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その名前が耳から入ると、すっと血の気が引いて目の前が暗くなった。ゆいみさんが顔色を青くする視線の先を悠々とやってくるのは、背の高い、全体的に肉のついた小山のような男だった。名前の通り縁が無いリムレス眼鏡をかけた男は、レンズの奥からぎょろりとした目を弘樹に向ける。
まるで蛇ににらまれたカエルのように、弘樹は硬直した。ぐにゃぐにゃと足元が溶けて流れて地面が揺れている気がする。
「ろっき?」
男の口がつぶやいて、嫌な形に歪んだ。
「あの〝六機〟? へえー良く顔出せましたねえ!」
攻撃的に張り上げられた甲高い声は、ざわざわと騒がしい会場内でも良く通った。周囲の客たちが何事かと弘樹たちを振り返る。
「あ……」
何か言われる前にあれは同意の上の共作だとはっきり主張しなければ。そう思うのに、言葉が出てこない。
すくんでいる弘樹を見て勝てるとでも踏んだのか、弘樹の前にやってきたリムレス仙人は腕を組んで見下すように言う。
「他人の漫画をパクるなんて最低ですよね、ばれなきゃいいと思ったんですか? 余計なこと言うのは僕も嫌だったんだけど、タレコミで気づいて黙ってられなくなっちゃいましたよ」
冷や汗でじっとりと濡れた手を握りしめた弘樹は、からからに渇いた喉をあえがせてただ立っているので精一杯だ。次第に頭も垂れ下がり、重りでもついているかのように視線すら上げられなくなる。
「あー嫌だなー、プライド無いのかなー。盗み癖は簡単には治りませんから今までもそうしてきたんでしょ? あなたの昔の絵なんて僕にそっくりじゃないですか。反省してもうやめたのかと思ったらこんな所で会うとはねー」
ひとつひとつの言葉が刃のごとく弘樹の心に突き刺さった。違う、違うと舌の上で繰り返しても、むき出しの悪意にすっかり委縮した弘樹の口からその音が出ていくことは無かった。
「いい機会だから、ここで謝ってもらおうかな」
「そうだ、そうしよう」とリムレス仙人は芝居がかった調子で笑う。調子づく彼の言葉で不穏な空気が色濃く漂いだしたその時、鋭い声がとんだ。
「Shut the fuck up!!」
シャッと警戒を促すその耳慣れない音は怒りを乗せてその場を切り裂き、誰もが一瞬身体をすくませた。弘樹も、リムレス仙人も同じだった。
弘樹の視界を大きな背中が覆い、ずいっと前に出てリムレス仙人を威圧するように対峙する。
「……黙れよ」
聞いたことのない地の底から湧き出すような低い声で、マナブが言った。
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