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時は流れて……
「想汰、遅刻するわよ」
彼の母親が声をかける。
「やばい。行ってきます」
と家を飛び出す想汰。
ガチャ……。
塾のドアを勢いよく開けた想汰。
息を整えながら塾の中に入って来た。
「想汰君、大丈夫?」優しく声をかける女性
「大丈夫です……。美緒先生」と彼が返事をする。
あれから、六年の月日が流れた。
美緒は、大学を卒業し、アルバイトをしていた
学習塾に塾講師として働いていた。
「じゃあ、始めようか。テキストは……」
と美緒が想汰に声をかける。
塾を訪れる生徒が入れ替わり立ち代わり、
時計は、夜の九時を指していた。
「お疲れ様でした」仕事を終えた美緒が
塾を出ると、自宅に向かって歩いて行く。
神社付近にさしかかった時、
「美緒先生」と後ろから声がした。
美緒が振り向くと、首からタオルを下げた
想汰が立っていた。
「想汰君、ジョギング?」と美緒が言った。
「そうだよ。この時間だから、先生通るかな?
って思って待ってた」
「もう、受験生なのに……いいの?」
「いいの、いいの」と答える想汰。
「でも、想汰君は中学受験に合格して、
今は有名進学校に通ってて、物凄く優秀なのに
塾通い続けてるなんて……
まぁ、うちの塾としてはいいんだけどね」
「まぁ、いいじゃんそんなこと。
美緒先生の教え方が上手だからだよ」
と呟く想汰。
「ところで、想汰君、進路は決めたの?
もうすぐ、夏休みだよ……。
ご両親心配してたよ。
まぁ、どこでも余裕で
合格圏内だけどね」と美緒が言った。
「まぁ、そのうちちゃんと
決めるから心配しなくていいよ」
二人は、美緒の家の前にたどり着いた。
「じゃあ、美緒先生、おやすみなさい」
「想汰君、私とおしゃべりして歩いて、
ジョギングになってないんじゃないの?」
と美緒が想汰に聞いた。
「なってるよ……。それに、危ないじゃん、
女性の夜の一人歩きは……」
と口を尖らす想汰。
「想汰君、いつも、ありがとう」と微笑む美緒。
彼女が玄関先に歩いて行こうとしたその時、
「美緒先生……」と想汰が美緒を呼んだ。
「ん? 何?」彼女が振り向いた。
「今年の夏は……花火大会見に行かないの?」
と彼が聞いた。
「う~ん、どうかな? わかんない」
と答える美緒。
あの夏以来、美緒は『花火大会』を
見に行こうとはしなかった。
「先生、今年は俺と見に行かない? 花火」
と想汰が言った。
一瞬無言になった美緒は、
「もう~、何言ってるの? 塾の生徒と一緒に
花火大会なんて行けるわけないでしょ!」
と美緒は想汰の頭を軽く小突いた。
「え~だめなの?」とすねた口調の想汰。
「はい、はい、受験を終えて、大学生なって
彼女を早く見つけたらいいのよ」
と笑う美緒。
「う……」と口をつぐむ想汰。
「じゃあ、想汰君、またね。おやすみなさい」
と言うと美緒は玄関のドアを開け家の中に入って行った。
「はぁ~」と大きな溜息をついた想汰は、
自分の家に向かって走り出したのだった。
自分の部屋に入ってきた美緒、
首元から、星型のアクセサリーを取り外すと
フォトフレームの前に置いた。
フォトフレームの中には、笑顔でピースサインを
している朝陽と美緒の写真が入っていた。
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