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あっけらかんと言う相手の顔を毛布の隙間から睨み付け、生方は怒りの声を上げた。
「初めてだよ! 舌をベロベロするキスなんて今まで一度だってした事なかったのに、お前が突然覆い被さって来たから避けられなかったじゃないか!」
「……ええと、君はオレと同い年だよな?」
「それが何だ」
少しの沈黙の後、安住は困惑したように口火を切った。
「まさかこの歳で、キスが初めての訳がないだろう? そんな、まるで貞操を奪われたような大騒ぎをするなんて、どうかしているぞ」
往生際の悪い子供を諭すような物言いが、生方の逆鱗に触れた。
「お前の常識と、オレの常識を一緒にするな!」
「生方……」
その血走った目を目の当たりにして、どうやらこれは噓ではないと安住も気付いたようだ。
同時に、今度は安住の方が呆然とする。
(何という事だ。四十になるこの歳で、キスが初めてだって? 信じられんが、生方はこんな事で嘘を吐くような人間ではないし)
それならば、少々悪いことをしたような気がするが。
しかし、生方が酔っていた状態をいい事に、最後まで致さなかったのは我ながら僥倖だったなと胸を撫で下ろす。
もしもそんな事をしていたら、生方は出家していたかもしれない。
そんな事を思いながら、ひとまず安住は深々と頭を下げた。
「それは失礼した。オレとしては手順を踏んだつもりだったが、まさかキスごときで一晩中思い悩ませていたとは思わなかった。昨日はオレもバタバタしていたし、途中で呼び出されて半日も留守にしたから……君に対するケアをおざなりにしてしまった」
「ああ、そうだな。まさか家の鍵を持ち逃げして外出されるとは思わなかったよ」
何だかんだ言って、安住も生方も忙しい身の上だ。
休日でも仕事で呼び出される事など、幾らでもあることだが。
(家の鍵が無くなっていたから、オレはそっちも気になって何処にも行けなかったんだぞ!)
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