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第1話
今日は大雨が気象制御装置の稼働対象となり霧雨となった。
だがこんな日だというのに行きがけに一件、挙動不審者に職務質問したら不法入星者にヒットして入星管理局の役人に引き渡したりしていたものだから、シドもハイファもリンデンバウムに足を踏み入れたときには髪から雫を滴らせていた。
二十四時間営業の店内に入るなりシドがマスターに訊く。
「マスター、ランチ残ってるか?」
衝撃吸収ゲルが挟み込まれてタダでさえ重い対衝撃ジャケットもずぶ濡れだが、そんなことは意に介さずシドはそのままいつものカウンター席、奥から三番目に腰掛けた。
その更に奥が、トレンチタイプのレインコートを脱いでドレスシャツにソフトスーツ、ノータイ姿という姿になったハイファの指定席である。
寡黙なマスターは黙って油を満たしたフライパンをヒータにかけて温め始めた。
「よかったー。ストライクした上にランチも逃がすかと思ったよ」
「だからハイファ、お前までそういう言い方するのはやめてくれって」
「だって貴方が驚異の確率男・イヴェントストライカなのは本当のことだもん」
嫌味な仇名を口にされtたシドはポーカーフェイスながら相棒を睨みつけた。
シドこと若宮志度は地球標準歴で二十三歳。
ハイファことハイファス=ファサルートも同じく二十三歳。
共に太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事である。
正確にはハイファは現役軍人であり、テラ連邦軍中央情報局第二部別室から惑星警察に出向中の身の上だ。所属する機動捜査課でその事実を知るのはヴィンティス課長とバディのシドのみという軍機、軍事機密なのである。
別室任務で、とある事件を捜査するために軍・警察という組織の枠を超え、ハイファがシドと初めてバディを組んだのは数ヶ月前のことだ。
その事件で敵のビームライフルからシドを庇い、ハイファが死にかけたことをきっかけとして、出会って以来七年間もハイファから一方的なアタックを受け続けていた完全ストレート性癖のシドがとうとう『堕ちた』のも記憶に新しい。
イヴェントストライカなどという道を歩けば、いや、表に立っているだけで事件・事故にぶち当たる、謎で不吉な特異体質のために日々が異常にクリティカルなシドはお蔭で組む者もなく、それまでずっと単独で捜査を続けてきた。
そんなシドの長年の願いであったAD世紀からの倣いである『刑事は二人で一組』というバディシステムは、ハイファの出向によって叶えられたのだった。
叶えられたのはいいのだが、ハイファが籍を置く別室は未だに任務を振ってくる。そしてそれはイヴェントストライカなどという、言い換えれば『何にでもぶち当たる奇跡のチカラ』を当て込み、今ではシドにまで降ってくるようになったのだ。
「それ、重い?」
「え、ああ、こいつか。別に物理的に重たくはねぇんだが、気分だ気分」
無意識に振っていたのは左手首、そこに嵌ったリモータをシドは眺めた。
リモータは現代の高度文明圏に暮らす者には必要不可欠な機器だ。携帯コンでもマルチコミュニケータでもある腕時計型のこれは、様々なリモートコントローラとしても現金を持たない現代人の財布としても機能する。
これがなければ飲料一本買えず、自宅にも入れないという事態に陥るのだ。上流階級者などはこれに護身用の麻痺レーザーを搭載していることもあった。
今、シドの嵌めているガンメタリックのリモータは、惑星警察の官品に限りなく似せているがそれより大型で、ハイファのシャンパンゴールドと色違いお揃いの別室と惑星警察をデュアルシステムにした別室カスタムメイドリモータだった。
これは暫く前に別室から送られてきた強制プレゼントで、深夜に寝込みを襲うように宅配され、寝惚けて惑星警察のヴァージョン更新と勘違いし嵌めてしまったという経緯がある。気付いて外そうとしたときにはもう遅い。
別室リモータは一度装着して生体IDを読み込ませてしまうと、自分で外すか他者に外されるかに関わらず『別室員一名失探』と判定した別室戦術コンがビィビィ鳴り出すようになっているという話で、迂闊に外せなくなってしまったのだ。
その代わりにあらゆる機能が搭載され、例えば軍隊用語でMIA――ミッシング・イン・アクション――いわゆる任務中行方不明に陥っても、部品のひとつひとつにまで埋め込まれたナノチップが発振し、テラ系有人惑星なら必ず上空に上がっている軍事通信衛星MCSが信号をキャッチするので、捜して貰いやすいという利点もある。
おまけにハッキングなども手軽にこなす便利グッズでもあった。
だからといって何故刑事の自分がMIAの心配をせねばならないのか、どうして司法警察職員の自分がハッキングを必要とするのかが、シドには分からない。
いや、そんなモノが必要となる事態にこれから先も放り込まれると思うと、リモータが重いのではなく気分が非常に重いのである。
そもそも別室は軍中央情報局の隷下にあるフリをしているが、じつはテラ連邦議会の意を直接受けて暗躍する、決して表には出ない影の集団なのだ。
曰く、『巨大テラ連邦の利のために』。これを合い言葉に目的を達するためなら喩え非合法な手段であってもためらいなく執る超法規的スパイの実働部隊である。
そこでは汎銀河で予測存在数がたったの五桁というサイキ持ち、いわゆる超能力者をも複数擁し、日々諜報と謀略の情報戦を繰り広げているのだ。
そんな所でサイキ持ちでもないハイファが何をしていたかと云えば、やはりスパイだった。宇宙を駆け巡るスパイだったハイファは時折ノンバイナリーを意識し、バイセクシュアルである身とミテクレとを武器に、敵をタラしては情報を分捕るという、かなりえげつない手法ながら、まさにカラダを張って任務をこなしていたのである。
それが突如として任務遂行が不可能となった。七年越しの想いを実らせた結果、敵をタラしてもその先ができない、平たく云えばシドしか受け付けない、シドとしか行為に及べない躰になってしまったのだという。
すっかり使えなくなってしまったハイファは丁度その頃別室戦術コンが『昨今の事件傾向による恒常的警察力の必要性』なる御託宣を弾き出したのをきっかけに、惑星警察に刑事として出向という、体のいい左遷と相成ったのだ。
だがここに至って出来上がったシドとの二十四時間バディシステムに喜びを感じこそすれ、文句など何処にもない。どれだけクリティカルな毎日であっても誰も欲しがらないシドのバディという座を死守する構えなのである。
寡黙なマスターがカウンター越しにプレートを差し出し、ハイファが受け取った。
「わあ、美味しそう」
シドの分までセッティングして二人揃って行儀良く手を合わせてから食べ始める。
単独時代からシドの行きつけの店であるここリンデンバウムは、夜はジャズが流れるバーとなるが、合法ドラッグ店などが立ち並ぶ裏通りにあるせいで、昼間の今はファストフード店のような喧噪とも無縁だ。お陰で静かなのが気に入って今では二人して常連になっているのである。
だが今日に限っては客が点けたのかホロTVが背後の中空に投影されていた。
ラジオのように音だけ聞きながらシドはチーズを挟んだチキンカツにかぶりつく。
「あー、旨いわコレは。午後からのカロリー充填だぜ」
「この、マスタードの効いたソースがいいよね。ちゃんと野菜もついてるし」
「ドレッシングがいいから食える」
「貴方がそう言うなら今度これ再現してみようっと。野菜嫌いのあーたには手を焼いてますからね。あ、このカップスープも美味しい。あったまるなあ」
公私に渡ってシドの女房役を自認するハイファは酔わないとはいえ放っておくと夜はアルコールで全てのカロリー摂取を済ませてしまう愛し人の世話をあれこれ焼くのが嬉しいのだ。日々、夕食のメニューに心を砕いている。
二人があらかた食べ終える頃にはシドの黒髪も、ハイファのシャギーを入れてうなじで縛った明るい金髪のしっぽも乾き始めていた。
ランチについてくる飲み物はコーヒーにしてそそくさとシドが煙草に火を点けていると、テーブル席の方から溜息とも、どよめきともつかぬ声が響いてきた。
「何かニュースかな?」
ハイファがリモータアプリの十四インチホロスクリーンを立ち上げる。コーヒー二人分をシドが受け取っている間に電波帯を合わせた。
「爆破テロだってサ。何処だろこれ……わあ、宙港だよ。タイタンの第六宙港」
「マジかよ? テラ連邦のお膝元で、やられたな」
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