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 その日の放課後。僕は返却期限を過ぎた本があることに気が付いて図書室へと向かった。 「すみませーん」  チリン、とカウンターのベルを鳴らす。が、どこからも反応がない。図書委員がまだ来ていないのか、サボっているのか。ともかく僕はちょっとだけ待ってみることにして、本棚を物色し始めた。  今日は部活がお休みの日だ。  というのも、僕の高校は水曜日と日曜日を部活動休止の日と定めていて、この日は各自勉強に集中すべしというお達しが出る。  けれどまあ、大概の生徒は遊びに出掛ける。ちなみに僕は家に引きこもってゲームをしている。同じく引きこもり仲間である(と言うとなぜか怒られるが)真宮とボイスチャットを繋ぐこともあった。  美術関係の棚に行きついて、人体デッサンの本を手に取りパラパラと捲る。  学校の図書室の割には、専門分野の本もきちんと取り揃えられている。本を買うお金が無いときにここへ来れば、大抵のものはどうにかなるのである。  何冊か気になる本を手に取って机に向かう。今日、図書室には僕のほかに一人しかいないようだ。  その一人もシャープペンシルを握ったまま、ノートの上に寝落ちてしまっている。僕は彼を起こさないよう、そっと脇を通り過ぎようとした。……のだが。  この寝落ちている彼、どこからどう見ても成瀬くんだ。  僕はソワソワと彼の周囲を一周した。図書室に僕たちしかいないことは確認済み。いやしかし、あまりに不審だろうか。  寝顔は見えそうで見えない。もう少し目線を下げれば、あるいは……。 「倉木、何してんの?」 「うひゃっ⁉」  やばいやばい。最悪なタイミングで起こしてしまった。 「うん? てか俺、寝てた?」 「ね、寝てたよ」 「うわ、マジか。起こしてくれてサンキュ」  成瀬くんは大きく欠伸(あくび)をした。  違う、違うんです成瀬くん。ああ、無断で彼の寝顔を見ようだなんて、僕はなんて愚かなことをしてしまったんだろう。  それにしても。教室のいつもの席で軽く会話を交わすことはあっても、こうやって二人きりで話すのなんて初めてだ。そもそも成瀬くんはいつも人に囲まれているから、実はこれ、とてもレアな状況なんじゃないだろうか。 「な、成瀬くんって図書室で勉強してるんだね」  緊張して心臓がうるさく音を立てるが、僕はどうにか話題を見つけて言った。 「水曜日だけ。先生たちも部活がないから、わかんねぇとこ聞きに行きやすいし。今も質問行って、ちょっと復習しようと思ってたら、いつの間にか寝落ちてた」 「成瀬くんでもわからない問題があるんだ……」 「何言ってんの? 数学の今の範囲なんてほとんどわかんねぇんだけど。ホントもう、最悪だよ」  なんてことだ。僕は成瀬くんのこと、一回授業を聞けば瞬時にすべてを理解できる超人だと思っていた。だってあまりにも完璧だから、僕とは何か根本的に脳の作りが違うんだろうなぁ、とか考えたりして。  それがこうやって裏で一人努力していたなんて。ダメだ、ますますかっこいい。 「す、すごいね。ただでさえ部活忙しそうなのに、水曜日ぐらいゆっくり休もうとか思わないんだ」 「まぁ部活は好きでやってるだけだし……って」  成瀬くんはずっと眠そうだった目をぱちくりと見開いた。 「倉木、俺が何の部活やってるか知ってんの?」  いやいやいや、何をおっしゃいますか。 「バスケ部でしょ?」 「あぁ、うん。すげぇ、知ってたんだ。意外」  成瀬くんは本当に意外そうに驚いている。  バスケ部での成瀬くんの活躍は、学校新聞に写真付きで掲載されてるぐらいだから、知らない人なんか存在しないんじゃないかと思うんだけど。 「意外だった?」 「まぁ。倉木、俺のことあんまり興味ないのかと思ってたし」  何を言っているのだろう。何なら結構、いやかなり、あなたのことが好きだったりするんですけど。 「じ、じゃあ、逆に聞くけど、僕の部活はわかる?」 「漫画研究部」  なんと、即答である。そっちの方がよっぽど意外だ。 「し、知ってたんだね」 「今年の春、ポスター作って新入生の勧誘頑張ってたじゃん」  さすが、モテる人間は視野が広い。 「漫画描くの? 今度見せてよ」 「いや、実は僕、漫画も描くけど人物画が専門でして……」  本棚から持ってきた人体デッサンの本を机の上に並べて見せた。 「ほら、うちの高校ってなぜか美術部がないからさ。漫研の名前と部室だけ借りて、一人で細々と描かせてもらってるって感じで」 「人物画ってことは、実際のモデルを見ながら描くのか」 「そうそう。まぁ、モデルになってくれる人なんていないから、僕はいつも雑誌の切り抜き用意して、俳優さんや女優さんの絵を描かせてもらってる」 「ふーん」  成瀬くんは頬杖をついたまま上目遣いに僕を見た。 「倉木の絵、見たい。何か描いてよ」 「……!」  これが他の相手ならば「絵ってサッと描けるようなもんじゃありませんけど!」と文句の一つもぶつけていただろうが、成瀬くんに上目遣いで頼まれたのでは、僕はただ粛々とクロッキー帳を開くしかない。 「……モデル」 「え?」 「成瀬くんがモデルになってよ。……それなら、描く」 「……別にいいけど」  成瀬くんは首を傾げる。 「モデルって何すればいいの?」 「何もしなくていいよ。あっ、勉強の続きやってて。僕勝手に描くから」 「ふぅん。わかった。じゃ、楽しみにしてる」  成瀬くんが再びシャープペンシルを手に取ったので、僕も筆箱から鉛筆を取り出してクロッキー帳に取り掛かった。
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