ドロシーのシンドローム

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ドロシーのシンドローム

昔、この土地は土葬だからと、パパは言っていた。 隣で疲れ切っていたママは、暗い顔でうつむいて、特別な意思表示はしなかった。 私は14歳だけど、土葬より火葬が好きだ。 だって、後腐れなくて良いもの。 ちいさな墓標で泣き崩れたママの背中は、壊れかけのブリキの人形みたいに頼りなくて、パパの掌は、羽を広げた蝶々みたいに大きくて逞しくて、ママの全部を包み込んでいるようだった。 私の家族は、どこにでもいる、どこにでもある普通の家庭。 ヴィボルカンヌ州カスケリアで、ちいさなバーガーショップを営んでいる。 常連さんがほとんどだけど、トラックの運転手さんや、無料券を持ってるお巡りさんもよく来るの。 大きな身体の大人たちが、チーズバーガーを頬張る横顔は面白いから、私はそっと近付いて、お掃除をしてるふりをしながら観察している。 誰も気には止めないわ。 此処はそんな土地。 息はし易いけど、他人だらけの生きづらい場所。 ママはとにかくすぐに泣くの。 映画や小説、歌やイラスト、どこだって泣くわ。 風に飛ばされたお洋服が、道路に落ちていた夏の日の朝も、 「なんだかかわいそう」 と、言って、涙をぽろぽろ零していたわ。 パパは、 「可哀想なお洋服だね、さ、ドロシー、涙を拭いて。お巡りさんに届けに行こう」 「ありがとうジェイソン、私、最近疲れているのかしら?」 「色々あったからね、さ、立てるかい?今日はゆっくりで良いから、店の方はザキトワとユーリーに任せてあるから心配ないさ」 「そうするわ、あなたはどうするの?」 「車でケンジのとこへ行ってくるよ。旨いチーズが入ったんだって!」 「そう…」 あとでわかったんだけど、この時ママはイヤな予感がしたらしいの… 学生時代のパパはバスケットボールの選手で、身体つきも逞しく、かなりの人気者だったみたい。 その代わり、心はガラス細工みたいに壊れ易いわ。 それは今でも変わらない。 気持ちが滅入った時にはおくすりをたくさん飲んだり、鍛え上げた素敵な身体を傷つけながら、自分を肯定して生きるのが精いっぱい… だけど、ママと出逢って、お互いに支え合う生き方を知ったようだわ。 それでも無理な時は、ハイウェイを車で走っていたの。 それも、かなりのスピードで。 ケンジのお店に向かう途中も、パパはアクセルをめいっぱい踏み込んでいたわ。 市販の鎮痛剤の、空っぽのケースが書斎から見つかったから、パパはずっと辛かったんだと思う。 ンジャナメの木に激突したパパのスポーツカーは、もとの形がわからないくらいに焼け焦げて、パパの身体は、キャンプ場で残された木炭みたいにちいさくなっていた。 「置いてかないで、ジェイソン、置いてかないでよ…何故私を連れていってくれないの…どうしてひとりぼっちにするの!」 憔悴しきったママの背中に、私はぎゅって頬をよせたけど、蝶々にはなれなかったから、私もいっしょに泣いてあげた。 「私がそばにいるじゃない!」 とは、言えなかった… ごめんね、ママ。 世界でひとりぼっちにされたママは、あまり喋らなくなった。 朝晩、必ず話しかけてくれたのに、それもなくなって、お酒ばかり飲んでは泣き続けていた。 「ママ、からだに悪いよ!やめてよママ!」 私の言葉は届かない。 お店も臨時休業ばかりになって、ママは日暮れ前に出かけて、陽が昇る時刻に帰宅するようになった。 顔はやつれて、髪の毛にも艶がなくなって、肌も荒れていた。 私の綺麗なママ。 どこにいったの? 私に語りかけてくれた素敵な声、頭を撫でてくれた美しい指先、おはようのキスとおやすみのキス。ママとパパに挟まれながら、夢の中で大冒険した日々… ねえ、ママ。 どこへ行くの? 私をこの場所に置き去りにして、何処へ向かうの? この土地は、9月になると砂あらしに見舞われる。 空も大地も赤茶けて、風見鶏はいつも忙しない。 私の大好きなママは、お家で知らない若い男とセックスをするようになった。 その時だけは、ベットルームに飾られた家族写真を伏せている。 「愛してるよドロシー」 それが男の決まり文句。 私は叫ぶけど、ママには全然伝わらない。 「ママ!騙されないで!」 罪悪感を誤魔化すママの顔は、氷よりも冷たく感じた。 黒猫のミセスダイアンは、カスケリアの守り神。 なんでも知ってるけど、天邪鬼な野良猫。 私はママを助けたくて、家の前をちょこちょこ歩いているミセスダイアンを呼び止めた。 すまし顔のミセスダイアンの好物は、人間の不幸話だから、ママの話や、死んだパパの物語と引き換えに、言葉を伝える方法を聞き出すのは簡単だった。 「ママに伝えたいの、私の言葉を届けたいの!」 「うふふ、まだ甘いわね、届けたいのとは恐れ入ったよ。お前は何様なんだい?」 「…え?」 「心だよ、まっさらにして、大好きだった温もりを思い出しながら言葉になさい」  「難しいわ」 「大丈夫よ、ナスターシャ、貴女なら大丈夫」 「自信ないわ…」 「そう…」 ミセスダイアンは、勿体ぶった言い方で、 「それなら、貴女のママの病状を言うわ、ドロシーは病気よ。人間達だけの病、風船みたいに大きな頭になったからそうなったのよ。所謂脳の病気、心のの病ではないわ。知ってる?心なんて臓器はないの、全てはブレイン。アルコール依存症、セックス依存症、対人恐怖症、双極性障害、適応障害、パニック障害、まだまだあるわ。彼女はね、とにかく淋しいの。苦しいの。色んな男とセックスするのは自分の存在感意義の証明。アルコールに頼るのは現実逃避、だけどそれは悪いことじゃないわ。乗り越えて仕舞えばいいのよ。そうすれば悪いことじゃない・・・対人恐怖症はね、セックスだけの相手に、こっ酷く裏切られた証明!皮肉よね。適応障害は…同じ職場の同僚の視線や言葉のせいよ。発した相手も悪気はないの、だから厄介なの。ほんと、人間ってめんどくさいわね、私みたいな野良猫の方が・・・」 「もういい、聞きたくない」 「あら、そう…」 「うん…」 「そんな暗い顔しないで、人間ってね、頭がいいけど自分に不誠実なの、罪深い生き物なのよ」 「不誠実…」 「そう、もっと己を愛さなきゃ」 「…」 「ありがとう、美味しかったわ蜜の味」 そう言い残して、ミセスダイアンは壁をすり抜けて行った。 風見鶏は相変わらず忙しなくて、白夜は私の心を惑わせた。 ミセスダイアンは、屍者の水先案内人とも呼ばれている。 パパが死んだ日も、ミセスダイアンはそこにいて、パパをもとの綺麗な身体にして私に逢わせてくれた。 私は部屋でくつろぎながら、ごく自然な流れでパパを見送ったけど、 「ナスターシャ、君はまだ留まるのかい?」 と、言うから、 「うん、ママ危なっかしいから、もう少しだけ」 「そっか、ドロシーはあれでいて、けっこうしっかり者だから、君もほどほどにして、またリセットしよう、向こうで待っているから」 「うん…」 私は現世で14年しか生きてないし、血液の病気でパパやママにはたくさん迷惑をかけたから、なんとか守り子神になって、ふたりを助けたかった。 だけど、案外あっさりと終わる人間の生命に、考えが追いつかないし、パパを救うことも出来なかった。 だから、ママは守ってあげたい。 ママがおばあちゃんになって、にこにこ笑いながら生命を終えた時に、私はママと一緒にパパのとこへ行きたいから。 沈まない太陽と、顔色の悪い月。 年またぎの幽魂祭で打ち上がる大花火。 土葬された屍人が、蘇らないようにする為に、大きな花火を打ち上げて、音と光でびっくりさせるんだって。 此処は危ないよって… そんないわれもお構いなしに、ユカタ姿の女の子達は、焼きたてのとうもろこしを食べながら、通りを行き交っている。 男の子達は、シルクハットにダンスシューズ。 踊りが上手い子が、その年のナンバーワンサプールになれるの。 もちろんお洒落も大事。 年配の人達は色々と口五月蝿いけど、私はこれで良いと思う。 だって生きているんだから、貰った時間は楽しまなくちゃ。 その一方で、ママは生命を浪費し続けている。 バーガーショップもなくなって、そこに集う人達の顔も見れなくなった。 床に転がる大量のおくすりの瓶と、間接照明に照らされた天井の蜘蛛の巣は、私のあたたかな家族の想いで削除しようとしてる。 ママはいつも半裸に近い格好で、点けっぱなしのブラウン管テレビから流れ出る、会ったこともないタレントと話をしてる。 出窓から差し込む陽光と月光。 花火の音が空々しいから、私は叫んだ。 「ママ!戻ってよ!ママ…ねえ、ママ、私がいけないの?私が先に死んだのがいけないの?ごめんねママ…だけど、私だって…私だって…まだ生きたかったもん」 私の声は届かない。 外からは、無神経な声が聞こえる。 「おい、この化け物小屋の女主人見たことあるか?」 「ねえな、だけどマトモじゃねえんだろ?誰とでも寝るっていうじゃねえか?」 「ああ、生活保護たんまり貰って、遊び放題なんて羨ましいぜ!」 私は窓に手をかざした。 年配の男達が、興味ありげなイヤラシイ顔で室内を覗き込んでいる。 血の涙が、私の頬を伝う。 怒りがおさまらなくなって、 「みんな消えちゃえ!」 と、叫びそうになった時、ミセスダイアンが私の背中に体当たりをしてきた。 「怒りはだめ!絶対にダメ!!」 きょとんとしてる私の頬に伝わる、ミセスダイアンの冷たい肉球。 ミセスダイアンの声は優しかった。 「ナスターシャ、怨念になっちゃおしまいだよ、それよりも、このままでいいから、ずっとママを見守ってあげなさい」 「でも、声が届かないじゃん!」 「いつか届くから…」 「届かない!」 「届くわ」 「届かないよ…」 私の血の涙は、透明な涙へと変わっていた。 ママは、時折身体を揺らしながら、独り言を呟いている。 足元に転がるおくすりの瓶、 「ファッツアルメキシア」 は、パパが最期を迎えた時に飲んでいたものだ。 病状を問わず、多様な依存症からくる症状を緩和して、苦痛を和らげる作用があるらしい。 ママは、おくすりの効果を期待してるのだろうか? ということは、自分が病に侵されているのを自覚している… 私はミセスダイアンに、人間のわからない部分を聞いてみようとしたけれど、その姿は幽魂祭の霞の中へ消えていた。 「ママ、聞いて…」 私は、屍人のようなママの身体に擦り寄って、昔みたいに膝の上にちょこんと座ると、 「私ね、こうしてた時間が1番幸せだったの。ちいさな公園に捨てられた私を、ママとパパは笑顔で迎え入れてくれた…嬉しかったな…私ね、ママのそばにいるよ。だから、お墓の前では泣かないでね。ずっといるんだ。そしてね、ママがおばあちゃんになって、もういいかなって時に、一緒にパパのとこへ行くの…」 私の頭の上に、冷たい雫が落ちた。 見上げると、ママはしくしく泣いていた。 肩を震わせて、歯をギシギシさせながら、 「ごめんね…ナスターシャ…ごめんなさい…ジェイソン…」 そう、呟いている。 私は一瞬、言葉が通じた気持ちになった。 自慢の長いカギ尻尾も、左右に揺れ始めていた。 懐かしくて儚い想いでに浸りたくて、しばらく香箱座りでいると、ママのやさしい指が、私の頭と耳に触れた。 過去と現実が重なっていくー 昔、この土地は土葬だからと、パパは言っていた。隣で疲れ切っていたママは、暗い顔でうつむいて、特別な意思表示はしなかった。 私はまだ14歳だけど、土葬より火葬が好きだ。 だって、後腐れなくて良いもの… それに、想いでは永遠にアップデートされるから、目を閉じると素敵な景色だけが見えるの。 心細い帰り道、淋しすぎる朝焼け、虚しいだけのキッチン、許せない青空と、自分だけの消せないフィルム。 数年前のあの日、私とママは確かに言葉を交わしたと思う。 ママは、家族写真に写る私やパパに、時折話しかけてくれるようになった。 病院へ通いながら、もとの生活に戻る訓練もしている。 だけど、まだまだ危なっかしいから、私はそばにいるつもり。 依存症を断ち切るおくすりに頼り過ぎたママは、依存症を断ち切るおくすりを飲まずに済むおくすりを買おうか悩んでいたもの。 もちろん、お医者さんにはこっ酷く怒られたみたいだけど。 おしまい
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