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第1話 あの日に帰りたい
俺は街かどで急に抱き着いてきた老人を、乱暴に突き飛ばした。
老人はずいぶんと汚い身なりをしていた。
汚なすぎて判別しづらいが、服に俺の母校のブレザーに似たエンブレムが付いている。
「これから親友の結婚式だってのに、何してくれてるんだよ」
俺は怒りにまかせて老人の腹をつま先で蹴った。
老人が腹を抱えてうずくまる。
何かを言っている。
「あ? なに? テメェがぶつかってきたんだろ! クリーニング代請求されないだけマシと思えよ」
俺は吐き捨てた。
老人がこちらを見て何か言う。
「お前は失敗するな」
「……は?」
もう一度蹴ろうとしたが、老人はよろめきながら街中に消えていってしまった。
「いけね、時間に遅れちまう」
俺はじいさんを追うのをあきらめ、きびすを返し目的の結婚式場に向かった。
◇◆◇◆◇
「新郎新婦の入場です! 盛大な拍手をお願いします!」
俺は形ばかりの拍手で新郎新婦を見送った。
『小山敏夫』と『上川加奈』だ。
二人とも俺の学生時代の友人だ。
加奈は小学校時代からの知り合いで、敏夫とは高校で知り合った。
どちらも大切な友人だ。
今日はそんな二人の結婚式。
めでたい。
たいへんめでたい話ではあるのだが、実のところ、俺の心は複雑だった。
俺は小学校からずっと加奈が好きだった。
それなのに、高校で知り合った敏夫にかっさらわれた。
敏夫とは仲が良かったし、それで関係が悪くなることも無かったが、彼らが付き合っていることを知ったとき、やっぱり俺の心はドス黒くなったものだ。
もちろん、それを当人たちに気取られるような態度は取らなかったがね。
「お二人の交際のスタートは、高校二年生のときの文化祭での、敏夫さんからの告白だったそうです」
二人の幼いころからの写真をバックに、司会者の馴れ初め紹介ナレーションが入る。
列席者が拍手する。
そうだった。
俺があのとき相談に乗っていなければ、お前らは今そこで笑ってなんかいられなかったわけだ。
もしかしたら、加奈の隣に座って祝福を受けていたのは、俺だったのかもしれなかったのに。
……ちょっと酔いが回っているみたいだ。
「飲め飲め敏夫」
俺は高砂の敏夫のところに行ってビールを注いだ。
「ありがとう哲也。お前も飲んでるか?」
「浴びるほど飲んでるよ。今日ほど、めでたい日は無いからな」
「飲みすぎるなよ」
敏夫が笑う。
続けて俺は加奈の隣に来た。
「てっちゃん、今日はありがとね」
「加奈、綺麗になったな。敏夫にはもったいねえよ。今からでも俺と一緒にならないか?」
ほんの少しだけ願望を込めて言ってみる。
もちろん、断られることは織り込み済みだ。
「やだ、てっちゃん、酔いすぎよ。ほどほどにしなさいよね」
加奈が笑って酌を受けた。
そうだな。
過去は取り戻せない。
『if』なんて世の中には存在しない。
そんなことは分かっている。
今日は特別な日だ。
人生で一番残酷な日だ。
痛飲して忘れちまえ。
俺は自分の席に戻ると、何杯目かの酒をあおった。
◇◆◇◆◇
「過去を変えたいか?」
気付くと俺は、繁華街の外れのゴミ捨て場で寝っ転がっていた。
はて、どうしたんだっけ。
そうか、三次会が解散してここで休憩していたんだっけ。
前を見ると、どこかで見た老人が立っていた。
……思い出した。
行きで俺にぶつかってきた老人だ。
「後ろにある雑居ビルの一階通路を進むと、突き当りにエレベーターがある。そこでこのカギを使え。ルールは二つ。『戻れるのは三回まで』ということと『九時間以内に戻る』ということ。それを破るとペナルティが課される。ゆめゆめ忘れるな」
何を言ってるんだ、この老人は。
頭がおかしいのか?
「おい、あんた、どうした?」
表を掃除中だったらしい隣のコンビニ店員が俺に声を掛けてくる。
「あれ? じいさんは?」
「なんだ酔っぱらってただけか。やれやれ」
店内に戻るコンビニ店員を見送った俺は、ふと手の中のものに気付いた。
カギだ。
俺は、老人の言葉を思い出した。
振り返って雑居ビルの看板を見る。
『ハッピーターンビルヂング』と書いてある。
俺は注意深く中に入った。
左右にいくつもドアがあるが、看板は出ていない。
俺は用心しつつ、突き当りの古臭いエレベーターの中に入った。
正面の大きな鏡に、ヨレヨレのスーツを着て無精ひげを生やした、ひどい恰好の俺が映っている。
ドアが閉まる。
注意深く箱内を探した俺は、階数ボタンの下のカギ穴を見つけた。
いやいや、これはメンテナンス用のカギ穴だろう。
俺はどうかしている。
あんな老人のたわごとを信じるのか?
そう思いながらも、俺はカギ穴にカギを入れる衝動を抑えきれなかった。
入った。
ゆっくりカギを右に回すと、そこにあった小さなフタが開いた。
中にボタンが二つ付いている。
早戻し、早送りのマークだ。
俺は試しに、早戻しのボタンを押してみた。
すると。
一気に下降した。
体感で分かる。
俺は慌てて階数表示を見たが、一階のままだ。
でも下降している。
三十秒ほどで落下感が終わり、ゆっくり停まった。
扉が開く。
俺は恐る恐る扉を出た。
外に出て何となく違和感を感じた。
不意に喉が渇いて、そこにあった自販機にコインを入れようとして気付いた。
コンビニが無い。
コンビニがあった場所に酒屋が立っている。
そんなバカな。
さっきまでここにあったコンビニはどこへ行った?
表通りに出た。
俺の酒臭さに、通行人が道を譲る。
通りをキョロキョロ見回しながら歩いていた俺は、驚くべきモノを見た。
宝くじ売り場のカウンターに置いてある日付表示だ。
表示は、平成十八年十月十日となっている。
顔が引きつるのが分かる。
俺は置いてあった宝くじのチラシを一枚取ってポケットに突っ込み、その場を離れた。
雑居ビルまで戻ってくる。
意味が分からない。
何が起こっているんだ?
俺はエレベーターの開くボタンを押した。
開いたドアの中に、俺は信じられないものを見た。
正面に配置されている鏡に映っていたのは……高校生の俺だった。
見慣れた制服のエンブレム。
髪がグシャグシャだが、どう見ても十代の俺だ。
ドアが閉まる。
頭がおかしくなりそうだった。
行きに開けたはずの小さなフタが閉まっている。
俺は震える手でカギを回した。
頼む、開いてくれ。
フタが開くと、そこには先ほど見たボタンがあった。
さっきは早戻しボタンを押した。
ならば次は早送りボタンだ。
体に圧力が掛かる。
上昇する感覚がある。
俺は行き同様、階数表示を見た。
一階のままだ。
三十秒ほどしてドアが開いた。
エレベーターから転げ出る。
ドアが閉まっていく。
俺は慌てて振り返った。
鏡に写っていたのは……二日酔いのひどい表情をした三十代の俺だった。
混乱する頭を抱え、ビルの外に出た。
周囲を見る。
コンビニがある。
自販機もちゃんとある。
俺は、スーツのポケットに入っているチラシに気付いた。
開くと、『平成十八年十一月末日まで 〇〇スクラッチ』と書いてある。
あれは夢じゃなかった? 俺は過去に飛んでいた?
俺は混乱する頭を抱えつつ、帰宅すべく駅に向かって歩き出した。
◇◆◇◆◇
一週間後、俺は再びあの街に来ていた。
今度はシラフだ。
「過去を変えたいか?」
老人は確かにそう言っていた。
一週間、死ぬほど考えた。
もしあのエレベーターで本当に過去に戻れるなら、俺は何をする?
結果の分かっている賭け事でもやって大金を手に入れるか?
いや。今の俺には、もっと欲しいものがある。
俺は腕時計を見た。
朝九時ちょうどだ。
俺は例の雑居ビルに入った。
奥まで進み、エレベーターの中に入る。
正面の鏡に映るのは、間違いなく三十代の俺だ。
確かめてやる。
大丈夫、今の俺はシラフだ。
懐からカギを取り出し、カギ穴に差し込む。
右に回す。
フタが開く。
前回同様、そこには早戻しボタンと早送りボタンがあった。
俺は迷わず早戻しボタンを押した。
グンっと体に圧力が掛かる。
明らかに落下している。
階数表示は? 一階のままだ。
三十秒ほどして落下が止まり、エレベーターのドアが開いた。
俺は意を決して後ろを振り返った。
鏡に写っていたのは……高校時代の制服を着た十代の俺だった。
街に出た俺は、真っ直ぐ、前回寄った宝くじ売り場に向かった。
カウンターに置いてある日付表示を確認する。
表示は、平成十八年十月十日だ。
前回と同じ日に戻れている。
俺はそっとその場を離れた。
ここは十五年前の世界で、俺は当時高校二年生だったはずだ。
そして最も重要な点が一つ。
今日は文化祭だ。
敏夫が加奈に告白する運命の日だ。
潰してやる。
お前らが結ばれる運命なんて、絶対に認めない。
俺は絶対に、加奈と結婚する未来を手に入れる。
その為にこの世界に来たんだからな。
俺は腕時計を見た。
安そうなデジタル時計が腕にハマっている。
……何でこんなチープな時計を?
思い出した。
ちょうどこの時期、親から買ってもらった腕時計を壊して、商店街の電気屋で買った千円の安い腕時計を付けていたんだっけ。
慌てるな。
服が変わっている時点で想定出来たはずだ。
俺は高校二年生の頃に戻っている。
あの時の標準装備に戻っただけだ。
あのエレベーターにまた乗れば、三十歳の俺の標準装備に戻るだけさ。
俺は再度時計を見た。
九時半。
老人の言葉を思い出す。
『九時間以内に戻れ。でないとペナルティが課される』だ。
ペナルティが何なのか分からないが、従っておいた方が良さそうだ。
時間移動は朝九時に行った。
ならば、夜六時までに戻ればいい。
俺は今まさに、文化祭二日目が始まったはずの高校に向かって歩き始めた。
◇◆◇◆◇
「哲也、遅いぞ。寝坊か?」
内心ドキドキしながら、お祭り真っ最中の学校の中を歩いていた俺は、急に掛けられた声に慌てて振り返った。
敏夫だ。
若かりし頃の敏夫がそこにいる。
「ま、まぁな」
声が上ずる。
いきなりターゲットの一人に会ったんだ、びっくりもする。
「哲也、俺、お前のアドバイス通り、今日の後夜祭で告白しようと思うんだ」
敏夫が俺に耳打ちする。
「だ、誰に?」
「おいおい大丈夫か? 加奈に決まってるだろ」
ズン。
心の中に重い石が圧し掛かるのを感じる。
そうだ、俺はそれを阻止する為に来たんだ。
「敏夫、やっぱり今日は止めておかないか?」
「は? 俺、今日告白する為に心を決めてきたんだぜ? いまさらやめられるかよ」
「でも、今日は文化祭で疲れるだろ? また後日にしようぜ」
声がうわずる。
何とか告白を阻止せねばならない。
「いけね、そろそろ戻らないと。サッカー部でカップリングパーティやってるんだ。哲也もヒマなら来いよな!」
敏夫を見送った俺は、廊下に置いてあったパンフを手に取った。
必死に思い出す。
そうだ、加奈は教室で喫茶店をやっていた。
俺は加奈に会いに、教室に向かった。
「てっちゃん、遅いぞ! 寝坊したな?」
制服に白のエプロン、髪はポニーテール。
そこに、笑顔の天使、加奈がいた。
「……やっぱ可愛いな、加奈は」
「何か言った?」
「何でもない。コーヒーを一つと言ったのさ。さ、持ってきてくれよ、店員さん」
「はーい」
コーヒーを持って戻ってきた加奈は、そのまま俺の前の席に座った。
「おいおい店員さんよ、いいのか、そんなんで」
「まだお客さん少ないし、別にいいでしょ」
加奈は何か言いたそうにしている。
「どうした。何かあったか?」
「うん。あのね……相談に乗って欲しいんだけど」
何か煮え切らない。
「何だよ、俺と加奈の仲だろ? 何でも言ってみろよ」
嫌な予感を抑えつつ、俺は加奈を促した。
「サッカー部の小山くん。お友達なのよね? てっちゃんの」
「まぁな。で? 敏夫がどうしたよ」
「後夜祭で話があるって。……ねね、何だと思う?」
来た。これだ。
このフラグをへし折らなくては。
「あぁ、あの件かな? あいつ来期に生徒会に立候補しようとか言っててさ。加奈は今、生徒会で書記やってるだろ? それでアドバイスが欲しいとか言ってたぜ」
「あ、そうなんだ。あはは。わたし何勘違いしちゃってたんだろ。そうだよね。うん、そっか。あ、わたし仕事に戻るから。ゆっくりしてってね」
加奈はそそくさと暗幕の向こうに消えていった。
よし、これでフラグを一本折ることが出来た。
だがまだ安心出来ない。
次の手を打たなくては。
次に、サッカー部が借りている教室に行くと、そちらは大盛況だった。
ド派手な蝶ネクタイを付けた敏夫がカップリングパーティの司会をやっている。
敏夫の冗談に、会場がドっと沸く。
「ねぇねぇ、小山先輩、カッコよくない?」
廊下から眺めているギャラリーの中に、敏夫の追っかけの一人がいた。
確か夏美と言った。
敏夫はサッカー部でキャプテンを務めている。
そのせいか、追っかけも何人もいる。
そんな、何でも手に入るお前が加奈までさらっていくなんて、絶対許さない。
俺は夏美に近付いた。
「キミ、夏美ちゃん、だよね。知ってるよ、敏夫から聞いてるから」
「え?」
夏美がびっくりした表情で俺を見る。
さぁ賭けだ。
この子は俺と敏夫の仲を知ってるだろうか。
「哲也先輩! 小山先輩、あたしのこと何て言ってたんすか?」
食いついた。
「あいつが言うんだ。『俺の追っかけやってる子の中に、とっても可愛い子がいるんだが、どうすれば付き合えるだろう』って」
「小山先輩があたしのことを?」
夏美の顔が真っ赤になる。
もう一押しだ。
「そうだ! ちょうどカップリングパーティのメンバーを入れ替えるようだし、参加しちゃえば?」
「え? いや、無理無理、無理ですってば」
俺は内心イラっとしながら夏美を見た。
お前みたいなチャラそうな女とは話すのも嫌なんだよ。
余計な時間を取らせるなよ。
「敏夫! お前も参加しろよ!」
俺は廊下から教室に向かって声を掛けた。
「そうだ。キャプテンも楽しんでくださいよ!」
教室で助手をしていた後輩たちが食いつく。
「おい、お前ら」
敏夫が蝶ネクタイを外され、席に座らせられる。
「行ってきな。敏夫はキミのこと好いている。押せばイケるって」
俺は夏美に耳打ちして、背中を押した。
夏美は、もじもじしながら椅子に座る。
敏夫の代わりに蝶ネクタイを付けた後輩が大声をあげる。
「さ、本日二回目のカップリングパーティ、開催しまーす!」
俺は密かにほくそ笑んで、その場を離れた。
◇◆◇◆◇
俺と敏夫は夕暮れの教室で話していた。
敏夫と夏美は、あのカップリングパーティの結果、付き合うことになった。
聞けば、かなり積極的だった夏美に押し切られた形になったらしい。
これで加奈との線は切れた。
「加奈のこと、告白前で良かったな。これで心置きなく夏美ちゃんと付き合えるじゃないか」
「そう……だな」
敏夫が少しだけ悲しそうに言う。
お前が悲しむ必要は無い。
夏美が加奈の代わりをしてくれるさ。
「俺、用事思い出したから帰るわ」
そろそろ五時半だ。
ここからなら二十分で、ハッピーターンビルヂングまで行ける。
どこまでもふざけた名前のビルだ。
だが今は、俺がハッピーになって、未来にターンするぜ。
俺は敏夫にニヤケ顔を見られないよう注意しながら教室を出た。
◇◆◇◆◇
「哲也、あの後、大丈夫だったか?」
自宅で寝ていた俺は、寝惚けながら取ったスマホから流れる敏夫の声を聞いた。
「……敏夫か? どうした、こんな時間に」
俺は寝ぼけ顔で、壁に掛けてあった時計を見た。
ちょうど十二時だ。
過去への旅に疲れて、昨日は早めに寝たんだった。
「こっちは今、空港だよ。あの日、ずいぶん飲み過ぎてただろ? あいつも心配だったみたいで、帰国したらすぐ連絡とってみようって言うからさ」
「……あいつ?」
「加奈だよ。さっきハネムーンから戻ってきたんだ」
何を言っている。
敏夫と加奈が結ばれる未来はぶっ潰したはずだ。
あの結婚式は無かったことになったはずだろ?
自分の血が音を立てて引いていくような気がした。
「な、なぁ敏夫。お前と加奈の馴れ初めって何だったっけ」
目の前が真っ暗になりそうなのを必死にこらえて俺は聞いた。
「え? いや、だから後夜祭で……」
「あのときお前は、夏見と付き合うって言ってたろ!」
思わず怒鳴ってしまった。
「そっか。ごめんな、思い出させて。やっぱり呼ぶべきじゃなかったか? ほんの数時間とはいえ、お前の女房と付き合ってた男の結婚式なんて苦痛だったよな?」
電話口から、敏夫の鎮痛そうな声が聞こえてくる。
……何を言ってるんだ、敏夫は。
夏美が? 俺の? 女房?
「すまん、元女房か。半年前に間男と逃げたんだよな。そんな精神状態が良くないお前を結婚式に呼んで本当に済まなかった。心配で電話したんだが、やっぱりしばらく距離を置こう。済まなかったな」
電話が切れた。
吐いた。
胃の中が空っぽになるまで吐いた。
それでも吐き気がおさまらずに、胃液をげぇげぇ吐いた。
あれだけ苦労して敏夫と加奈の未来を引き裂いたのに、結局そこはくっついて、独身だった俺は敏夫の追っかけだった夏美と結婚?
しかもその夏美が浮気して間男と逃げてる?
そんな現実、許せるか!
絶対にぶち壊してやる。
冷静に考えろ、俺。
あの時俺は、学校を五時半に出た。
でもあの後、敏夫は夏美を振って、やっぱり加奈に告白したんだ。
そこまで見届けなかった。
だから、してやられた。
後夜祭は八時に終わる。
なら出発時間をずらそう。
十二時にタイムリープすれば、八時半まで学校にいられる。
八時までに敏夫が加奈に告白出来なければ、俺の勝ちだ。
絶対に過去を変えてやる。
俺は一週間後のタイムリープの日まで、綿密に計画を練ることにした。
◇◆◇◆◇
一週間後、俺は再び学校の前にいた。
日付は平成十八年十月十日。
間違いなく同じ日に戻ってきている。
時計を見る。
十二時半だ。
八時半にここを出ればいい。
待ってろよ、敏夫。
お前の運命を必ず捻じ曲げてやるからな。
◇◆◇◆◇
サッカー部の借りている教室に行ってみると、既に空だった。
カップリングパーティが終わっている。
俺はちょうど通り掛かった女生徒に聞いてみた。
「サッカー部は校庭で紅白試合してますよ」
いきなり計画が狂った。
俺は走って校庭に行った。
校庭は観客でいっぱいだ。
校庭の隅に置いてある得点板付きの時計を見る。
終わり間際じゃないか。
敏夫が敵選手のスライディングを華麗にかわし、ボールを蹴った。
ゴール!
ホイッスルが鳴る。
試合終了だ。
敏夫のゴールで試合終了。
こいつはいつもそうだ。
大事なときには絶対外さない。
ふざけやがって。
俺はギャラリーの中に夏美を見つけた。
一人で観戦していたようだ。
タオルを持っている。
「なぁキミ、夏美ちゃん、だったよね?」
「あ、哲也先輩。ちわっす」
夏美の返事に、内心イラっとする。
その軽さが嫌だ。
清楚な加奈とは大違いだ。
「なぁ夏美ちゃん。そのタオル、敏夫に渡さないのかい?」
「いや、いいっすよ。小山先輩は人気者っすから、あたしのタオルなんて……」
「いや、実は俺、敏夫から相談受けてるんだ。追っかけの一人に気になってる子がいて、どうすればその子と付き合えるかなってさ」
「そ、それで? それで?」
「どの子だよ? って聞いたら、キミのこと指差したんだよ。今タオル持ってったら喜ぶだろうな、あいつ」
夏美の目が輝きだす。
前回のタイムリープで、敏夫は夏美の押せ押せ攻勢に堕ちた。
これで今回も堕ちるはずだ。
「ほら、行っといで」
俺は夏美の背中を押した。
夏美はグラウンドで勝利の余韻をチームメイトたちと分かち合う敏夫のもとに走って行った。
俺と夏美が元夫婦?
冗談じゃない。
お前は敏夫と一緒になるんだよ。
俺は敏夫にべったりくっつく夏美を横目に見ながら、その場を後にした。
次に俺は、加奈の喫茶店に来た。
加奈がすぐに俺に気付いて寄ってくる。
「どうした、暇そうにして。売れてないのか? ここ」
「バカ。みんなサッカー部の紅白試合の方に行っちゃったのよ。おかげで開店休業よ」
俺にコーヒーを出した加奈は、そのまま俺の前に座る。
夏美と違って加奈は肌が白い。
制服にエプロンが本当によく似合っている。
十五年後、加奈は妻として、あるいは母として、こうしてエプロンを付けて誰かに料理を作ったりするのだろう。
だがそのとき、旦那として隣にいるのは俺でなくてはならない。
「そういえば、さっき敏夫にノロケられちまってさ。あいつ、下級生と付き合うことになったんだよ。ホントあいつのデレデレ顔、見ちゃいられなかったぜ」
加奈の動きが一瞬止まる。
「……そう……なんだ。わたし実は小山君に、後夜祭で話があるって言われてたんだよね。あれ、何だったんだろ」
加奈の声が心なしか震えている気がする。
「あぁ、あの件かな? あいつ来期に生徒会に立候補しようとか言っててさ。加奈は今、生徒会で書記やってるだろ? それでアドバイスを欲しいとか言ってたぜ」
「そっか……。わたし何勘違いしちゃってたんだろ。そうだよね。好きな子いたんだもんね。わたしったら自意識過剰でホントダメね」
目の端に光るものが見えた。
くそ。
「なぁ、俺じゃダメか?」
俺は加奈の手を握った。
まだ教室には人が少ない。
今なら誰にも見られない。
「てっちゃん、何言ってるの?」
「本気だぜ」
加奈の目を真正面から見る。
加奈の目が泳ぐ。
「わたし、考えもしてなかったから、どう答えていいか……」
「俺は小学校から十年、ずっとお前を見てきたんだぜ?」
「……本気なの?」
俺は黙って頷いた。
「……ちょっと考えさせて。何にしてもいきなりの話だもの。すぐ返事なんか出来ないわ」
「じゃ、後夜祭で返事を聞かせてくれよ」
「分かった」
俺はコーヒーを飲み干すと、席を立った。
焦りは禁物だ。
今度は絶対に失敗出来ないのだから。
◇◆◇◆◇
「で? 夏美ちゃんと付き合うことにしたのか」
「あぁ、まぁな」
校庭の隅で俺は敏夫に声を掛けた。
校庭の中央ではキャンプファイヤが焚かれて、その周りで生徒が思い思いに踊っている。
「俺、加奈に告白したぜ」
俺は敏夫に言った。
敏夫が激しく動揺しているのが分かる。
俺は真っ直ぐに敏夫を見て言った。
「敏夫、俺はお前に遠慮してた。親友の恋路を応援する為に自分の恋心を封印した。親友だから義理を優先した。でもお前は別の子と付き合うことにした。でだ。ここで俺はお前に問おう。お前は俺を。親友として。応援してくれるか?」
敏夫の目が泳ぐ。
だが逡巡の後、敏夫は言った。
「勿論だ。俺も親友として、哲也を応援する」
勝った!
「そっか、ありがとな、敏夫。じゃ、行ってくる!」
俺は敏夫を置き去りにし、加奈のところに向かった。
バックネット裏で加奈に再度告白をした俺は、無事、加奈のOKをもらった。
これで運命が変わった!
俺は運命に勝った!
そのとき、腕時計が鳴った。
八時半だ。
ヤバい、あのビルに戻らなければ。
「てっちゃん?」
加奈が不安そうに俺を見上げる。
離れたくない。
このままここにいたい。
だが落ち着け。未来に帰れば加奈は俺の妻となって隣にいるはずだ。
ここは心を鬼にして帰るんだ。
「加奈、すまん。大事な用を思い出した。俺はここで帰る」
「せっかく彼氏彼女になったのに?」
「明日また会えるさ。じゃあな」
俺は走った。
途中で商店街を通る。
電気屋のショーウィンドウに置いてあるテレビでニュースをやっている。
それを横目に、俺は角を曲がった。
ハッピーターンビルヂングに着いて腕時計を見る。
八時五十分。
間に合った。
ホっとしながら俺はエレベーターを開けた。
懐からカギを取り出す。
……カギ穴が……無い?
俺はさっきの光景を思い出した。
商店街の電気屋でニュースをやっていた。
あれは九時のニュースじゃなかったか?
俺は腕時計を見た。
よく見ると動いていない。
このポンコツ、まさか肝心なときに止まっていたのか?
俺は間に合わなかったのか?
背中を冷たいものが走る。
老人が言っていた。
時間に間に合わないとペナルティが課されると。
ペナルティって何だ?
何が起こるんだ?
俺の目の前の鏡に異変が起きた。
鏡に写った人物がみるみる歳を取っていく。
違う。歳を取っているのは俺だ。
本来の年齢を超え、ようやく鏡の中の変化が緩まったとき、鏡に写っていたのは、どこかで見たことのある人物だった。
俺が蹴飛ばした老人。
あれは俺だった!
よろよろとビルを出た俺の前方から三十歳の俺が来る。
思わず、俺は俺にしがみついた。
腹に鋭い痛みが走る。
俺は俺に蹴られている!
俺は慌ててその場を後にし、人ごみにまぎれた。
確かもう一回、俺は俺に会ったはず。
まだ運命を変えられるはず。
夜まで時間を稼がなくては。
◇◆◇◆◇
俺は、ハッピーターンビルヂングの前の道で酔っぱらって寝転がっている俺を見下ろした。
三十歳の俺がボンヤリ目を開ける。
「過去を変えたいか?」
三十歳の俺が不審そうな顔をする。
俺は俺にカギを渡し、ルールの説明をしてやった。
三十歳の俺がちゃんと最後まで説明を聞けたのか分からない。
なぜなら、俺の時間が切れたからだ。
説明をしながらも早送りが止まらない俺の身体が、端からチリになって消えていく。
俺はダメだった。
でも次の俺は、成功するかもしれない。
俺は、告白をOKしてくれた加奈の笑顔を思い出した。
再びあれを見るために、俺は必ずあの時間に帰らなくてはならない。
俺は体の全てがチリになって風に吹かれ消えるまで、そう考え続けた。
END
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