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 いい話でしょ? と笑顔の課長に震える声で聞く。 「あの……断ることは……」 「ん? そうねえ。制度的にいつかは異動しなくちゃいけないし、若いうちに忙しい部署で経験積むのはいいと思うんだよね。羽村君のためになるし」  乗り気じゃないのを察して不機嫌になりそうな課長にそれ以上は続けられなかった。席に戻っても、その話が頭を占領していて身体が重い。資材管理部? 冗談だろ? 最悪だ。たまに残業した自分が会社を見上げるといつだって煌々と灯りがついている。勤怠見たって夜中近くまでやっている。自分の時間が取れなくなることなど明白だ。漫画が描けなくなる!  席に戻り頭を抱えた弘樹の耳に、昼になった同僚たちが移動する気配が伝わってきた。のろのろと顔を上げて見た時計は十二時を過ぎている。どうしてもこぼれてしまう溜息で憂鬱な気分を漏らしながら、弘樹はスマホだけ手に持つと、出遅れたことで混雑しているエレベーターを避けて階段で下り、会社を出た。  向かったのはチェーンのうどん屋だ、こっちも混雑しているが流れ作業で進むのでたいして待たないし席もたくさんある。チャリンと音がする電子マネーで支払って、ゆでたてのうどんが乗ったお盆を手に席を探す。食の細い自分はいつも温泉玉子をトッピングするだけだったのに、今日は並んだ天ぷらにひかれてついかき揚げを乗せてしまった。席について改めて眺めるとそのボリュームにうんざりする。 『食べきれないなら僕にちょうだい』  彼といたら、きっとそう言って自分の方にさらっていってくれただろう。ついそんな事を考える自分が忌々しい。目の前にいない大きな体の幻影を振り切るように勢いよく箸を割ると、弘樹は仇のようにうどんをすすりこんだ。  マナブと出会うきっかけにもなったランチの写真投稿を、弘樹はやめてしまっていた。  もともと〝リムレス仙人〟のフォロワーを増やす方法に習っただけだ。一位になって十分人は増えた。それでも努力しなければすぐにフォロワーがはがれていくことは知っていたが、どうしても気力が湧かなかった。  ひとりで人気店の行列に並ぶと、むなしくてたまらなくなる。  マナブがいたときはこの時間も楽しかった。ずっと彼と話をしていて、待ち時間に退屈した記憶はまったくない。人の目も気にならなかった。女性しかいない店だろうが、人を選びそうな老舗の料亭だろうが、彼といれば気後れなどしなかった。逆にマナブの見た目でいつでも女性の視線が集まるのを知っていたけど本人が気にしていなかったし、いつもそんなことより弘樹の話に集中していてくれたので、自然に慣れて意識しなくなっていった。
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