第10話

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第10話

 遠ざかるタクシーを見送ってシドはハイファの金髪の尻尾に手を伸ばした。 「悪かったな、急で。仕事もハードだったのに気ぃ使っただろ」 「ううん、平気だよ。それよりリストとやらに僕も載ってるのかなあ?」  独りで置いていかれるのをハイファは心配しているようだ。 「別に他星系に行く訳じゃねぇんだ。そう心配するな。そんなに一緒に行きたいのなら、それこそ別室戦術コンにハックさせて自分の名前を割り込ませたらいいだろ?」 「あ、そっか。強引かつ非合法だけど名案!」  部屋まで待てずにエレベーターの中でハイファは別室カスタムメイドリモータを操作する。その気になれば星系政府管掌の個人IDまで覗き見できるシロモノだ。  十数秒で結果が出、シドの部屋に戻るとソファに座ってリストを繰る。 「捻じ込まなくても僕ら二人分あったよ。リストの一番下に取って付けたように」 「何だ、それ。超怪しい、嫌な臭いがぷんぷんすると感じるのは俺だけか?」 「もしかしてまた別室絡みだと思ってる?」 「お前は思わねぇのかよ?」 「うーん、惑星警察サイドの話だし、二人くらいで何かができるような事態じゃないし、でもヴィクトル星系のテロリスト相手なら別室が動いてもおかしくないし……分かんない。それよりこれ、リスト通りなら明日から出掛けるのに作り過ぎちゃった」  指したのは魚のフライ、皆、頑張ってくれたが目測を誤ったらしい。あらかたの片付けはキャスが手伝っていってくれたので、あとはこの揚げ物だけだ。 「またお得意のパウチかフリーズドライでもしとけばいいんじゃねぇか? どうせ俺らはどっか行って、帰ってこればクタクタっつーパターンが多いんだからさ」 「そうだね。もう日付が変わっちゃう、早くしないと」 「おっ、もうそんな時間か」  キッチンへと移動した皿の物体を、シドも手伝い見よう見まねで丁寧に包む。冷凍庫に収めるとプレートやその他の食器を洗浄機に入れてスイッチを入れた。  咥え煙草でシドはコーヒーを淹れる。香りが立ち込める頃には急な来訪者への興奮も醒め、ようやくいつもの自分に戻っていた。  ハイファはキッチンでの作業を終えて一時帰宅している。  まだ爆破テロを報じるTVを横目で見ながら、シドは煙草を咥えオイルライターで火を点けた。紫煙を吐きつつ今回の事件において、自分たちの立ち位置はいったいどんなものなのだろう、などと既に別室任務が下ることを想定している自分に気付き、一人で機嫌を悪くする。  一万人以上もの命を奪った敵に自分たちの正攻法が功を奏する訳がない。  幾ら大物でもテロリスト独りで殺し歩いても一万人は殺せない。故におそらく敵は大なり小なりの集団や手駒を使っている。そして彼らにとってこの闘争は戦争そのもので自分たちが昼間に扱った殺人事件のような感覚で同列に考えていると命取りだ。  母なるテラ本星、巨大テラ連邦のお膝元まで迫った敵は先に戦争を始めている。それを止め得るのはドラクロワ=メイディーンへの交渉及び説得、または彼の戦死による思想の敗北しかない。そしてここまで民間人にも被害が出た以上、テラは後者を望む筈だ。  完全テラフォーミングされているタイタンだが衛星で人が住める場所は限られていて、だがドラクロワ=メイディーンもしくは代理人の指揮官は上手く隠れおおせている。それを炙り出すために必要なのは美味しい餌の罠か、それとも偶然の『ストライク』か。  そこまで考えてシドは自分で自分の首を絞めるような思考を振り払った。心配するなとハイファに言ったのは自分だ。  それにハイファの言う通り、たった二人で何ができる訳でもない。もしテロリストと鉢合わせてもせいぜい銃撃戦くらいだと自分に言い聞かせる。  それこそ危険思想の持ち主だと思われるが、本人は全く意識せず日常を続けた。マグカップをふたつ出し、沸いたコーヒーを注ぎ分ける頃にはハイファも戻ってくる。 「何だよ、その大荷物は?」 「明日の着替えその他、お泊まりセットだよ」 「いつも泊まってるじゃねぇか」 「リフレッシャもお借りしたい……一緒に。だめ?」 「狭くても宜しければ、コーヒータイムのあとにご案内させて頂きますがね」  シドの心を蕩かすような笑みを浮かべるハイファにマグカップを握らせる。  カップを受け取るとハイファは二人掛けソファに腰掛けた。シドは向かいの独り掛けに座って、コーヒーに垂らした上物ウィスキーの香りを暫し愉しむ。 「いい人たちみたいだったね」 「いっつも泥だらけで落とし穴ばっかり掘って、三人雁首揃えて怒られたもんだ」 「キャスリーン=バレットを取り合いしたり?」 「ガキの頃の話に妬くなよな」 「幾ら僕でもそこまでは。でもシドの十二歳って僕と出会うたった四年前――」 「って、俺だって女と付き合った事ぐらいポリアカ出る前からあるぜ?」 「知ってるよ」  と、暗い目つきと暗い声でハイファはじんわりシドを睨んだ。 「七人も八人も取っ替え引っ替え……そのたびに僕はどんな思いをしたか!」  このスパイに訊けばとっくに苦い思い出となった女性の名を余さず口にされそうで古傷をこじ開けて塩を擦り込まれそうな気がしたシドは慌てて話題を変える。 「ところでハイファお前、惑星警察の制服はどうするんだ?」 「あ、知らなかった? 出向すると同時に貰ってるよ」 「へえ、一度も見たことねぇし、この前の総監賞授与式んときでも私服だったから持ってねぇのかと思ってたぜ。しかしあの時の副総監以下お偉いさんには笑ったな」 「あーたが『そのままでいい』とか言うから恥かいたんじゃない。今回は要るの?」 「仮とはいえ、結成時の式典めいたモンも一応はあるだろうし、私服配属になるとは限らねぇしな。実際、交番の箱詰めになるかも知れないぜ?」 「ふうん。でもシドこそ制服、いつもの『巣』で丸めて枕になってるんでしょ?」  シドの巣とは喩え真夜中でも捜査にいそしむシドが、自身で引っ張ってくる被疑者以外に住人などいない留置場の一室にこさえた仮眠所兼休憩所だ。そこに篭もっていればストライクしないので、ヴィンティス課長を始め機捜課員の誰も公私混同を咎めはしない。  二十四時間殆ど一緒に行動しているのに、少し目を離すといつの間にか層を成す汚部屋となっているという、ハイファにとっては非常に謎な部屋でもあった。 「明日持って帰ってプレスの速配頼めばいいだろ」 「そうやっていつも焦るくらいなら、他のモノ、枕にすればいいのに」 「あれが一番、具合がいいんだ」 「急に必要になっても知らないから。でも普通は二組貰わない?」 「一組はだめにしたまま、一組はこの前お前が申請してくれたヤツだ。これが枕」 「何で一組ダメにしたの……って、色んな想像が湧くなあ」 「風穴が幾つか空いたから廃棄。さすがにそのときは入院したが、看護師に『これ、どうする?』って訊かれてもな。あれ着て歩いたらスプラッタで通報されるぜ」 「それで対衝撃ジャケットかあ。でもそんな大怪我したんだね。知らなかった」 「お互い忙しかったからじゃねぇか? あのときは官舎もこことは違ったしな」  空になったカップふたつを取り上げ、シドはキッチンに持っていくと洗浄機に入れ蓋をしスイッチを入れる。その背にハイファは抱きつき頬を押し付けた。  「貴方が痛い思いをするくらいなら、僕が痛い方がいい」 「俺はお前が痛い思いをするくらいなら、自分が痛い方が百倍マシだ」  ハイファの腕の緩い縛めを解いて向き直り、どちらからともなく唇を重ねる。
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