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 二次創作も広い意味ではキャラクターやエピソードをそのままパクっているし、有名な漫画や映画だって過去の作品の影響を受けていることが一目瞭然だったりする。  オマージュ、インスパイア、何が違う? 最初に開き直るか否かだ。肝心なのは匙加減、それだけで、世に出てしまえば背景を知らない読者にはわかりはしない。誰が頭を悩ませ時間を費やしたのかなんて関係ない、面白ければいいのだ。  それもしょうがないと、あきらめの境地で弘樹は思う。  長いこと漫画を描いていればわかってくる。〝ウケる〟作品のパターンは多くない。みんなが好きな絵柄やストーリーやキャラクターのひな形はもう出来上がっている。手塚治虫以来、漫画だけでも一体どれほどの数が出版された? 今更誰も見たことがない完全なオリジナルを生み出そうと息まいたって、よほどの天才でなければ破綻するだけだ。  手っ取り早く上手になりたければ、たくさんの人に読まれたければ、これまでの成功例をパクるのが一番賢いやり方だ。分析と戦略だと言ったっていい。あとはどうやって自分らしいアレンジを加えていくのか、みんなが細部の違いを必死になって競っている。  しかし、だからといってパクりだとわかっていて手を染めるのはやっぱり悪だと、これまでは思っていた。どっぷり二次創作をやっていた自分が言えたぎりじゃないが、自分自身がされると腹が立つからだ。  実際、弘樹もやられて悔しい思いをした。戦闘シーンの構成をそっくりそのままを真似されていたり、しばらくある作者に執着されて描く作品描く作品ずっと設定を真似され続けたりもした。巧妙にやられると証拠はほとんど作者にしかわからない程度になるし、読者も気づいてくれない。誰にも言えなくてもやもやする。ひょっとして自分の考えすぎかと考え込む。相手が大手で自分よりも人気があったりすると最悪だ。弘樹が得るはずの評価を楽をして手にしている卑怯者がいるなんて、悔しくて眠れなくなって、こんな思いをするなら創作自体もやめてしまおうかとまで思いつめる。だからSNS上でパクりを発見すれば憤るし、絶対に許せない。  考えに考えて出てきたものが何かに似てしまうのはしょうがないとしても、パクった時点でそれは人のものだ。自分の目で見たものでもないし感じたことでもない。労力をかけてまでするなんてバカバカしい。意図してやる人間の気持ちは絶対に理解できない、そう思っていた。  ――だけど。  弘樹はマナブのフォロワー数に目を走らせる。その数は〝2〟。たったふたり。そして作品についているピタの数は〝1〟だった。どっちもそのうちひとつは弘樹が押したものだ。きっとこれ以上増えることはないだろう。  このままこの作品は埋もれていく。ネットの中の何千何億という中に。  だったら、拾い上げてやったっていいんじゃないか?
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