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第2話 キミに逢いたくて
「まま、かぁいーねー」
三歳の息子、悠真の声だ。
洗面所で鏡を前にネクタイを結んでいた俺は、リビングに戻った。
悠真が、ママ、真由華が実家から持ってきたアルバムを見ている。
「ちょっと和くん、時間大丈夫? 遅刻しちゃうよ?」
真由華がエプロンで手を拭きながら、リビングに来る。
「あら、ゆーくん、ママのアルバム出しちゃたの?」
「まま、かぁいーねー」
「あらそう? ありがと」
真由華が悠真を抱き上げ、ほっぺにキスする。
悠真がママの腕の中でキャッキャ、キャッキャ笑う。
真由華のアルバムを片付けようとした俺は、たまたま開いていたページで一枚のプリクラシールを見つけた。
それは、高校時代の真由華の写真が収められたページだった。
その隅に一枚、ぽつんと貼ってあるプリクラシール。
しかも、真由華自身の手によるものなのか、シールを囲うようにハートマークが描かれている。
俺の目はそこに釘付けになった。
若かりし頃の真由華が、スーツ姿の男と写っている。
しかもハートマークまで描かれて。
……誰だこれは。
目を細めて男の顔を確認しようとするも、解像度のせいか経年で色が飛んでしまっているからか、いまいち表情が判別出来ない。
と、いきなりアルバムが横から奪い取られた。
真由華だ。
アルバムを背中側に抱えて、俺から遠ざける。
「……誰だよ」
「……何が?」
「プリクラの男だよ」
「何の話?」
そのあからさまなしらばっくれぶりに、俺はイラっときた。
「なんで隠す必要があるんだよ! 知り合う前のことで怒るとでも思ってるのか!」
「怒ってるじゃない!」
「けんかめー!」
悠真が割って入る。
「ううん、けんかなんかしてないよ。パパとママ、仲良しだからー」
真由華が悠真を抱き締め、ほっぺにいっぱいキスをする。
俺は黙ってスーツの上着を羽織り、通勤カバンを手に玄関に行った。
そのまま靴を履く。
真由華が悠真を抱っこしたまま、玄関まで追いかけてくる。
「もぅ、何怒ってるのよ。さ、お弁当」
真由華が俺に向かって弁当を差し出す。
俺は真由華と悠真に背を向けたまま、その場で止まって黙り込んだ。
その背中に何かを感じたのか、真由華が言う。
「夫婦でも、言えることと言えないことがあるわ」
「これは『言えないこと』なんだな?」
黙り込む真由華。
「もういい」
俺は真由華から弁当箱を奪い取ると、玄関のドアを開け、そのまま後ろを振り返ることなく、乱暴に閉めた。
◇◆◇◆◇
俺は怒っていた。
結婚後何年も経っているのに、男と写っている写真を後生大事に残しておくか?
そんなにその男のことを忘れられないなら、そいつと結婚すれば良かったじゃないか。
俺はプリプリしながら最寄りのバス停に来たが、バス停にはまだ誰もいなかった。
七時十分。
いつもなら、もっと人がいるのに。
ちょっとだけ気になったが、さっきまでの怒りの方が勝った。
これから会社だってのに、なんで朝っぱらから怒らなきゃいけないんだ。
と、足の裏に異変を感じ、足元を見ると、ちょうど乗ったレンガタイルが割れていた。
何でこんなとこ割れてるんだよ。
早く直せよ、まったく。
普段なら怒らないことが、なぜか無性に癇に障る。
そうこうするうちに後ろに人が来始め、俺を先頭に列が出来た。
ちょうど右からバスが入ってきた。
もうちょっと前に出ようと足を一歩前に出したとき、俺は割れたレンガタイルに足を取られて前に倒れた。
バスのタイヤが目の前に迫る。
キキィィィィィィィィィ!!
急ブレーキのけたたましい音がする。
そして俺は……。
◇◆◇◆◇
「おい、兄さん、大丈夫か?」
俺は中年男性に起こされた。
紺のセダンが前に停まっている。
俺は轢かれかけて、間一髪助かったらしい。
「す、すみません」
「朝だから寝惚けちまったかい? 無事だったらいいんだ。気をつけてな」
中年男性はそう言って車に乗って去っていった。
いけないいけない、バスに乗らなくっちゃ。
手足の埃を払いつつ立った俺は呆然とした。
バス停が無い。
慌てて周囲を見回すも、人がいないどころか、周りに家自体が無かった。
足元はレンガタイルも敷かれていない、ただの土だ。
どこだここは。
遠くの小学校。目の前の道の曲がり具合。公園やポストの位置。
全部見知ったものだ。
だが、無くてはならない家々が、半分も見受けられない。
俺は慌てて自宅まで走った。
バス停から歩いて五分。
いつもの曲がり角を曲がってそこにあったのは、ただの造成地だった。
我が家が消えていた。
あまりのショックに腰がくだけ、俺はそこに、へなへなと座りこんだ。
◇◆◇◆◇
一時間は座っていたろうか。
俺は意を決し、人がいるところに行くことにした。
三十分掛かってようやく駅まで辿り着いた俺は、疲れた足を休めようと駅前のベンチに腰を下ろした。
ちょうど通り掛かった人が、ベンチ併設のゴミ箱に新聞を捨て、歩き去っていく。
何の気なしにそれを見た俺は跳ね起き、急いでゴミ箱の新聞を拾った。
新聞上部の日付覧に釘付けになる。
二〇十二年九月十日。
それは、十年前の日付だった。
俺は、十年前の世界に来てしまったのだった……。
◇◆◇◆◇
俺は電車で二時間の隣県に来ていた。
どうしようもなく不安で、淋しくてたまらなかったからだ。
駅を降りて、農道まで歩いた。
歩きながら涙が出てきた。
逢いたい。
ただそれだけでここまで来てしまった。
腕時計を見る。
十六時だ。
俺が聞いた通りなら、この農道は通学路のはず。
と、正面からJKの乗った自転車が来る。
紺のブレザーにチェックのスカート。首元には赤いリボン。ちょっと低めのポニーテール。
そして……銀色の自転車。
聞いていた通りの組み合わせだ。
俺は道を塞ぐ形で立った。
JKが自転車を急停車させる。
五メートルの距離を取って、俺たちは対峙した。
可愛い。
写真でしか見たことのない、若かりし頃の真由華だ。
だが、俺の感動をよそに、当のJK真由華が思いっきり警戒しているのが目に見えて分かる。
「白石真由華さん……だね?」
俺は声を掛けた。
彼女は何も言わず、その場で自転車を切り返し、全速力でペダルを漕ぎ始めた。
「待った、待った、待ったーーーー!」
俺は痛む足を奮い立たせて走り、彼女の前に回り込んだ。
「怪しい者じゃない。話をしたいだけだ!」
「十分怪しいです! そこを通してください!」
「キミの力を借りたいだけだ」
「ただの女子高生に貸せる力なんてありません!」
「とにかく、話を聞いてくれ」
俺と真由華は、また対峙した。
俺は思い切って話を進めることにした。
「……俺は、斎藤和樹。キミの未来の旦那だ」
彼女は何も言わず、その場で自転車を切り返し、全速力でペダルを漕ぎ始めた。
「待った、待った、待ったーーーー!」
俺は痛む足を奮い立たせて走り、彼女の前に回り込んだ。
「怪しい者じゃない。話をしたいだけだ!」
「十分怪しいです! さては、ヘンタイさんですね? そこを通してください!」
俺はその場でがっくり膝を付いた。
「真由華、やっとキミに会えたってのに……」
「人のこと勝手に名前で呼ばないでください。ヘンタイさん、さようなら!」
真由華が自転車を漕いで去っていく。
「真由華……まいちゃん!」
俺は叫んだ。
真由華が自転車を急停止させ、ゆっくりこちらに振り返る。
「……なぜその呼び名を知ってるんですか?」
「……君は幼いころ、自分のことを『まゆちゃん』と呼べなくて『まいちゃん』と呼んでいた。だから家族の間で『まいちゃん』が定着して、キミのことを『まゆちゃん』ではなく、『まいちゃん』と呼ぶようになった」
真由華の目が大きく見開かれる。
「その呼び名は家族しか知らないはず。誰に聞きました?」
「……キミだよ。キミが教えてくれたんだ、真由華」
俺はそこで初めて、写真ではない、JK時代の嫁を間近に見た。
◇◆◇◆◇
真由華は俺の財布を漁り、その中から免許証を見つけ出した。
免許証の写真と実物の俺とを見比べる。
俺たちは、近所の公園の東屋で、二人して向かい合う形で座った。
財布の中に入っていた一切合切がテーブルの上に出された。
真由華がそれを見ながら言う。
「わたしについて知っていることを話してください」
「キミは『白石真由華』。今は……高校二年生だよな。その自転車、聞いていた通り銀色だ。家と駅の通学用の銀の自転車ってことは、確かそれは『鋼丸』のはずだ。そして通う学校、城東高校と駅を通う用に用意している自転車が青の『流星丸』……だったよな」
「なな、なんでそれを! わたしだけしか知らない心の中の設定だったのに!!」
「だから、キミが教えてくれたんだ。そう言ったろ?」
感情で表情がコロコロ変わるところは変わっていないようだ。
「俺は見てなかったけど、確かテレビアニメ『闘え雷神丸』のライバルキャラの乗ってたロボの名前だったよな。普通、主人公ロボの名前を付けるだろうに」
「主人公よりライバルキャラの方がカッコよかったんだもの」
真由華が口を尖らせる。
ホント、そういうところ変わっていない。
「二つ、教えてください」
「何なりと」
「なぜわたしに会いに来たんですか?」
「喧嘩した直後でこんなことになっちゃって淋しかった、ってのも嘘じゃない。でもそれと同時に思い出したんだ。真由華が書道部とミステリー同好会を掛け持ちしてたことを。何か同じような事例を知ってて、それが解決の一助になるんじゃないかと思ったんだ」
「『部』です」
「は?」
「ミステリー『部』です」
真由華が上目遣いで俺を睨み付ける。
「でも会員は、幼馴染の梨花ちゃんと二人しかいないんだろ? そういうのを同好会って言うんだぜ。……って俺が茶化すと、キミは必ずこう言うんだ」
俺は真由華の抗議に返した。
「二人しかいなくても、心は『部』です」
「二人しかいなくても、心は『部』です」
ハモった。
どちらからともなく笑う。
「もう一つ、いいですか?」
「どうぞ?」
真由華が財布を指差す。
「なぜ財布を渡したんですか?」
「……言ってる意味が分からないんだが」
「だって、財布って大切なモノじゃないですか。赤の他人に渡していいモノじゃないでしょ?」
あぁ、そういうことか。
「俺は給料の管理を全て真由華にお願いしていた。財布の中身も含めてね。だからだろうな、俺がキミに財布をいじられるのに全く抵抗が無いのは」
「……まだ納得しきれてない部分もありますが、とりあえず信じます。で? これからどうします?」
「え?」
「もうすぐ暗くなりますよ? 行くアテはあるんですか?」
「そっか。そうだよな」
俺は考え、一つの結論を出した。
「隣の市の大型スーパーの隣に、素泊まり可能な温泉施設があったはず。今夜は、そこに泊まるよ」
「……大型スーパーは今建設中です。隣もまだ空き地で、どんな店舗が入るかも決まっていません」
なんてこった。あれ、ここ最近の建物だったのか。
「じゃ、駅前のビジネスホテルに泊まろう。そうしよう」
真由華が俺の財布から硬貨をつかみ出して言った。
「わたし、銀行のことは詳しくないんですけど、ビジネスホテルから未来の硬貨が出てきたら大騒ぎになりませんか? お札だって、わたしたちの知らない間に微妙にバージョンアップされてて、それが機械に引っ掛かる可能性もありますよ? そしたら警察呼ばれてアウトじゃないですか」
「……それは気付かなかった」
真由華が呆れ顔で俺を見る。
「ここまでどうやって来ました?」
「え? 電車だけど?」
「お金は?」
「硬貨が沢山あったから、それを入れて……」
「その中に、未来の日付の入ったものが無いことを祈りましょう」
真由華がため息をつく。
「そうだ。納屋にお義父さんが畑仕事をするときの資材が入ってたはず。お米を入れる袋がいっぱい積んであって、悠真とそれ被って遊んだんだ。あれを重ねれば寒さが凌げるかも」
「家が兼業農家やってることまで知ってるんですね」
「そりゃ知ってるよ。毎年手伝いに来るもん」
「……とりあえずわたしの部屋に来て。凍死するよりはマシでしょ。あ、でも、変なことはしないでね」
「分かった」
俺は真由華と、真由華の実家に向かった。
◇◆◇◆◇
「この時間なら、お母さんは犬の散歩に行ってるはず。さ、入って」
俺は勝手口から真由華の実家に入った。
そのとき。
「おや、和樹くんかい」
全くの不意打ちで、声が掛けられた。
「おじいちゃん」
「おじいちゃん」
思わずハモる。
俺も真由華も緊張する。
だが。
「何だ、来てたのかい。悠くんは一緒じゃないのかい?」
「悠真はお義母さんと散歩です」
「そっかそっか。ま、ゆっくりしていくといいよ」
おじいちゃんがリビングの方に戻っていく。
俺たちはこっそりと二階の真由華の部屋に行った。
「何でおじいちゃんがあなたの名前、知ってるの?」
ドアが閉まった途端、真由華が慌てて振り向く。
「分からない。俺が真由華の両親に挨拶に来るのはまだ五年は先のはずだ。この時点で俺のことが分かるわけがない」
「子供の名前まで知ってた。何でだろう」
二人して首を傾げる。
「……おじいちゃん、去年辺りから軽く痴呆が始まってるのよね。その辺りが関係しているのかも」
真由華がポツリと言う。
俺の目から自然と涙がこぼれた。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ」
「もう会えないと思っていた人に思いもかけず会えたから……。よく悠真を抱っこしてもらったなって思って」
「え?」
真由華が反応する。
まずい、しゃべりすぎた。
真由華はしばらく黙った後、言った。
「……ひ孫を抱かしてあげられたのよね? ならそれだけで十分だわ。後は聞かないでおく。この話はここで止めましょう」
「分かった」
しばし沈黙が訪れる。
その沈黙を破ったのは真由華だった。
「お腹、空かない? 台所から何か持ってこよっか?」
その言葉で思い出した。
「俺、弁当持ってる! 今日のバタバタですっかり忘れてたよ。傷んでないといいけど」
そう言って、俺はバッグから弁当箱を出した。
小さい花柄のお弁当箱だ。
真由華が息を飲む音が聞こえる。
「最近腹が出てきたからダイエットにって小さな弁当箱に変えられちゃってさ。昔、真由華が使ってたやつらしいんだけどね」
フタにマジックで書かれた『白石真由華』という字が、消えかけの状態でうっすら残っている。
「これ……」
真由華が持っていたバッグから弁当箱を出した。
それは、全く同じものだった。
フタにくっきり『白石真由華』と名前が書いてある。
消えかけの字と書いて間もない新しい字。
だが、どう見てもその字は同じものだ。
違いは、新しいか、使い古しているか、くらいだ。
「そっか、高校時代に使ってた弁当箱だったんだな、これ」
俺は気にせず弁当をパクつく。
「……結構重大な証拠物件なんだけど」
「ん? 何か言った?」
「……何でもない」
推し黙る真由華を横目に、俺は弁当を食べ続けた。
◇◆◇◆◇
俺は時計を見た。
夜九時だ。
真由華は一階のリビングで家族と団欒中だ。
念の為と思って押し入れに隠れているのだが、狭いし暗いしで、退屈なことこの上ない。
トントントントン。
階段を上がってくる音に俺は身を固くした。
何度も来たことのある女房の家にいるのに、気分はまるで間男だ。
「開けるね」
小声で呼びかけがあった後、スっと押入れの戸が開けられた。
俺は辺りを警戒しながら押し入れから出た。
真由華が部屋のカギを掛ける。
「みんな寝たわ。でも、あまり大きな声は出さない方がいいでしょうね」
思わず安堵のため息が出る。
「ね、写真とか持ってないの?」
「写真? スマホなら」
俺は真由華にスマホを渡した。
「何これ、画面が大きい! わたしのなんかこれよ?」
真由華が自分のパカパカ携帯を差し出す。
思わず笑ってしまったが、真由華は俺のスマホに興味深々だ。
「ちょっと待って、画像フォルダを開くから」
俺はスマホを操作して、目的の画像フォルダを開いた。
「わたしだ……」
それは、付き合い始めの頃の、二十三歳の真由華の写真の入ったフォルダだった。
銀座に本店がある有名ブランドの花柄ワンピースを着てこちらに向かって微笑んでいる。
「これは最初のデートのときの写真だね」
どの真由華も幸せそうに微笑んでいる。
「……わたししか写ってないよ?」
「そりゃそうだろ。俺のスマホなんだから」
「なるほど。ん? これ、何?」
真由華が動画マークを指差す。
「押してごらん」
動画が始まる。
それは、夜のお台場の風景だった。
動画は横から撮られていた。
置かれたスマホで撮っているのだ。
ちょっと画像が荒めなのは、撮った動画を機種変更で移したからだろう。
「結婚、してくれますか?」
動画の中の俺が、ベンチに座っている真由華を前に片膝をついている。
俺は両手で指輪ケースを開くと、真由華の手を取り、そっとその指に指輪をはめた。
すぐ返事が貰えるかと思いきや、真由華は貰ったばかりの指輪をライティングに照らしながらニヤニヤしている。
「どうしよっかなぁ」
「えー?」
「指輪と花束だけ貰うってのは?」
「そんなぁ」
「うそうそ。……大切にしてね」
「うん」
ひとしきり抱き合った後、真由華の顔がアップになる。
映像を確認しに来たのだ。
「ちゃんと撮れた?」
「多分」
「これ、残しておいてね。後でPCに落として永久保存するんだから」
真由華が画面に向かって満面の笑みを浮かべ、手を振った。
そして映像が途切れた。
「……恥っず」
JKの真由華が顔を真っ赤にしながらボソっと言う。
「二十四歳のキミは、ノリノリだったぞ」
「七年後の話なんか知らないわよ」
グーで殴られた。
「こっちのフォルダは?」
「どうぞ、見ちゃって」
そこに映っていたのは生まれたての赤ちゃんだった。
少し画面が引いて、隣で横になっている女性が写る。
出産直後の真由華だ。
髪が乱れている上に激しい疲れでかなり気だるそうだが、その顔にはうっすらと安堵の表情が浮かんでいる。
その顔が、横に寝かされた赤ちゃんを見やる。
「ありがとうね、生まれてきてくれて」
真由華が声を掛ける。
「ありがとうな、真由華、この子を産んでくれて」
感極まって涙と鼻水でぐしゃぐしゃな俺の声が画面外から聞こえる。
隣を見るとJKの真由華も泣いていた。
俺の視線に気付いて、慌てて顔を背ける。
JK真由華が次の動画ボタンを押した。
「ぱぁぱぁ」
小さな男の子が芝生の上を、こちらに向かって歩いてくる。
てけてけ危なっかしそうだ。
「これは結構最近だな。半年経ってないんじゃないか?」
解説する。
「ゆーくん、危ないよー」
画面に向かって近付いてくる真由華が悠真を抱っこし、そのほっぺにキスをする。
悠真がくすぐったそうに笑う。
そこで動画が終わった。
「幸せそうだったね、わたし……」
「うん。……逢いたいな、俺の真由華に。逢いたいな、俺の悠真に」
思わず涙がこぼれる。
「……何とか探そう、帰る方法を」
「うん」
ダメだ、涙が止まらない。
そんな情けない俺を、JK真由華がそっと抱きしめてくれた。
しばらくそうしていたろうか。
俺が落ち着いたのを見計らって、JK真由華が言った。
「この動画は何?」
俺は涙を拭きながら画面を見た。
カギが掛かった動画フォルダだ。
「あぁそれ。作ったの真由華だよ。俺にはその八桁の暗証番号が分からないんだ。『いつか見れるときが来るから』って言ってた。すっかり忘れてたよ」
JK真由華は一瞬考え、それからスススっと遅滞なく指を滑らせた。
その動きは、まるで答えを知っている者の動きだ。
そして、カギが開いた。
「え? え? なんで暗証番号が分かったんだ?」
「もしわたしならこの番号を選ぶだろうなって思っただけ」
動画が始まる。
そこにいたのは、真由華だった。
「初めまして、十七歳のわたし」
そこに映っていたのは、二十七歳の真由華から、十七歳の真由華へのメッセージだった。
「あなたがこの動画を見ることは分かっていたわ。だってわたしが体験したことだもの。さぞかしびっくりしたことでしょうね。でも、あなたはもう確信しているはず。そこにいるのが自分の旦那になる人だって。改めてあなたにお願いするわ。和くんを助けて。あなたが思い浮かべた方法、多分それが正しい。いくら考えても、他に可能性を思いつけなかった。もしダメだった場合は、わたしが責任を取る。一生掛けて十字架を背負う。だから、あなたはあなたの思ったことをして。そして、わたしとあなたとで、和くんを本来の時間軸に帰しましょう」
そこで映像が切れた。
JKの真由華が何か思い詰めた表情をしている。
「あの……」
沈黙に耐えられなくなった俺は、真由華に声を掛ける。
「明日は土曜日。朝から動けるわ。始発の電車に乗って出掛けましょう」
JK真由華が真っ直ぐ俺の目を見て言った。
その目には、決意の炎が燃えていた。
◇◆◇◆◇
翌朝、俺たちは、まだ家族が寝静まっている間に家を出た。
緊張のせいか、昨夜はよく眠れなかった。
駅に来た俺は、あくびを噛み殺しながら電光掲示板を見た。
あと二十分くらいで始発電車が来る。
「ごめん、小遣い少ないだろうに、俺の分まで出させちゃって」
「あなたのお財布、わたしが預かるんでしょ? だったらいいわよ。後で回収するから」
JK真由華がニッコリ笑う。
「あ! ねぇ、あれ、やらない?」
売店の隣にプリクラの機械が置いてある。
見た目は新しいが、俺の記憶では、ずいぶん古い型だ。
俺は機械に押し込まれた。
JK真由華が俺にピッタリくっつく。
昨日あれだけ警戒していた子とは思えない。
すっかりリラックスしている。
そうして何枚か撮って満足したらしい。
「さ、電車が来たわよ。行きましょ」
俺はJK真由華に腕を引っ張られ、電車に乗り込んだ。
「ね、わたしたち、いつ出会ったの?」
電車に乗ってしばらくして、JK真由華に問われた。
「会社だよ。キミが新入社員として入ってきたときに、俺が教育係を担当したんだ」
「わたし、どんなだった?」
「可愛かったよ。DNAが呼んだって感じで一瞬で恋に落ちた。だから知り合ってすぐ交際を申し込んだんだ」
「へぇ、そうなんだ……」
なぜかJK真由華が照れている。
「未来の話だよ?」
「分かってるわよ、そんなこと」
グーで殴られた。
◇◆◇◆◇
何本か電車を乗り継いで、俺の家から一番近い駅に来た。
そこからタクシーに乗って、俺の家……の建つであろう場所まで来た。
まだ朝早い。
しかも作り掛けの新興住宅街だから、人が全くいない。
「ここがわたしの家になるんだね」
「うん。今の俺の時代では、悠真を入れて家族三人で暮らしているよ」
「そっか。うん、いいとこだね」
俺たちはしばらくそこで土地を眺めていた。
「いっけない、そろそろ時間だ。例のバス停、連れてってくれる?」
「バス停? いいけど、この時代ではまだ無いよ」
「いいの。さ、連れてって」
俺たちは歩いて五分のバス停まで行った。
「ここに立っていたのよね?」
JK真由華が問う。
「そう、ここ」
俺は記憶にあった場所に立った。
JK真由華が腕時計を確認している。
「で、それがどうした?」
「七時十分。和くん、また未来で会いましょう!」
「え?」
「同じ時間に同じシチュエーションを再現する。わたしにはこれしか思いつかなかった!」
その瞬間、俺はJK真由華に突き飛ばされた。
「でも、わたしはわたしを信じる! わたしはあなたを信じる! わたしは未来を信じる!」
真由華の声を聴きながら。俺はそのまま前に倒れた。
倒れ込みながら、振り返った。
「わたしがあなたを守るから!!」
JK真由華が叫んでいる。
いや、二人だ。
俺は幻を見ているんだろうか。
十七歳の真由華と二十七歳の真由華が並んで叫んでいる。
ゆっくり路面が近付いてくる。
周りが限りなくスローに見えた。
右方向からバスが迫ってくる。
轢かれる!
まさにその瞬間、俺の両手が同時に掴まれた。
左手を十七歳の真由華が。
右手を二十七歳の真由華が。
「わたしがあなたを守るから!!」
二人の真由華が再度、同時に叫ぶのが聞こえた。
凄い力でグっと引き戻され……気が付くと、俺はバス停に尻もちをついていた。
俺は真由華に抱き締められた。
なぜだか真由華が、わんわん泣いている。
その隣で、悠真もわんわん泣いている。
そんな俺たち家族を避けるように、バス停にいた人たちがバスに乗り込んで行く。
……今日は会社を休むか。
俺は、泣きながら抱きついてくる真由華と悠真の背中を優しくぽんぽんと叩き、立ち上がった。
◇◆◇◆◇
「夢、見たのかなぁ……」
真由華の出してくれたホットコーヒーを飲みながら、つぶやいた。
俺の座っているソファの隣で、悠真が親指を口に突っ込んで寝ている。
泣き疲れたのだろう。
俺は悠真の髪の毛を優しく撫でてやった。
真由華がアルバムを持って戻ってきた。
黙ってプリクラ写真の貼ってあるページを開く。
ちょっとムっとする。
またケンカをしたいのか?
「それ、あなたよ」
「……へ?」
「そのプリクラの背景、覚えてない?」
「……あぁ、あれか! JKだった真由華と一緒に撮ったあれか!」
俺は俺に嫉妬していたらしい……。
ふふっ。
思わず笑みがこぼれる。
「ほんと、バカなんだから」
真由華も笑う。
二人してひとしきり笑ったあと、真っ直ぐ俺の目を見て真由華が言った。
「おかえりなさい」
俺も、真っ直ぐ真由華の目を見て言った。
「ただいま」
END
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