ」
「ちょっとぉ、サイテー」
周囲にいた女子たちがゲラゲラと笑っている。なんだ、なんなんだこの人たちは。
仮に噂が本当だとすれば、今この場でオメガの生徒は一連の会話を聞いていることになる。もし僕がオメガならもう学校には来られないぞ。
困ったように真宮の顔を見れば、彼も顔を顰めて教室の中心を睨みすえていた。
すると、成瀬くんがおもむろにペットボトルを置いて立ち上がる。
「そう思われるから、オメガは性別隠してコソコソしてなきゃいけねぇんだろ」
「はぁ? 何言ってんだ成瀬」
「成瀬ノリ悪いぞー!」
みんなが口々に不満を垂れる中、彼は再び教室を出ていってしまった。
一瞬、シンと気まずい沈黙が残された教室に満ちる。
僕と真宮も思わず顔を見合わせた。
「……アイツあんな冗談通じないヤツだったっけ?」
言い出しっぺの男子生徒がボソッと呟く。
「でもまぁ、成瀬の言うことも一理あるっていうか……」
「そうそう。ちょっとふざけすぎたんじゃない?」
女子を中心に、次第に「まぁ、成瀬がそう言うのならそうなんだろうな」という空気になってきた。
『ベータ組』のみんなはホッと安堵の息を吐いている。
僕は彼の出ていった扉の方向から、なかなか目を離すことができないでいた。
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