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8 脱出
ラーマの麒麟第3隊支部施設
副長のイシャンは、黒煙の充満している施設の最奥の区画内に隊員を集めて、むせびながら口を開いた。
「我々は今、この施設内で正に袋のネズミの状態だ。突破口は正面入口しかない。
ただし、正面には我々が出てくるのを待ち構えている近衛兵がいるはずだ。
敵が待ち構えているところに諸君を行かせることは出来ない。
だからと言って、このまま籠城していてもこの状態だ。」
イシャンは目の前の黒煙を手で払う仕草をした。
「座して死を待つことになる。
そんな死に様はもっての外だ。」
「それじゃあ、我々はどうすべきなんですかっ?」
どこからか、隊員の声が響いた。
「うん、それでだ。私が正面から出て、何としてでも突破口を開く。
諸君はそのあとに、状況を確認の上で脱出してくれ。」
「でも副長、外には敵が沢山いるんですよね?
失礼を承知で言わせていただきます。副長だけでは、さすがに突破は困難なのではないですか?」
別のどこからか、声が上がった。
「私も副長と一緒に行かせてくださいっ!」
あちらこちらから同じような声が上がった。
「みんなの気持ちはとても嬉しい。
嬉しいが、敵の状況も把握出来ていないまま、隊員を一緒に行かせることは指揮官として絶対に出来ない。してはならないんだ。
どうか、分かってくれっ!私を信じてほしい。
我々はラーマの麒麟第3隊の隊員だ。
互いを信じて、人事を尽くして天命を待とうじゃないか。」
「……分かりましたっ!」
隊員たちは口々に叫んだ。
「よし。各班のリーダーは、入口付近で、私が外へ出た状況を確認して、次に取るべき行動を決定すること。
他の隊員は、このまま、この区画で待機する。
動ける者は負傷者を介抱してくれ。
いいな?」
イシャンはそう指示すると、入口に向かった。
各班のリーダーも後に続いた。
入口付近に来ると、黒煙の向こう側に数人の近衛兵の影が確認できた。
イシャンは、気を落ち着かせて精神を集中させると、全身に気合いを込めた。
「では、私が先陣を切る。後のことは任せたぞ。」
イシャンは、リーダーたちの方を振り返らずにそう言うと、剣を構えた。
「副長、ご武運をっ!!」
リーダーたちは祈るような思いでイシャンに声をかけた。
ある者は涙を流していた。
イシャンは、一瞬微笑みを浮かべると、剣を構えたまま、外へ飛び出した。
黒煙が充満した施設の中から明るい青空の下に踊り出たイシャンは目を細めた。
「レ、レジスタンスが出てきたっ!」
正面にいた近衛兵は、突然中から姿を現したイシャンを目にすると慌てて叫んだ。
「何っ?
お前ら、とっとと捕らえるんだっ!」
兵士長のビハーンは剣を振り上げて命じた。
入口付近にいた近衛兵らは施設から出てきたイシャンの周りを大きく取り囲んだ。
ただ、施設の中に入った仲間があっという間に倒された光景が脳裏に焼き付いている近衛兵は、イシャンに切りかかることに二の足を踏んでいた。
大きく取り巻いたまま、イシャンが移動すると、等間隔を保ったまま、同じように移動した。
◇
支部施設正面付近の廃屋の裏
カマルとモハンの連合小隊
「正面が騒がしいな。何か動きがあったのか?」
カマルが施設の方を気にした。
「待っていてくれ。俺が確認してくる。」
モハンは言い終わらないうちに施設を確認しに行った。
そして、たちどころに戻ってくると、慌て気味に口を開いた。
「副長だっ!
イシャン副長が独りで外に出てきて、敵に囲まれている。」
「副長がっ?独りでっ?
よし、すぐに行動開始だ。」
カマルは間髪入れずに隊員に指示した。
連合小隊は廃屋の裏側から施設の正面に走り出た。
「モハンッ!状況は変わったようだが、副長たちの救出は任せたぞっ!」
「カマルッ!深追いはするなよっ!」
「承知!」
カマルは脇目も振らずにセシルに向かって突き進んだ。全く躊躇が無かった。
一方のセシルは、入口から飛び出してきたイシャンを笑いながら見物していた。
まるで、煙に燻されて出てきた獲物でも見ているかのような眼差しだった。
「セシルッ!俺と勝負だっ!」
セシルは、イシャンの捕獲劇の観劇を邪魔したカマルの叫び声にイラついた。
「うるさいねっ!気安く人の名前を呼ぶんじゃないよっ!
イラつくっ!」
カマルは、イスに腰掛けていたセシルに向かって振り上げた鉾を、渾身の力を込めて突き刺した。
セシルは座っていたイスの肘掛けを両手で勢いよく押し付けると、その反動で飛び上がり、カマルの一撃をかわした。
と同時に、首に掛けていた、漆黒の中に深紅のラインが入った鞭『無双紅蛇』を右手で掴むと、大きく振りかぶって、カマルの首筋めがけて振り下ろした。
『無双紅蛇』は、空中でまさに蛇の如く鎌首をもたげると、シューッと空気を切り裂く音を立てながら、しなやかに伸びて、カマルの頬の辺りに襲いかかった。
「ゔっ!」
セシルにかわされて、イスの背もたれに突き刺さった鉾を引き抜こうとしていたカマルの頬は、刃物で切られたかのように裂けて、自慢の口ひげはみるみるうちに鮮血に染まっていった。
「あら〜、随分と男前になったじゃない。
まだまだ、これからだよっ!」
セシルはそう言いながら、『無双紅蛇』を素早くふた振りすると、『無双紅蛇』はカマルの両大腿を容赦なく襲った。
ビシッ、ビシッと破裂音が2回響くと、カマルの両大腿から血しぶきが上がった。
「く、くそっ!」
苦悶の表情のカマルは、たまらず地面に両膝を付いた。
「いいねぇ、屈強な男がひざまずいている姿は。
あぁ、興奮するわ……凄く。」
セシルは恍惚の表情を浮かべている。
地面に両膝を付いたカマルは、鉾を両手で地面に突き立てると、杖代わりにして立ち上がろうとした。
その時、全身に力を込めたせいで血圧が上がり、頬と太腿の傷口から鮮血が吹き出した。
「う、うん……。ち、力が入らん……」
カマルは再び両膝を地面に付いた。
「あまり死に急ぐものじゃないわ。
そんなことしたら、失血死するわよ。」
セシルは満面の笑みをたたえている。
「助けて欲しい?欲しいなら、命乞いをしなさい。
お前がこの私を倒すことは不可能なんだから。」
「はぁ、はぁ……
命乞いなんぞしない。
そ、それに俺がお前に勝てないなんて、勝手に決めるなっ。」
カマルは頬から吹き出した鮮血を右手の甲で拭った。
セシルは、カマルが頬を拭う仕草を見ると、ゾクゾクとした快感が全身を駆け巡った。
「それじゃあ、もっと苦しみなさい。」
「一方的にはやられんっ!」
カマルは、捨て身になって、セシルの懐に飛び込むようにして鉾を突き刺そうとした。
「おらっ!」
が、しかし、カマルの鉾はセシルにかわされて、空を突いた。
セシルは、カマルの行動を予期していたかのように、カマルの捨て身の一撃を、身を翻してかわすと、鉾めがけて『無双紅蛇』を振った。
『無双紅蛇』は、獲物に襲いかかる蛇のごとく、目にも止まらぬ速さでカマルの鉾に固く巻き付いた。
セシルは、『無双紅蛇』が鉾に巻き付いた感触を確認すると、握り手を勢いよく引いた。
すると、鉾は、カマルの両手からすり抜けて、弧を描いて宙を飛び、セシルの後方の地面に突き刺さった。
「捨て身で突き出した鉾を同じ方向に引かれると、持って行かれるのを防ぎようがないだろ?
さあ、これで丸腰だな。次はどうする?」
セシルはカマルの反応を楽しんでいた。
「くそっ!まだ、諦めんぞっ!」
カマルはセシルに向かって叫んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
これでも少しは時間を稼げたか……
モハン、頼むぞ。
早く副長たちを解放してくれ。
もう、持ちこたえられそうにない……
◇
その、モハン率いる連合小隊は、支部施設正面に陣取っている近衛兵団第4師団の小隊に背後から迫っていた。
近衛兵は施設から現れたイシャンに意識を集中させていたために、モハンたちに気付くのが遅れた。
「副長っ!今お助け致しますっ!」
モハンはイシャンを円形状に取り囲んでいた近衛兵の一人に当たりを付けて斬り込んだ。
モハンの剣を受けたのは、第4師団の兵士長ビハーンだった。
ビハーンは磨き上げた自慢の剣でモハンの剣を受け止めた。
「こ、こいつ、どこから現れたんだ?」
ビハーンが考える間もなく、ラーマの麒麟第3隊の隊員60名が怒涛のごとく総攻撃してきた。
イシャンを取り囲んでいた近衛兵の陣形もあっという間に崩れて、応戦に追われ始めた。
「モハン、来てくれたのか……」
イシャンは、すぐにモハンに駆け寄ると加勢した。
「ガキンッ!ガキンッ!ガキンッ!」
剣と剣がぶつかり合う金属音が響き渡った。
モハンは連続してビハーンを斬り付けていたが、ビハーンは巧みな剣さばきで全てかわしていた。
「そんな単純な攻撃で私を倒せるとでも思っているのか?」
ビハーンはモハンの力量を見透かしたように不敵な笑みを浮かべた。
「モハンッ!直線的に打ってもダメだっ!簡単に動作を読まれているっ!」
イシャンの声を聞いたモハンはビハーンから数歩離れた。
「は、はい。相手が兵士長だと思うと、つい力んでしまって……」
「私に任せてくれ。」
イシャンは、モハンに範を示すかのようにモハンと入れ替わると、ビハーンと対峙した。
「私はラーマの麒麟第3隊副長のイシャンだ。」
「最初に正面から出てきた貴様が副長だったのか。
私は近衛兵団第4師団兵士長のビハーン。」
セシル様には申し訳ないが、さすがにレジスタンスの副長を生け捕りにすることは難しそうだ。ここで倒させてもらう。
ビハーンは、剣を握り直して、中段に構えた。
イシャンはビハーンの動作を観察していた。
なかなかの手練れらしい。隙が無さそうだ。
しかし、この兵士長を倒せば、近衛兵の士気は一気に下がるはずだ。
「これまでの借りを返させてもらう。」
イシャンは剣を下段に構えた。
下段の構え?
「その構えで私の速さについて来られるのか?」
「さあな。」
イシャンは表情を全く変えていない。ビハーンが動く時をジッと待っていた。
2人の気合が激しくぶつかり合っている間合いに入れる者は誰もいなかった。
対決の行方を見守っていたモハンは、勝敗が一瞬で決すると直感的に感じた。
ビハーンが右足を半歩踏み出して間合いを詰めると、イシャンは半歩引いて間合いをあけた。
間合いを詰めようとするビハーンと間合いを詰めさせないイシャン。2人の沈黙のせめぎ合いは暫く続いた。
「副長っ!」
この状態に耐え切れなくなったように、モハンは無意識のうちに叫んでしまった。
その言葉が合図になったように、ビハーンが動いた。
大きく踏み込んだ瞬間、中段に構えた剣をほぼ動かさずに直線的にイシャンを突いてきた。
イシャンはこの機会を待っていたかのように、下段に構えていた剣を斜め上に振り上げて、ビハーンの剣を払い退けると、一歩踏み込み、同じ角度のまま振り下ろして、ビハーンの身体を袈裟斬りにした。イシャンの動作に無駄な動きは一切なかった。
勝負は一瞬で決した。
「ぐっ……」
ビハーンは短く断末魔の叫び声を発すると、両膝から崩れ落ちた。
「うおーーっっっ!!!」
2人の対決の結末を知ると、ラーマの麒麟の隊員から歓喜の雄叫びが上がった。
一方、近衛兵からは、落胆のため息が漏れ、悲鳴のような叫び声が響き渡った。
「ふう……」
イシャンは大きく息を吐くと、モハンに戦況を確認した。
「……そうか。
ここはモハンに任せる。
隊員の士気が上がっている今が勝負時だ。施設内の隊員を解放してくれ。
ただし、施設側面にいた弓矢隊には充分気を付けてくれよ。飛び道具は戦況を一変させる。
頼んだぞっ!私はカマルの援軍に回る。」
「分かりました。必ず解放します。」
モハンは再び小隊の指揮を取りに戻った。
◇
支部施設内部
扉の外れた正面の入口付近で外の状況を確認していた各班のリーダーたちは、第3隊の援軍が来たことを知ると、喜びを爆発させた。
「地獄で仏に会うとは、このことだな。」
リーダーの1人が安堵のため息をついた。
「まだまだ、これからが勝負だっ!」
「我々も戦闘可能な者は表へ出て応戦しよう。」
「しかし、施設の側面にいた弓矢兵の動向が気になるな。弓矢兵を目視したら、即座の対応が必要だ。」
「よし。全員、施設から脱出だっ!」
リーダーたちは口々に叫んだ。
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