オフィスラヴ~国王の執務室の場合~

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 国王グレファスは、執務室で書類に目を通していた。  グレファスは、今年二十歳。即位して一年になる。ようやく、国王の仕事に慣れて来た。初めはプレッシャーばかりだった。立派な父王の後も辛いだろうが、失策ばかりの愚王の後でも、結局辛い。要するに、比べられたくないのだ。  国中から、大小様々な訴え、請願が書類となって押し寄せてくる。ある程度は、官吏が審議し、ふるいにかける、または短時間で把握できるように要約してくれるが、それでも多い。  自分の国に、これほど問題があるのか、と、時に逃げ出したくなるが、隣室の続き部屋になっている秘書室には複数の秘書官が、部屋の外には警護官が、城には多くの妻、官吏、侍従たち、城を一歩出れば、王都の民が。実際に逃げようとしても、物理的には無理だ。  逃れられないから、務めを果たしていると言える。自分を留まらせているのは、後ろ向きな合理性と、ほんの一握りの義務感、そして強い羞恥心。逃げた王、と歴史に刻まれるのは、誰が同じ立場でも嫌だろう。 「陛下、一息入れませんか」 秘書官のレオニスが、ポットとティーカップを乗せたカートを押してくる。  同じ年頃のレオニスは、人を癒す不思議な魅力を持っていた。柔らかい表情と、癖のある栗色の髪。誠実な目。彼を見ているだけで、癒された。  グレファスは、垂れた前髪をかき上げて、執務机の革張りの椅子に背をもたれた。 「今日は、何処のお茶なの?」 「エナリスです」 レオニスは微笑んで応えた。香りが良いといわれる紅茶だ。  グレファスは、書類を脇にどかし、ティーカップが置かれるのを待った。慣れた様子で紅茶を注ぐレオニスの何気ない所作が美しい。  静かな時が流れた。  窓からは、白昼の光が降り込んでくる。ソーサーを持つレオニスの顔が、柔らかい光を浴びて、まるで慈悲深い聖母の様に見える。 「どうぞ」  長く繊細なレオニスの指が、ティーカップを執務机に置いた。甘くほろ苦い香り。グレファスは、カップを口に運び、一口飲む。ほっとして、長い吐息が漏れる。 「レオニスの淹れてくれる紅茶はいつも美味しいね」 「ありがとうございます」  グレファスは、また一口飲んで、レオニスを見た。自然と笑みがこぼれた。  どうした事だろう。今まで、なんとも思っていなかったレオニスに、心が惹かれる・・・。 レオニスは、国王の優しい微笑みを見るたび、胸が苦しくなった。  心臓の高鳴りが、自分の本当の気持ちを教えてくれる。この想いに殉じる事が出来ればどんなに幸せか。でも、相手は国王だ。そして私は男。許される訳がない。せめて傍にいれるだけでいい。秘書官として、この方に尽くせればそれで・・。  国王が一杯の紅茶を楽しむ間、レオニスはずっと国王を見ていた。幸い、国王は紅茶に夢中だ。じっと見ていても変に思われない。  優しくて、立派な方。そんな尊敬の念が恋に変わったのは、いつからなのか。  薄紅色の張りのある唇。  金色の前髪の奥で、伏せた青い目が愁いを漂わせ、レオニスの心を鷲掴みにする。  美しい方・・・。  国王が紅茶を飲み干した。  レオニスは、ティーカップを下げようと手を伸ばす。その時、国王の指に触れた。どきりとして、国王を見る。 「失礼を」  心臓の音が聞こえるのではと心配になる程、どきどきした。必死で平静を装い、ティーカップをカートに乗せる。 「美味しかったよ。また淹れてね」 微笑んで、国王が言った。 「はい」 レオニスは、何も無かったように微笑んで、カートを秘書室に下げた。  夕刻。  国王は、先に執務室を退室した。  秘書官も、ひとり、また一人と帰って行く。  レオニスは、動揺を引きずり、仕事を片付けるのが遅くなった。 「もう明日にしろ」 背の高い、厳めしい顔つきの秘書室長、ネイモンドが言った。 「はい」  レオニスは、仕事の手を止めた。自責の念にかられ、思わず溜息がでる。  ネイモンドが訝しんだ。 「どうした。そんな溜息つくなんて珍しい」 「すみません。なんでもないんです」  ネイモンドは肩をすくめた。 「帰ろう」 「お先にどうぞ。少し整理してから帰ります」 「そうか。さっさと帰れよ」 「はい。お疲れ様です」 「お疲れ様」  ネイモンドは、秘書室を出て行った。秘書官が秘書室を出る時は、続き部屋になっている国王執務室を通って廊下に出て行く。  レオニスは、仕事道具を片付け、上着を羽織って秘書室を出た。そこに警護官を連れた国王が現れた。思わず足が止まる。 「陛下」 「レオニス、まだいたのか」 「もう帰る所です。どうされたのですか」 「忘れ物をしてね」 国王は警護官を外で待たせると、執務机に歩み寄った。机の上を目で探すが、 「暗くてよく見えないね」  レオニスは、国王の役に立ちたく思い、執務机に歩み寄った。 「失くしたのはこの辺りなのですか?」 「机の周りの筈なんだよね」 国王はそう答えて、机の後ろに回り込んだ。 「下かな」 「どうでしょう」 レオニスも、机の後ろに回り込み、床を見る。  外は、日が沈みかけている。見えない訳では無いが、陰になって見えにくい。小さなものなら分からないかも知れない。そう思っていると、国王が、 「これかな」 と、声をあげ、床に片膝をついた。  国王は、指先で、小さな何かを摘まみ上げると、レオニスに見せた。 「これだよ」  レオニスは、国王の持つそれをよく見ようと、腰をかがめた。その時、国王が素早く左腕を伸ばし、レオニスの首の後ろに回した。そしてそのままぐいと引き寄せた。  レオニスは、バランスを崩し、国王の胸の上に倒れ込んだ。がばりと顔を上げる。目の前に、国王の顔がある。  国王は、もう片方の腕で上手く自分を支えていた。この状況になっても、レオニスを離さない。 「へ、へいか・・」 緊張と、興奮で、上手く声が出せない。  国王は、じっとレオニスを見つめている。強くて、優しい眼差し。 「と、とんだご()(れい)を、とレオニスが言い終わらない内に、国王の口がレオニスの口を塞いだ。  レオニスは、目を見開いた。うそだ。うそ・・こんな・・・。  レオニスの思考を国王の舌が遠くへ押し流した。悦びと罪悪感がレオニスの芯を痺れさせる。  レオニスは、目を閉じた。されるがままになっていたのが、自分から求め始める。  陛下。陛下。 「へいかっ・・」 押し殺した声で、愛しい人を呼ぶ。国王の顎の下を、首筋を、愛撫する。警護官が外にいる、国王の執務室で。見つかれば囚われて、下手すれば死刑だ。それでも止められなかった。むしろそれがレオニスの興奮に拍車をかけた。  国王の上着のボタンを外す。ああっ、面倒だ!引きちぎりたい!いや、それだけは駄目。それだけは・・。 「レオニス」 国王が、レオニスの耳元で囁いた。熱い息が、彼の耳にかかる。 「あまり時間をかけられない。おいで」  国王は、自ら腰のベルトを外すと、自身を()き出しにした。レオニスの胸は震えた。  ああ、陛下。愛しい陛下。  レオニスは、国王にしゃぶりついた。愛しい方・・。陛下!陛下!  グレファスは、声を押し殺すのに必死だった。  レオニス。ああ、レオニス。可愛いレオニス。  グレファスの体を容赦なく快楽が貫く。溺れたい。このまま、何もかも捨てて。  だが、蜘蛛の糸ほど残ったか細い理性が、これ以上は駄目だと警鐘を鳴らした。  だめだ。これ以上は、だめ・・。  いや、もう少しだけ。  もう少しだけ・・。 「陛下」 警護官が、外から声を掛けて来た。  二人は、ぎょっとして動きを止めた。入って来る?!  国王は、一瞬、未練を引きずる様にレオニスの顔に指先で触れると、すぐ何も無かったように服を着直し、立ち上がった。 「見つかったよ」 と、何も持っていない指を摘まんで見せた。どうせ暗くて見えないだろう。 「ようございました」 無感情に、警護官が答えた。 「待たせて悪かったね」 「いいえ」 「レオニスも。付き合わせて悪かったね」 と、国王が、レオニスを振り返った。国王が時間を稼いでくれたおかげで、レオニスも身だしなみを整える事が出来た。素早く立ち上がり、微笑む。 「いいえ。見つかって良かったです」  二人は、ひそかに視線を交わし、国王は警護官を引き連れて後宮へ戻った。  レオニスは、甘い一時が忘れられなかった。どうにも出来ず、火照った体のまま、家へ帰った。  女中が夕食を用意していたが、食事をする気にならなかった。  家族が心配する中、早々と自室にこもる。  ああ、陛下。ああ。もっと、貴方と、もっと・・。  行き場のない欲を自分で慰めながら、眠りに落ちた。  その日の夢には国王が現れた。  レオニスは、いつもは夢と分からない。  でもこの時は、分かった。幸せ過ぎて、夢としか思えなかった。  レオニスは、好きなだけ国王と戯れた。  国王の肌の温もりを感じ、逞しさを感じ、溺れた。  朝、目を覚ますと、いつもと変わらない一日が始まった。  あの執務室でのことすら夢ではなかったのか。そう疑ってしまう程、国王はいつもと変わらない様子で仕事をしている。  レオニスは悲しかったが、夢と思った方が良いのかも知れないとも思った。この先、こんな募る想いを抱えて生きていくよりは・・・。 「レオニス」 ふいに国王が呼んだ。 「はい」 「近々、南方に視察に行きたい。スケジュールを立ててくれるか?」 国王は、微笑んでそう言った。  レオニスは、目を見開いた。彼にはこう聞こえた。人がいない所で二人で楽しもう―――。息をするのも忘れるくらい嬉しかった。 「はい」  レオニスは、そう答えて、眩しそうに微笑んだ。
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