102.コイツに謝れ!

5/6
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/1020ページ
 勝ち誇ったように醜悪な笑みを浮かべる鬼畜野郎を見上げながら、その時、あたしの脳裏には、昨日の涼子さんの表情と言葉が鮮やかによみがえっていた。 『それ、藤乃の唯一と言える形見の品です。あの男に見つかって取られないようにって藤乃があたしに預けていた、泰之さんからの、婚約指輪……』  ブランド服も高価な着物も何もかもを失って、生活が立ち行かなくなって、それでも藤乃さんが最後まで、絶対に残しておきたかった大切なもの。  それはきっと、柴崎泰広にとっても、絶対に失いたくない大切なものに違いないんだ。 「……ざけんじゃねえよ」  視覚や聴覚など、痛みや恐怖で活動を停止していた感覚が活動を再開して、体全体が鋭く研ぎ澄まされていく。とはいえ、何をすれば確実かなんて策を巡らせている余裕はない。とにかく何でもいいから行動を起こして大事なものを奪い返す。それ以上のことを考えるリソースは、あたしの脳には残されていなかった。 「お母さんは、それを親友に預けた。あんたにだけは絶対に渡したくないって思ったからだよ。お母さんにとって、それだけは絶対に失いたくない、ものすごく大切なモノだったんだ。それを、金に換えるとか、そうすれば死なずに済んだとか……あり得ない。死んでも手放したくないものだったってことくらい、なんでわかってやれねえの? 頭悪すぎだろ。おまえみたいなヤツには、それをどうこうする資格どころか、触れる資格すらない。返せ。今すぐこっちに返せよ。これ以上汚い手でそれに触るな。腐っちまうだろうが!」  叫ぶと同時に、鬼畜野郎の右手の中にある白い箱をめがけて飛びかかる。  奪えるかどうかなんて、考えている余裕はなかった。というより、頭の中は真っ白だった。  百戦錬磨の相手に、そんなあたしの大雑把な攻撃が効くわけもない。鬼畜野郎はいともたやすく攻撃をかわすと、勢いのあまりよろけたあたしの後ろ髪をわしづかみにした。
/1020ページ

最初のコメントを投稿しよう!