1

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

1

 魔女はね、“弱さ”を見せてはいけないの。  私たちと契約している精霊は悪ではないけれど、気高く強い者を好むから。  特に涙は絶対に駄目よ。  万が一、見限られでもすれば、魔女の力は永遠に失われ――大切なものを守れなくなってしまうわ。  眩しい。片腕で目元を覆いながら、私はゆっくり瞼を開く。  まるで小鳥に見える天井の染みが、陽の光に明るく照らされている。朝、いや、ここまで光が届いていると言う事は、昼に近いのかもしれない。  私はベッドの上をゴロンと転がり、窓の方を向いた。日光で温められたシーツが、ふわりと香って鼻をくすぐる。  まだ、眠いな。  再び私はゆっくりと瞼を閉じた。 「シルヴィア師匠(せんせい)。いい加減お目覚めになられては?」  心地よい微睡を容赦なく終わらせたのは、氷のように冷たい声だった。すぐ近くから降ってきた声に、私の頭は一瞬で覚醒する。  そう、すぐ近くから。 「ディラン。勝手に女性の部屋へ入ってくるのは……」  身を起こすと、ベッドの横には青年が一人。かけた眼鏡のレンズ越しに、シアン色の瞳が私を見下ろしている。  彼は私の弟子、名をディランと言う。 「何度もノックしましたし、入室前に最終確認もしました。それより、今日は街へ行かれるんでしょう? 遅れますよ」  ハッと私は顔を上げ、額を抑える。 「そうよ、今日は“教室”だわ!」 「ですので、早く身支度を整えて下さい。その頭も何とかして下さいね」  ディランはため息を吐きながら踵を返すと、さっさと私の部屋から出て行く。  首の後ろで括ったブラウンの髪が、歩みに合わせてぴょこぴょこ跳ねるのだけは可愛らしい。  そうそう、時間がないのよ。  名残惜しいベッドから出て、私はクローゼットを開く。  黒いローブは私の正装だ。寝巻きから素早くそれに着替えると、次にドレッサーの前へと座った。  鏡の中の、ヴァイオレットの瞳と目が合う。  そこには、薄く微笑を浮かべたいつもの私。  通称『微笑みの魔女シルヴィア』がいる。  ディランの言う通り、自慢のシルバーブロンドは四方八方に跳ね回っていた。  私は呪文を唱えると、魔法でその髪を撫で付ける。  しかし、寝癖だけで済んで良かった。(よだれ)の跡なんて付いていたら……。  私は手早く身支度を整えて、部屋を飛び出した。 「今日は、先週やった傷薬の作り方の復習ね。皆、材料と手順は覚えているわよね?」  私の呼びかけに、子どもたちは元気よく手を上げて応える。その可愛らしさに私の胸はポカポカと温かくなった。  私たち魔女は“魔法”が使える。魔法は物を浮かせたり、炎を自在に操ったりと色々なことができるが、病気や怪我を治したりはできない。  その弱点をカバーする為か、人より時間があるからか。魔女は薬学や医学、動植物など様々な知識が豊富だ。  その知識を求め、いつしか人々は魔女に教えを請うのが当たり前になっていた。  今日子ども達に教えているのは、傷薬と言うか、傷口を塞ぐ貼り薬である。  もう少し生徒の年齢が上だと、リラックス効果や美容効果のある香油の作り方、なんて物も人気だ。 「せんせい、できたよ!」 「うん、綺麗にできてる。怪我をしたら、これを傷口に貼ってね。治りが早くなるわ」 「せんせー、できなーい!!」  すぐに上手くできる子もいれば、できない子もいる。今教えている子どもたちは比較的後者が多いので、教室はいつも慌ただしい。  あちらこちらで生徒が私を呼ぶ。とても追い付かない。  そんな時、 「落ち着いて下さい。材料を間違えていますよ、デイジーさん。深呼吸して、ゆっくりやればできます」  心に染み入ってくるような、低い声。  ディランが、半ばパニックになった生徒に声をかけていた。  その子、デイジーは言われた通りに深呼吸をして、もう一度材料を指折り数えて確認する。すると、足りない物に気がついたようだ。  デイジーは材料を混ぜ合わせ、伸ばして綺麗に形を整えた。 「やった、できた!」 「お見事です。よくできましたね」  あ、ディランが笑っている。  顔立ちは整っているけど基本仏頂面だから、影で“鋼のプリンス”なんて呼ばれている癖に。  デイジーに向ける笑みは、お日様のように温かい。 「せんせーい! 僕のも見てー!」  生徒の呼ぶ声で我に返った私は、口元に笑みを浮かべながら子ども達の元へ走る。  集中しないと、今はお仕事中だものね。  授業が終わり、私は帰っていく生徒達を見送った。教会の講堂を借りて行う教室も、始めてもうすぐ一年になる。  感慨に耽りながらも、後片付けを始めようとして、ふとディランの姿が見えないことに気がつく。  普段なら、片付けを率先して手伝ってくれているはずなのに。  私は首だけを出して講堂の外を覗く。  すると、礼拝堂へと続く廊下に彼の後ろ姿を発見した。  膝を折って目線を合わせ、どうやら女の子と話をしているようだった。  微笑ましい光景ねと頷いていると、私の無駄に良い耳がトンデモない会話を拾う。 「ねーねー、ディランせんせいの好きなじょせいのタイプは?」  な、なんですって。  危うく変な声を漏らすところだった。講堂の中へ首を引っ込めて、胸を押さえ深呼吸をする。 「何故そんなことを?」 「えー、教えてよ! どんな子? やっぱり綺麗な子? それとも、魔法が上手な子?」  少しドキリとした。  もう一度顔を半分だけ出してみれば、ディランと話をしているのはデイジーである。あの子は確か、十もいかない歳だったはず。  最近の子は、それくらいの歳でも恋愛話をするものなのね。それとも、年上に憧れるお年頃なのかしら。  呑気にそんなことを考えている私と、耳を塞ぎたいと思っている私と、彼の答えを僅かに期待している私がいた。 「そうですね。俺はあまり表情豊かとは言えませんので——笑顔が素敵な女性は好感が持てますね」  ——ああ。  何となく分かってはいたので、思ったよりも動揺しなかった。  けれど少し息苦しくて、指先が震えて。慌ててそれを止める為に、私は両手を強く握る。  こんな時でも、私の口元には笑みが浮かんでいた。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!