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 その週末、金曜の夜にいつものように抱き合い眠りにつく前に、マナブに言われた。 「明日、久しぶりにランチに出かけない?」 「ランチ? 土曜日に?」 「そう。ついでに行きたいところがあるんだけどいいかな」  今日も何度もイかされてすぐにでも寝たい弘樹は、まともに聞かずに返事をする。 「いいよ。たまには美味しいもの食べたい……」  そうして連れてこられたとあるイベントスペースの前で、弘樹は、やられたと頭を抱えていた。  体育館の半分くらいの広さのその場所にはひっきりなしに人が出入りしている。掲げられた看板にはこう書かれていた。 『祝TV放映十周年記念スペシャル! 第二十七回剣星オンリーイベント』 「……そういうことね」  隣でにこにこ立っているマナブをにらみつけたが彼はそしらぬ顔だ。  〝剣星〟は放映が終わってからも弘樹とマナブふたりがずっと追いかけているアニメだ。もう何年も弘樹が二次創作で情熱をささげている作品でもある。そのアニメのファンが集って同人誌を売り買いしたりするイベントに、何の断りもなく連れてこられたのだった。  数週間前には弘樹のペンネーム〝六機〟あてに、アニメについて語り合うパネルディスカッションへの参加も誘われたイベントだ。あんな事が無ければ絶対に来たかったし、売り手として自作の同人誌を販売するために参加したかった。今まですっかり忘れていたが会場まで来てしまったら別だ。入口からうかがえる場内の熱気に血が騒ぐ。  そわそわしながら首を伸ばして様子をうかがっている弘樹に、マナブが言った。 「どうする? 行く?」  わかっているくせにいじわるに聞いてくるマナブをもう一度にらみつけて、弘樹はたまたま着てきたパーカーのフードを頭からかぶった。 「行くにきまってる」  そうしてパンフレットを手にこそこそと会場に踏み入れた。  出来るだけ目立たないように首をすくめて周りを見回す。今の〝六機〟の顔を知っている人間は少ないとは思う。極地的なSNSの炎上だし、もう一ヶ月も経っている。騒ぎ立てる人はいないのかもしれない。だけどやっぱり、周りの目が気になって落ち着かない。  しかし、会場に入って懐かしい顔を見つけたら、大人しくしているのは無理だった。なにせアニメの人気自体下火になっていて久しぶりに開催されたイベントだ。存分に語り合う機会を失いつつあった弘樹は、仲間に会って黙っていることなんてできなかった。フードを跳ね上げ仲間のもとに駆け寄る。 「ぴーすけさん! マジ? 元気っすか? 最近どうしてたの?」 「おー! 六機じゃん。会いたかったー」 「え、六機? かわんねーな。お前なんでこんな大切なイベントにブース出してないの?」 「おじゃがまる! 久しぶり」  がっしり抱き合って肩を叩き合うのは、いい年のおっさん同士だ。だがみんな学生時代から知っている。それぞれ数年分の貫録がついたが、こうして会えばあっけなく時間が巻き戻る。そこへすっと割り込んで弘樹を引き離したのはマナブだった。  「誰?」と不思議そうに聞いてくる仲間に、苦笑いで返事をにごす。
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