Wherever you are,whoever you are.

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 窮屈なエコノミーの座席に十時間以上耐え到着した日本で、母親は歓迎してくれた。だがそちらにもすでに家庭があって、自分は明らかに異分子で珍しい外人だった。数日間はお世話になったが、ハーフだイケメンだとまとわりつく義理の妹もうっとうしく、思い切って荷物をまとめひとりで新幹線に乗って出かけることにした。行ってみたかった”コミケ”の会場に足を運ぶことにしたのだ。  着いてまずその規模に圧倒された。  どこを見てもアニメ、漫画、コスプレ。クレイジーだ。見たこともないカルチャーの渦に心が踊った。自分が今はまっている作品の、見たこともない漫画がたくさん並んでいる。どれも欲しいけどそんなにお金は持ってきていない。夢の中にいるような心地でふらふらと歩いていたら、いつの間にか会場を出て、見知らぬ路地に迷い込んでいた。だが周りの人並はそのまま流れて、小さなイベント会場に流れ込んでいく。  恐る恐るのぞいたその場所は、やはりコミケの会場らしかった。しかし規模はだいぶ小さいしディスプレイも手作り感が満載でチープだ。でも熱気は劣っていない。雑多なその感じが、何かBサイドのディープな場所を発見できたようでわくわくした。  マナブもすでに出来ている人だかりの上から、漫画や雑貨を売っているブースを覗き込む。売られているのは全然知らない、アメリカでは放映のないアニメのものらしい。もっとよく見たいと手を伸ばしたその時、油断していたマナブは人波に押され派手にバランスを崩した。  その頃すでに体格の良かったマナブが倒れてきたせいで飾り付けた机は倒れ、商品は床にちらばった。 「あー!」  悲壮な声を上げて売り子の少年が漫画を拾い集める。マナブもすぐに彼の前に行き、『すいません。わざとじゃないんです。人に当たってしまって』と謝ったが、彼はぽかんと自分を見るばかりだった。  そうか、通じないんだ。  そう思ったら一層焦った。彼が手にしているその折れてしまった本だけでも自分で買います、そう伝えたいのに伝えられない。もどかしい思いでいると、少年は小さく息を吐いて立ち上がった。  そしてはにかんだ笑顔で言った。 「どんうぉーりー。でぃすいずまいブック。プレゼントフォーユー」  なに?  彼は何て言った? 自分の耳を疑った。シャイでお人好しなのが日本人だと知ってはいたが、どこまで人がいいのだろう。  差し出された本をためらいながら受け取った時、触れた指から電流が走った。周囲の仲間に助けられてブースを元通りにしている彼と、もっと話したい。そう強く思った。  だが一歩足を出したところで思いとどまる。言葉が伝わらない。自分は何を話すつもりなのだろう。  しばらく彼の背中を眺めていた。だが、あきらめてその場を離れた。  その出来事は日本で一番強烈な思い出となり、いつまでも忘れられなかった。  家に帰ってからむさぼるように彼にもらった本を読んだ。帰国後アメリカでは放映のなかったそのアニメのDVDを取り寄せて夢中で勉強した。なんとかコンタクトを取りたくて、その頃日本で流行り始めていたSNSを探したが彼はいなかった。しかしいつかは必ずはじめるだろうと網を張り、信じて待った。そして彼を見つけたときの僕の喜びが想像できるだろうか? 転げ回って死ぬほど喜んだ。  その瞬間から、いつか日本に行って彼と会うのが、つまらない人生を彩る一つの希望になった。
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