1 峡谷の戦い

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1 峡谷の戦い

 ラーム王国はラムダン16世の治世がおよそ20年間続いていた。  ただし、ラムダン16世は正当な王位継承者ではあるものの、国政の実権を握っていたのは、国軍を掌握している近衛兵団の団長バジット卿であった。  ラムダン16世による王政はバジット卿に担がれた傀儡政権に過ぎなかった。  バジット卿とその側近は、常人では持つことが出来ない特殊な能力「マントラ」を駆使して、王族、軍、そして国民を強権によって支配していた。  「マントラ」の能力を持つバジット卿らの圧倒的な力の前では、与する者はいても、歯向かう者は誰一人いなかった。  ある人物とその同志を除いて……  その人物、アグリム大師が組成したレジスタンス組織「ラーマの麒麟」は、近衛兵団に対する唯一の抵抗組織として、ラーム王国を国民の手に取り戻すべく、身命を賭して戦っていた。  そして、アグリム大師たちもまた、「マントラ」の能力をその身に宿していた。 「マントラ」の能力を有する一族には、代々受け継がれている伝承があった。 『この血を受け継ぐ者、精霊の名の下に剣を抜け。  その蒼き瞳をもって、精霊の名の下に我を打て。  その翠の瞳をもって、精霊の名の下に力を得よ。  さすれば、この地に安寧と繁栄をもたらすであろう。』 ◇  ラーム王国北部山岳地帯のとある峡谷  深紅の太陽は山々の向こう側に沈みかけていた。 「はぁ、はぁ、はぁ……  ほ、報告っ!  隊長っ!インジゴ隊長っ!情報通りです。やってくるのは近衛兵団の一個師団およそ250です。」  偵察係は、敵情視察から峡谷の崖の上に戻ってくると、息も整わないまま、レジスタンス組織ラーマの麒麟第1隊隊長のインジゴの前に進み出て報告した。 「……そうか、ご苦労。」  近衛兵団、来たか……  偵察係の報告を受けたインジゴは、夕闇に包まれ始めた峡谷の山道を見下ろした。  すると、遠くのほうで砂煙が舞上がっているのが見えた。  国王側近の近衛兵団が一個師団の規模で長距離を移動することは珍しかった。  やはり、大師の情報は正しかったんだ……千里眼の能力は今なお健在だ。  それにしても、最近の近衛兵団は軍事行動が活発化している。  我々の影響もあるだろうが、小規模ながら他のレジスタンス組織が現れている。それも近衛兵団に少なからず危機感を与えているに違いない。  近衛兵団がその対応に追われると、そこに付け入る隙もできるというものだ。  この国が大きく動き出そうとしている気がする。 ◇  数日前  ラーマの麒麟本部施設内の一室  ラーマの麒麟の指導者アグリム大師は、千里眼の能力をもって、峡谷の山道を行軍する近衛兵団の光景が脳裏に浮かんだ。  ただ、身体中を病魔に犯されているアグリムは、自らの死期が近いことを悟り、千里眼の能力も衰えてきていると感じていた。  そのために、千里眼の能力で得た光景の真偽を計りかねていた。 「大師。  私は、大師の千里眼を僅かたりとも疑ったことはありません。  それが今も変わらないのは言うに及ばないことです。  我が第1隊が峡谷にて近衛兵団を打ち砕きます。」  アグリムの孫であり、第1隊隊長のインジゴは、ベッドに横たわっているアグリムに向けて力強く進言した。  アグリムは深いしわが刻まれた手でインジゴを傍らに引き寄せると、優しく口を開いた。 「我が孫インジゴよ、心強いのう。  では、頼むぞ。武運を祈る。」 ◇  インジゴは、崖の上から眼下の山道を眺めながら、報告を受けていた。 「師団の将は誰か?」  インジゴは冷静な口調で偵察係に確認した。 「第1師団師団長のハンスです。」 「ハンス?確か?」 「はいっ!  周りの騎馬兵よりも頭3つ分位背が高い大男でした。間違いありません。」 「そうか……  日が暮れると厄介な相手だな。  よし、伝令、皆に伝えてくれ。  弓矢隊は崖の手前に陣を張って攻撃の準備をするように。  近衛兵団が真下の山道に通りかかった時、私の合図で一斉射撃を行う。  狙うは、隊列の中央付近だ。  そして、一般隊員は3小隊に分かれる。  シュリアが隊長のシュリア隊30名。  サイが隊長のサイ隊30名。  そしてインジゴ隊20名だ。  3小隊は近衛兵団に気づかれないように崖の中腹まで下り、攻撃態勢を維持して待機。私の合図を待て。  各自、速やかに配置に着くように。  以上だ!」 「了解しましたっ!」  伝令係はインジゴの命令を伝えるために隊員たちの元に急いだ。  伝令係の伝令を聞くに及んで、崖の後方に控えていた隊員たちの間に新たな緊張が走った。  インジゴは、腰に差した愛剣『波夷羅黄龍』の龍頭を模した柄に左手をかけて、暫し黙考していた。  こちらは100名。むこうの半数以下だ。  だが、ハンスの師団は逃げ道の少ない峡谷の山道を進んでいる。  崖上に陣取っている我々には地の利がある。  千載一遇のチャンスだ。  狙うは師団長のハンスのみ。それだけだ。 ◇  一方、山岳地帯の峡谷の山道を進む近衛兵団の第1師団、その数250名。  隊列の中程を進む馬上の大柄な男は、精悍な顔つきで前方を見据えていた。 「この先、狭隘の道が続く。  城に着くまで気を抜かないように全軍に伝えろ。」  第1師団師団長のハンスは、並んで行軍していた兵士長のビムに命じた。 「はっ!了解しました。」  ビムは馬を駆って行軍の先頭に向かった。  黙々と行軍している兵士たちの顔には疲労の色が浮かんでいた。 「早く帰ってベッドに倒れ込みたいよ…」  一人の兵士がつぶやいた。 「同じく…」  その兵士と並んで歩いていた兵士が同意した。 「でも、こうして生きて帰れるんだ。よかったよ。」 「本当だ。神に感謝。」 「神に感謝して、祝杯だな。」 「いいねぇ。一杯ひっかけてから、泥のように眠ろう。」 「それ、最高。」 ◇  6時間前  第1師団は峡谷の手前にある小さな山村にいた。 「ここが今日壊滅させる予定の最後の反乱組織のアジトだな?」  ハンスは前を向いたままビムに確認した。 「左様です。」  ビムは頭を下げた。 「逃げ道は塞いだか?」  ハンスはビムに確認した。 「はい。要所に兵士を配置しました。もう、袋のネズミです。逃げ道はありません。」 「そうか。  では、国王側近の近衛兵団らしく、正々堂々と正面から乗り込むとしよう。  しかし、こんな山村の教会を隠れ蓑にしていたとはな……」  ハンスが目にしている教会は、土台の部分が苔むして、昔は純白だったはずの白壁も長年の雨風に晒されて、今ではすすけた灰色になっていた。  その上、細かい細工が施された窓枠は、一部が朽ち果てて剥がれ落ちていた。  隠れ家としては都合がいい建物と言うべきか…… 「ここを隠れ家としている反乱組織がラーマの麒麟ではないことは確かなんだな?」  ハンスはビムに確認した。 「はい。ラーマの麒麟とは全く別の組織のようです。」 「いずれにしても、反逆者であることに違いは無い。今ここで一掃する。」  ハンスは馬から降りると腰の剣をゆっくりと抜いた。 「先駆け、務めさせて頂きますっ!」  ビムも馬から飛び降りると、槍を構えたまま、躊躇なく教会の扉を蹴破った。  ドガッ! 「屋内では、その槍の威力は半減するんじゃないか?」  後ろに立っているハンスは、笑みを浮かべて、ビムに訊いた。 「半分の力で充分です。師団長の手を煩わせることはないかと……」  ビムは教会の中を見据えたまま答えた。 「それでは、兵士長のお手並み拝見といくかな。」 「お任せください。」  ビムを先頭にして、近衛兵団第1師団の精鋭10人は教会の中に踏み込んだ。  近所の民家の住人は、何が起きているのか興味津々の様子で少し開けた窓から教会と近衛兵団の様子をうかがっていた。  ハンスが、ふと民家にいる住人と目を合わせると、目の合った住人は慌てて窓を閉めて息をひそめた。 「反逆者どもっ!覚悟しろっ!」  ビムの叫び声が教会内に反響した。  …………  しかし、教会の中は静寂が支配していて、ビムの叫び声に反応する者はいなかった。 「ん?もぬけの殻か?  人の気配があったのは確かだ。  どこに行った?」  ビムは四方に目を配った。  他の兵士たちも肩透かしを喰らったかのようにキョロキョロと当たりを見回した。 「教会内を捜索する。必ず近くにいるはずだ。」  ビムは兵士に命じた。  教会に踏み込んだ兵士たちは辺りを慎重に捜索し始めた。  教会の外ではハンスが中の様子を窺っていた。 「ビムッ!誰も居ないのかっ?」 「はい。今、捜索しています。」  ビムの声が響いてハンスの耳に届いた。  外で待機している兵士たちはざわつき始めた。  その時、教会内でレジスタンスを捜索していた兵士の一人が祭壇下の床にある扉を発見した。 「兵士長っ!来て下さいっ!ここに隠し扉のようなものがあります。」 「隠し扉?」  ビムは礼拝堂の奥にある祭壇に駆け寄ると、床の扉を引き開けた。  すると、暗い地下に続いている階段が現れた。 「あっ、ここから逃亡したのか。情けない奴らだ。  よし、行くぞ。私の後に続けっ!」  ビムは地下に続いている階段を慎重に下って行った。  外で待機していたハンスと他の兵士たちは教会の周りの捜索を始めていた。  ハンスが教会の裏庭に移動して、その先の方にある雑木林に視線を移すと、5、60メートル位先の茂みの中に複数のレジスタンスの人影を見つけた。  こそこそと逃げ出すとは……  所詮、半端者のレジスタンスか。  一方、教会から続く地下通路を通って雑木林に現れたレジスタンス。 「どうやら、皆、教会から移動できたようだな。」 「でも、間一髪だったぜ。  何の前触れも無く、あっという間に近衛兵に取り囲まれたから。」 「ああ、地下通路を作っておいて、本当に良かった。」 「しっかし、まさかこの教会が近衛兵に見つかるなんて……」 「最近、締付けが厳しくなっている気がする。」 「全くだ。教会はもう使えないな……  これからも油断出来んぞ。」 「とりあえず、ここから移動だ。体制を整える時間が必要だ。」 「ああ……」  レジスタンスが雑木林の奥に姿を隠そうとした時、背後から聞き慣れない男の声が響いた。 「お前たちみたいな輩がいるから、我々が忙しくなるんだ。」 「何っ??」  驚いたレジスタンスが一斉に声のする方を振り返った。  そこには、レジスタンスの会話を聞いていたハンスの姿があった。 「ど、どうして後ろに近衛兵がいるんだっ?」 「一体どこから現れた?」  レジスタンスは剣を抜いて身構えた。 「私がどこから現れたのかはどうでもいい。  お前たちがこの国で好き勝手をしていることが問題なんだ。  一掃させてもらう。」  ハンスは剣をゆっくり抜いて、右手一本で中段に構えた。 「ん?たかが一人だ。一斉に攻撃だっ!」  リーダー格のレジスタンスが言い終わるか終わらないうちに、ハンスの剣が次々とレジスタンスの心臓を貫いていった。  力の差は歴然としていた。  ハンスの攻撃の前にレジスタンスは為す術がなかった。  ハンスに心臓を貫かれたレジスタンスはバタバタと地面に倒れ込んだ。  あっという間に15人のレジスタンスを倒したハンスは、呼吸が少し乱れているだけだった。  呼吸を整えるために深呼吸しながら、剣を地面に向けて鋭く一振りすると、刀身に付いていたレジスタンスの鮮血が地面に飛び散った。  俺の剣とは違って、並の剣はさすがに切れ味が劣るな……  その分、扱い易いが……  ハンスがレジスタンスを一掃した後、雑木林の地面にある隠し扉からビムがひょこっと顔を突き出した。 「あっ!こんな所に出るのか……」 「ビム、何をしているんだ?」 「あれっ?師団長。」 「『あれっ?師団長。』じゃないだろ。  お前が追い回していた敵はそこに倒れている奴らだ。」 「これって、師団長が……?」  ビムの目が点になった。 「そういうことだ。」  ハンスは笑い飛ばした。 「すみません。」  ビムはバツが悪そうに頭を下げた。 「そいつらが地下道を掘っていた事は想定外だったからな。  勝敗がどのように決するのかは神のみぞ知るということだ。  次はお前の活躍に期待する。」  ハンスはビムの肩に手を置いた。 「肝に銘じますっ!」  ビムは直立不動で答えた。 「よし、残党がいないか確認したら、全軍帰還するっ!」  ハンスは愛馬に股がった。 ◇  峡谷の崖にいるラーマの麒麟第1隊  崖の中腹の木立に隠れて近衛兵団の行軍が近づいてくるのをじっと待っていたインジゴは、崖の上で待機している弓矢隊の方を見上げると、タイミングを見計らって、右手を高く突き上げた。  弓矢隊の小隊長レアンは、インジゴの合図を確認すると隊員に射撃命令を下した。 「よしっ!  全員、構えて弓を引け。……撃てーっ!」  横一列に陣形を組んで、レアンの射撃命令を待っていた弓矢隊20名は、満を持して、眼下の敵にめがけて一斉に矢を放った。  弓矢隊の放った何十本もの矢が、空を切り裂くようにシュシュシュッと小気味よい矢音をたてて、近衛兵団の頭上から襲いかかった。  不意を突かれた近衛兵団の兵士たちは一瞬のうちに矢の餌食になった。 「ゔっ!」 「ぎゃあぁ……」 「うわぁ……」 「何なんだ?」  兵士たちの間にうめき声や悲鳴が響き渡った。辺り一面は、まさに阿鼻叫喚の様相を呈した。  それを聞いた周りの兵士たちは、突然の出来事に慌てふためき、逃げ惑い、師団の統制が崩れかけていた。 「隊列を崩すなっ!反逆者だっ!  崖の上から矢を射られているっ!  盾を上に向けて、矢を防げっ!」  師団長のハンスは、全軍にとどろき渡る大声で指示を出した。 「我々は栄えある第1師団だ。無様な行動を取るんじゃないっ!」 「は、はいっ!」  ハンスの大号令で第1師団の兵士は冷静さを取り戻した。  崖の中腹で弓矢隊の攻撃の状況を確認していたインジゴは、奇襲攻撃が予想以上に戦果を挙げたことに勝機を見出した。  すぐさま、大きく深呼吸すると待機している隊員に命じた。 「よしっ!私に続けっ!」  インジゴは、隊員80名を引き連れて一気に崖を走り下った。  細身のインジゴは、しなやかな身のこなしで行く手を阻む木々の枝やつるを巧みに避け、刀身が黄色に輝く愛剣『波夷羅黄龍』を使って道を切り開きながら下った。  『波夷羅黄龍』は、その刃で草木を切り裂いているのではなく、刀身が発する光が草木を焼き切っていた。  他の隊員は、インジゴに後れを取るまいと、必死に後に続いた。  最大限の攻撃力を発揮するためには、最良のタイミングが必要だ。  インジゴは山道に降り立つや否や、両方の手のひらを大きく開き、上空を飛んで行く、弓矢隊の放った無数の矢の方向に両腕を伸ばして、「バキラヤソバカ!」と鋭くマントラを唱えると、インジゴの両手はまばゆい黄色に発光した。  そして、その発光している両手をそのまま馬上のハンスの方に素早く向けた。  すると、インジゴの両腕の動きに操られるように、上空を飛んでいた何本もの矢が、物理に反して急に進む方向を変え、ハンスめがけて飛んで行った。 「チッ!」  ハンスは、矢の群れが自分の方に飛んでくるのを察知すると、短く舌打ちをして、両手の十指を胸の前で組んで印を結ぶと、「オンハバハバタサバッ!」と叫んだ。  一瞬、辺りに赤い閃光が走ったかと思うと、馬上の大柄なハンスの姿が煙のように消え失せた。  インジゴに誘導された何本もの矢は、まるで豪雨のように主の消えた馬に降り注いだ。  矢を全身に受けたその馬は、2、3歩左右によろめくと、地面に倒れ込んで息絶えてしまった。  ハンスは、愛馬が壮絶な死を迎える最期の瞬間を、20メートルほど離れた道端で見つめていた。  許さんぞっ!許さん……  矢を操ったのは物質に対する念動力……インジゴか?  こんなところでラーマの麒麟に出くわすとは、探す手間が省けたというものだ。  ハンスは、崖の上の方から山道の方までを見渡して、レジスタンスの連中の中にいるであろうインジゴの姿を探した。  インジゴの奴、どこだ?  そのインジゴは、ハンスが矢の雨を紙一重でかわしたことを知ると、手を挙げて弓矢隊を制止した。  そう簡単に倒せるものではないな…… 「敵の統制は乱れているっ!  今がチャンスだっ!みんな行くぞっ!」  インジゴは檄を飛ばすと、隊員の先頭に立って近衛兵の隊列めがけて突き進んだ。 「うおーっ!!」  インジゴに続いた隊員の雄叫びが地鳴りのように周りの空気を震わせた。 「シュリア隊は隊列の先頭に回り込め!  サイ隊は隊列の後ろだ!  私の隊は中央を衝く!」  インジゴは的確に指示を出した。  アドレナリンが出まくっているシュリア隊とサイ隊の2小隊は、インジゴの指示通りにそれぞれ近衛兵団の先頭と最後尾に移動すると、隊列を挟むように前後から攻撃した。  そして、インジゴ隊は隊長のインジゴを先頭にして、隊列の中央に攻め込んだ。  それぞれの小隊が全体の動きを把握しているかのように、一糸乱れぬ攻撃を仕掛けた。  まるで、巨大な獲物を狩るライオンの集団のようだった。 「よし、我々も崖を下って接近戦に移るぞっ!」  崖の上から戦況をうかがっていた弓矢隊の小隊長レアンは隊員に号令をかけた。  弓矢隊はインジゴたちが作った獣道を通って崖を駆け下りると、間隔をあけて一列になる陣形を作った。  近衛兵団の先頭から最後尾にかけて矢を射ることができる陣形だ。  弓矢隊は、陣形を崩すことなく、近距離から近衛兵に弓を引いて、3小隊を援護し始めた。  ラーマの麒麟第1隊の3小隊と弓矢隊による波状攻撃は、数の不利をものともせずに近衛兵を圧倒していた。  態勢を立て直すことができない近衛兵は、目前の剣を手にした隊員と後方の弓矢隊の放つ矢の双方を相手に戦わざるを得ず、劣勢に立たされていた。  インジゴは、剣を構えている近衛兵団第1師団の隊列のふところ深くに切り込むと、大きく息を吸い込み、再び「バキラヤソバカッ!」とマントラを唱えた。  そして、黄色に発光した両手を広げ、両腕を下から上に振り上げた。  すると、近衛兵が握っていた剣は、まるで意志を持ったかのように近衛兵の手から離れて、空高く舞い上がったかと思うと、次の瞬間には落下し始めて、ガチャガチャと音を立てて地面に墜落した。  近衛兵は、呆気に取られて、自らの状況が理解できないまま、気が付くと手にしていた剣が無くなり丸腰になっていた。  そこへインジゴ隊の隊員が剣を振りかざして攻め入る。 「近衛兵っ!観念しろっ!」 「もう、終わりだっ!」  近衛兵たちは、その言葉を受け入れるしかないように、反撃の術を見いだせなかった。  一方、素早く近衛兵団の隊列の先頭に躍り出たシュリア隊は、近衛兵の進軍を阻止するように、剣を突き立てて、行く手をふさいだ。  シュリアは、近衛兵の先陣の前に立ちはだかると、小隊に命じた。 「我々の力で何としてでも近衛兵の足を止めるっ!」 「了解しましたっ!」  士気が上がりまくっている小隊は果敢に攻め入った。  そのシュリア隊に対峙する、近衛兵の先陣にいたのはハンスの命令を伝えるために移動していた兵士長のビム。  馬上のビムは、長い槍を巧みに操り、上からシュリア隊に反撃し始めた。 「その程度の攻撃でこのビムを討てるとでも思っているのかっ?!  反逆者どもめっ!返り討ちにしてくれる!」  今日の俺は、山村の教会で戦う機会が無かったせいで力が有り余っているんだ。  ビムは教会での自分の不甲斐なさが脳裏をよぎった。  その記憶を打ち消すかのように、ビムは目にも止まらないような速さの槍さばきでシュリア隊の隊員を次々と撃退した。  上からの直線的な槍の攻撃に対して、シュリア隊の隊員たちは盾で何とか防ぐのが精一杯だった。  中々反撃に転じることができず、一人また一人と徐々にビムの槍の餌食になっていった。 「おら、おら、おらっ!  どうした?それで第1師団を止められるとでも本気で思っているのか?」  ビムは馬上からシュリア隊を挑発していた。  シュリアは、近衛兵の歩兵と戦いながら、そのビムの行動を少し離れたところで目視していた。  調子づいているあいつをすぐに止めないと、このままではこちらがやられてしまう…… 「あの騎馬兵を討つんだっ!」  小隊長のシュリアはターゲットをビムに絞るように隊員に命じた。  そして、シュリアは数名の隊員と共にビムの元に向かった。 「いつまでも好きにさせるかっ!  でやっ!」  身軽なシュリアは地面を蹴って飛び上がると、馬上のビムめがけて剣を振り下ろした。  ガキッ!!  剣と槍が激しくぶつかり合う音が響いた。 「んっ!」  ビムは、シュリアの一撃をぎりぎりの間合いでかわすと、息付く間もなく、シュリアを槍で突いた。 「ぐっ!」  ビムの突いた槍の勢いは凄まじく、シュリアの甲冑の上からその右肩に突き刺さった。 「シュリアッ!」  その光景を目撃した弓矢隊の隊長レアンは思わず叫んだ。 「シュリアを援護するんだっ!」  レアンは、数名の部下と共に、ビムに向かって弓を引いた。  ヒュン、ヒュン、ヒュン!  弓矢隊の放った矢が馬上のビムを襲う。  ビムは向かってくる矢を見事な槍さばきで払い落していたが、それでも全ては払いきれず、防具の無い脇腹や太股に次々と矢が突き刺さった。 「ク、クソっ!貴様らっ!」  弓矢隊が兵士長のビムに傷を負わせたことで、シュリア隊は士気を盛り返した。 「よーし、槍使いに命中だっ!  小隊長の敵討ちだーっ!」  シュリア隊の隊員はビムに襲い掛かった。 「この反逆者の群れがっ!」  手負いのビムは、虚勢を張ったが防戦一方となって、歯ぎしりしながら後退せざるを得なかった。  その頃、第1師団の退路を断つように後方から奇襲したサイ隊の小隊長サイは、インジゴ隊の状況を見つつ戦っていた。  さすがに隊長のマントラの威力は絶大だ。効果的に近衛兵を丸腰にしていっている。  隊員たちの攻撃のタイミングも息が合っているようだ。  サイはインジゴ小隊の戦闘展開を細かく観察していた。  よしっ、我が小隊も負けてはいられない。 「みんなっ!ここが踏ん張りどころだっ!気を抜くなっ!」 「任せてくださいっ!」  異口同音にサイ隊の隊員が叫んだ。  サイ隊の士気が一段と上がった。  が、しかし、第1師団の隊列のしんがりには大きな壁のように屈強な兵士が控えていた。 「しんがりの兵士は手ごわいはずだ。  絶対に1人では挑むなっ!  タイマンを張っている訳じゃない。複数で攻撃するんだ。  やみくもに戦っても勝つことは出来ない。」  サイは的確に指示を出した。  隊員たちもサイの命令通りに戦略的に戦闘を展開した。  しんがりの兵士以外の兵士にも複数で攻撃して、次々と打ち破っていった。 「この反逆者ども!  しんがりを任されている俺をなめるなっ!」  しんがりに控えていた大柄の兵士は、その太い腕に引けを取らない、ひときわ大振りの剣を頭上高く振り上げると、躊躇なくサイに振り下ろした。  ガッ!  サイと部下の隊員は、しんがり兵の一太刀を2人の剣を合わせて何とか受け止めた。 「うおおっ!」  己の実力を過信しているしんがり兵は、この一太刀で2人まとめて始末しようと、握る剣に一層の力を込めた。  こめかみには青筋が浮かんでいる。  サイと部下の隊員の剣は、しんがり兵の圧倒的な力の前に刃こぼれしていた。  そして、2人はじりじりと押され始めた。 「くっ!こ、こいつ……」  2対1の力比べの状態になっているところに、サイ隊の3人目の隊員が走り込んできた。 「脇がガラ空きだ。覚悟しろっ!」  3人目の隊員は、剣を構えて狙いを定めると、しんがり兵の腹部に斬りつけた。  斬りつけた剣は、ちょうど脇腹の甲冑で守られていない部分に傷を負わせた。 「ぐふっ!  ……クソったれどもっ!」  しんがり兵は、口から血の泡を吹きながら、両ひざをついた。  剣を握っていた両手は、脇腹に負った傷のせいで、込めていた力が一瞬緩んでしまった。 「よしっ、今だっ!」  サイは、機を逃さず、部下の隊員に合図すると、しんがり兵の剣を振り払った。  振り払われた、しんがり兵の大振りな剣は、弧を描いて宙を飛んだ。 「これで最後だっ!」  サイと部下の隊員の2人は、刃こぼれした剣を同時に振り下ろすと、しんがり兵の上半身に致命傷を与えた。  深手を負ったしんがり兵は、ついに力尽きて地面に倒れ込んだ。  峡谷の戦いの戦況は、奇襲に成功したインジゴ率いるラーマの麒麟第1隊が優勢だった。  戦力で勝る近衛兵団第1師団だったが、それ以上に地の利を活かしたラーマの麒麟第1隊の戦術が上回っていた。  インジゴは、瞬間移動ができるハンスがどこでどう行動しているのか気にはなったものの、目の前の近衛兵を倒すことに集中した。  インジゴが持つ『波夷羅黄龍』は、その刀身から発する光で近衛兵の身体を甲冑もろとも切り裂いた。 「はぁ、はぁ……」  ただ、短時間のうちにマントラを使い過ぎて、インジゴは体力を激しく消耗していた。  その時だった。  敵味方入り乱れて、砂埃を巻き上げながら戦闘が繰り広げられている最中、ハンスは細身のインジゴの姿を見つけ出した。  ハンスの目に映ったインジゴは、見るからに疲労の色が滲んでいた。  肩で息をしているようだ……  体力を消耗して、まだ回復出来ていないな。  隙がある……  インジゴを倒して、レジスタンスどもを一掃する。 「オンハバハバタサバッ!」  躊躇なく胸の前で両手の十指を組んで印を結び、マントラを唱えると、赤い閃光を残して、ハンスの姿が消えた。  その刹那、ハンスの姿はインジゴの背後に現れた。  と同時に、ハンスの剣がインジゴの脇腹を貫いた。
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