9 初陣

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9 初陣

 ラーマの麒麟第3隊の支部施設裏門  ラーマの麒麟第3隊隊長のマナサは、裏門に攻め入ると、右手に持った愛剣『真達羅朱雀』を下段に構えたまま、走るスピードを更に上げた。  マナサが疾走する振動が『真達羅朱雀』に伝わって、『真達羅朱雀』の刀身は、振動に合わせて、しなやかに揺れていた。  朱色に染まっている切っ先は、マナサの疾走に合わせて残像を作り出し、空中に朱色の曲線を描いていた。  狙うのは、あの大柄の兵士。兵士長に間違いない……  兵士長を討って、一気に近衛兵の士気を下げる。  マナサは、近衛兵団第4師団兵士長のレヤンが間合いに入った瞬間、右足で地面を蹴って高く飛び上がると、しならせた『真達羅朱雀』を天高く振り上げて、レヤンの背後から右肩めがけて振り下ろした。  レヤンは突然空から舞い降りた敵に反応することが出来なかった。 「ぐっ!な、何だ?」  右肩に焼け付くような痛みを感じたレヤンが咄嗟に左手で右肩を押さえると、肩あての下から血が流れ出していた。 「貴様か?」  レヤンは振り返ると、地面に降り立ったマナサを睨みつけた。 「私はラーマの麒麟第3隊のマナサ。  この施設から一刻も早く立ち去りなさいっ!」  マナサは『真達羅朱雀』を握り直して中段に構えた。 「反逆者が何を言っている?叩き潰してやる。」  レヤンが剣を抜いて臨戦態勢を取った時、マナサの後方から迫って来ているラーマの麒麟の援軍が目に入った。 「林の中からレジスタンスが攻めて来ているっ!全員、戦闘態勢をとれっ!」  レヤンは配下の兵士に命じた。  マナサの小隊と近衛兵は、施設裏門の手前で衝突すると、交戦状態に入った。  それぞれの指揮官、マナサとレヤンは距離を取って対峙したままだった。 「お前がレジスタンスの隊長か?そんな華奢そうなお嬢ちゃんだとは想像しなかったな。」 「人を見かけで判断するものじゃないわ。後悔するわよ。  そもそも、あなたのボスも女性でしょ?」 「まあな。ただ、うちのボスは性別を超越しているところがあるからな。」 「どういう意味?」 「そのままの意味だ。」 「……そう。もう一度だけ聞くけど、戦闘を止めて、ここから立ち去る気はないの?」 「言うまでもない。この傷の借りを返させてもらう。」  レヤンは傷口を押さえた。 「女だからと言って容赦はせんっ!」  レヤンは勢いに任せて大型の剣をマナサの胸元辺りに斬り込んできた。  マナサは、素早く後ろに引いてレヤンの剣をかわすと、コマのように身体を1回転させながら、レヤンの脇腹を斬った。 「うっ……こ、小娘……」 「人を見かけで判断しないでと言ったでしょう?」  マナサは、2、3歩助走して高く飛び上がると、レヤンとの戦いに決着を付けるべく、空中で『真達羅朱雀』を大きく振りかぶった。  ……その時だった。  施設の側面に待機していた弓矢兵の1人が放った矢が、空中のマナサに向かって飛んで来ていた。  その矢を察知したマナサは、身を翻して避けたが、矢はマナサが長髪を束ねていた髪留めを貫いてしまった。  マナサは、バランスを崩して、レヤンに攻撃を加えることなく着地すると、髪留めが壊れて、ほぐれた黒髪が顔にかかって視界を遮られた。  マナサは、すぐに左手で髪を描き上げたが、傍らにいたレヤンに気づくのがほんの一瞬遅れた。 「今だっ!」  レヤンは、チャンスとばかりに、マナサのほぐれた艶やかな黒髪を熊のような右手でむんずと鷲掴みにした。 「しまった……」  マナサは小さく叫んだ。 「うおおおっっ!」  すると、レヤンは、マナサの長い黒髪を鷲掴みしたまま振り回して、マナサを施設のレンガ造りの外塀に力任せに打ち付けた。  ドゴッ!! 「ゔっ!」  後頭部と背中を塀に強打したマナサは、目の前が真っ暗になって、意識が遠のいて気を失いかけた。  マナサの髪を鷲掴みにしたままのレヤンは、崩れ落ちそうになっているマナサの髪を持ち上げて、マナサを強引に立たせると、岩のような拳で腹部を数回殴打した。  すると、「ゴキッ」という鈍い音が響いて、マナサの肋骨が砕けた。 「ごっ!」  マナサは口から血を吐いた。  上手く呼吸が出来ない。血が肺の中に入ったみたい。  激痛で身体が麻痺して動かない。  もうだめ、このまま殺される……  みんな、ゴメンね。助けることが出来なくて……  アシュウィン……  マナサは薄れ行く意識の中で死を覚悟した。  レヤンはマナサに受けた傷の痛みも忘れて勝ち誇っていた。 「ふん。他愛も無いな……  今、お前の剣で首をはねてやるからな。  お前も本望だろう?自分の剣で死ぬことができるんだ。  覚悟はいいな?」  レヤンは近くに落ちていた『真達羅朱雀』を拾い上げた。  その時、マナサの瞳から一粒の涙がこぼれ落ちて、頬を伝った。  ……あれっ?  覚悟は出来ていたはずなのに……  どうして? 「じゃあな、お嬢ちゃん。  あの世でお仲間が迎えてくれるだろうよ。」  レヤンは、目を見開いて、『真達羅朱雀』を大きく振りかぶると、マナサの首筋めがけて思いきり振り下ろした。  マナサは瞳を閉じた。  …………  …………  …………  私は死を迎えたんだろうか。  不思議と斬られた感覚がない。  実際にはこんな感覚なんだろうか。  最初で最後の体験だから、よく分からない……  …………  …………  ん?  遠くの方からマントラが聞こえた気がする。  幻聴? 「バキラヤソバカ」  今度はハッキリと聞き取れた。  しかも、聞き慣れた声……  心が安らぐ、アシュウィンの声……  ……アシュウィンの声?  えっ?どういう事?  やっぱり幻聴…… 「バキラヤソバカッ!」  間違いない。アシュウィンがマントラを叫ぶ声。  マナサがまぶたを開くと、目の前のレヤンが『真達羅朱雀』を振り下したまま固まっていた。  『真達羅朱雀』の刃はマナサの首筋の寸前で止まっていた。  マナサがアシュウィンの声がする方向に視線を移すと、黄色に光輝いている両手を開いて、鬼の形相でこちらを見ているアシュウィンの姿があった。  アシュウィン……  マナサは、アシュウィンの名前を叫んだが、声にならなかった。 「ど、どうしたんだ?身体が動かん。」  レヤンは、突然身体が固まったように動かなくなって、狼狽している。  大きな額からは滝のように汗が流れ始めた。 「貴っ様ーーっ!!その薄汚い手を放せっ!!  絶っっっ対にお前を許さねぇ!!!」  アシュウィンは、両手をレヤンの方に向けたまま、マナサの元に駆け寄ってきた。 「バキラヤソバカッ!」  アシュウィンがマントラを唱えると、レヤンは、自らの意思に反して両手の手のひらを開いて、鷲掴みにしていたマナサの髪と『真達羅朱雀』を離した。 「俺の身体、一体どうなっちまったんだ?」  レヤンは怖くなってきた。  レヤンがマナサの髪を離したことで、マナサは、力が入らずに、人形のようにその場に倒れ込んだ。 「バキラヤソバカッ!!」  アシュウィンは、すぐさま辺りに響き渡る大声でマントラを唱えると、レヤンの方に向けていた両腕を左から右に大きく振った。  その動作に操られるように、大柄なレヤンの体は軽々と20メートル位吹っ飛んで行った。 「はぁはぁはぁ……」  マントラを短時間のうちに唱えすぎたアシュウィンは、体力を激しく消耗して、肩で息をしていた。 「マナサァーーーーッ!!!」  アシュウィンは、疲弊して、足を引きずるようにマナサの側に来ると、どっかりと腰を下ろして、マナサを抱き抱えた。 「マ、マナサ……大丈夫か?大丈夫だと言ってくれっ。」  アシュウィンはマナサの口の周りに付いた鮮血を優しく拭き取った。  マナサは震える手をアシュウィンの手に重ねた。  そして、アシュウィンを安心させようとして、必死に笑顔を作った。  ただ、笑顔になっているのか、自信が無かった。 「マナサッ、絶対に諦めるなよっ!  今、手当てができる隊員を連れて来るから、頑張って待っているんだぞっ!  ついでに、あのゴリラ野郎も倒してくる。」  アシュウィンは、マナサを抱き抱えて、施設から離れた安全そうな場所に移した。  そして、マナサを横たえるために、マナサの頭を支えていた右手をずらすと、右手の手のひらはマナサの後頭部からの出血で真っ赤に染まっていた。  ちくしょーっ!頭からも出血している。 「マナサ、大丈夫だからな。何の心配も要らない。  俺は何があってもお前を連れて帰る。  いいな?約束だ。  だから、マナサも絶対に死ぬなよ。  いいな?約束だぞっ!  隊長が約束を破るんじゃないぞっ!  これは部下の命令だっ!  部下の俺に教えなきゃならないこともまだまだあるんだろ?  ちゃんと全部教えてくれっ!隊長の責任だっ!  少しの間、ここを離れるけど、すぐに戻って来るからな。  何の心配もいらない。心配しないで待っていてくれ。  俺がいなくて寂しいだろうけど……」  マナサは小さくうなずいた。  よし、先ずはタクシたちのところに戻ろう。  新人の中に医者みたいなやつがいたはずだ。  アシュウィンは新人隊員が待機している林の中に戻った。 ◇  アシュウィンが待機場所に戻ると、新人隊員たちは、相変わらず身を潜めるように待機していた。  アシュウィンはその姿を目にして、一瞬だけイラッとした。 「おい、君っ!君は医者か何かだったよな?」  アシュウィンは小柄で色白の隊員に訊ねた。 「僕のこと?はい。入隊した傍ら、医師を目指して勉強もしています。」 「何でもいい。傷の手当ては出来るだろ?」 「少しは……」 「上等だ。救急キットを持って、俺と一緒に来てくれっ!」 「アシュウィン、ダメだよ。  僕たちには待機命令が出ているんだよ。」  2人のやり取りを聞いていたタクシが口を挟んできた。 「タクシ、今はそれどころじゃないんだっ!」 「それどころじゃないって、アシュウィン、どこに行っていたの?」 「裏門に決まっているだろ。戦ってきたんだ。」 「えっ?戦ってきたって……」 「そんなことはどうでもいい。  隊長が戦闘中に大怪我をしたんだ。  医者見習いの君、名前は何だっけ?  とにかく、隊長の手当てをしてくれっ!」 「僕の名前はシン。」 「そうか。シン、頼むよ。君の力が必要なんだ。」  医者見習いのシンは動揺を隠し切れない。 「でも、待機命令が……」 「隊長が大怪我をしているのに、待機もへったくれもないだろっ!  それでも第3隊の隊員かよ?」 「……分かった。隊長のところに連れて行ってくれ。」 「よく言ってくれた。時間が無い。すぐに行こう!」  マナサの所に行こうとするアシュウィンとシンにタクシが声をかけた。 「待って!」  アシュウィンはさすがに怒りが込み上げてきた。 「タクシ、いい加減にしろっ!  時間が無いんだ。お前に関わっている暇はないっ!」 「違うんだ。僕も一緒に連れて行ってくれ!  隊長が負傷している状況なのに、こんな場所で待機している場合じゃない。  僕じゃ何にも出来ないかもしれないけど、アシュウィンの足でまといにはならない。  お願いだっ!」 「タクシ……」  事の成り行きを見ていた他の隊員からも声が上がった。 「僕も行く。」 「俺も。」 「ちょっと、みんな待ってくれ。  こんなに大勢で行動したら、格好の標的になってしまう。  俺とシン、そしてタクシの3人で行こうと思う。  他のみんなには申し訳ないが、このまま待機していて欲しい。  みんなの思いは、必ず隊長に伝える。」  残った新人隊員の思いを胸に、3人はマナサの所に向かった。 ◇ 「タクシ、シン、気を付けろよ。裏門付近は交戦中だ。  もっと身を屈めて移動しないと見つかるぞ。」  アシュウィンは小声で2人に指示した。 「うん。緊張するなぁ。」  タクシの声はうわずっていた。  その後、3人はマナサがいる場所の近くまで来ていた。  ただ、タクシとシンの2人にとって、マナサがいるところまでの道のりは果てしない距離があるように感じた。 「隊長はこの先だ。大怪我を負って、たった一人で俺たちが来るのを待っている……  俺の後ろからついて来てくれ。」  アシュウィンは、タクシとシンを振り返って、声をひそめて言った。 「了解。」  いつしか2人の声からは緊張の色が消えていた。  緊張感はやがて、隊長のマナサを救い出そうとする使命感に変わっていた。 「マナサ、大丈夫か?独りにさせてゴメンな。」  アシュウィンは横たわっているマナサに心配そうに声をかけた。  マナサは、ゆっくりと目を開いて、アシュウィンの方を見た。  よかった。意識がある。  さすがに隊長を務めているだけのことはある。 「マナサ、援軍が来てくれた。  今、傷を手当てしてもらうからな。  もう少し頑張るんだ。ほかの隊員もみんな応援しているぞ。」  アシュウィンはシンを呼んだ。 「隊長、新入隊員のシンです。  私は多少の医学の知識がありますので、誠にせん越ですが、応急手当をさせていただきます。」  マナサは、まぶたを閉じることで返答した。  シンは、早速、救急キットを広げるとマナサの怪我の状態を確認し始めた。 「隊長、失礼します。」  シンはマナサの胸部や腹部を触診した。  肋骨のあたりを軽く押すと、マナサは苦悶の表情を浮かべた。 「うっ!」  ひどい……  肋骨が3本は折れている。臓器が損傷しているのかは判断がつかない。  こんな場所では治療なんかできない。  後頭部の裂傷もひどい。頭骨も骨折しているかもしれない。  どうすればいいんだ?どうしよう……  やっぱり、僕なんかにどうすることも出来ない。だいたい、医師じゃないんだし……  マナサの手当ての様子を見ていたアシュウィンには、シンがテンパっていることが手に取るように分かった。 「シン、焦るな。冷静に頼む。  救急キットしかないんだ。十分な手当てが出来ないことは百も承知だ。  ここで出来る最大限の手当てをしてくれ。  ほら、深呼吸っ!」 「う、うん。」  シンは、言われる通りに大きく深呼吸すると、冷静さを取り戻した。 「よし、大丈夫。うろたえてゴメン。出来る限りのことをするよ。」 「それでこそ第3隊の隊員だ。頑張ってくれっ!」  アシュウィンは祈るような思いでマナサを見つめた。  冷静になったシンはマナサと向き合った。  頭部の出血が激しい。とにかく止血だ。  シンはマナサの後頭部の裂傷部分を消毒して止血薬を塗布した。 「隊長、後頭部の傷口を縫合する必要があります。  ただ、麻酔が無いので、すごく痛いと思います。それでも縫合していいですか?  私に任せていただけますか?」  マナサはうなずいた。 「マナサ、痛みに耐えるために、このタオルを噛んでいた方がいい。」  アシュウィンはマナサにタオルを差し出した。  マナサは、タオルをしっかりと噛むと、アシュウィンの方に右手を挙げた。  アシュウィンはマナサの右手を両手でしっかりと握った。 「大丈夫だよ、マナサは強いから。」 「では、始めます。」  シンは縫合針を手にした。  躊躇したらダメだ。思い切りよく一気に縫わないと……  シンがマナサの後頭部の縫合を始めると、激痛がマナサを襲った。 「んっ!」  端正なマナサの顔が苦痛に歪んだ。  玉のような汗がいくつも額に浮かんでは流れ落ちた。  アシュウィンは声が出なかった。  ただ、ひたすらマナサの右手を握っていた。  数分後 「……終わりました。隊長、大丈夫ですか?」  シンはマナサの表情を確認した。  マナサはシンの方を見てゆっくりとうなずいた。  シンはホッとして息を吐いた。  自分の予想以上に短時間で上手く処置を終えることが出来た。  それでも、マナサとアシュウィンにとっては、果てしない時間のように感じていた。 「この後はどうするんだ?」  アシュウィンはシンに訊ねた。 「ここで出来ることは、もうないんだ。  出来る限り隊長を動かさないようにして、一刻も早く医療施設で治療をしないとならない。」 「そうか……」  そのためには近衛兵を倒すしか道は残されていないな。 「マナサ、『真達羅朱雀』を借りていくよ。」  アシュウィンは、『真達羅朱雀』を腰に差すと、シンとタクシにマナサを託して裏門の戦場に戻って行った。  マナサは全身の痛みに耐えながらアシュウィンの後ろ姿を見送っていた。  その後ろ姿は普段のアシュウィンの後ろ姿よりも何倍も大きく、マナサの目に映っていた。  アシュウィン、あなたは一体……
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