足止め

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足止め

新院主となった跡目相続の挨拶のため、 私たちは江戸へと下向し、伊勢からの長い旅を終え、江戸城へと入った。 控えの間にて、旅装束を脱ぎ袈裟衣の着替えなど将軍拝謁のための準備をしていると、そこに春日局がやって来た。 女人禁制のはずの表御殿現れるということは、春日局は、大奥から表まで 自由に出入りが許されているということになる。それだけの権力を持っているということなのだと分かった。 「これはこれは、慶光院様、長旅お疲れ様でございました。 拝謁の準備が整いましたら、 私がご案内いたします。」 「春日局様。 旅先では様々ご配慮いただき、お蔭様で何の支障もなく旅をする事が出来ました。 ありがとうございました。」 「これまでは、戦乱の世が終わったとはいえ、まだ隙あらば徳川幕府を倒そうという不遜な者が居りましたので、女人の旅は危ないということで、跡目相続の挨拶ということはしていただいておりませんでした。 ですが、ようやく上様の御代になり、世の中も太平になりましたので、 この度初めて、跡目相続の挨拶に下向していただくことになりました。 二、三日お疲れを取られましたら、 江戸の街などご案内いたします。 どこぞ、お出でになりたい処がございましたら、どうぞ仰って下さいませ。」 「ご配慮誠に有り難く存じます。 ですが、まだまだ未熟者でございます。 新院主としてやらなければならないことが山積しておりますので、一日も早く伊勢に立ち返りたく、将軍様へ拝謁が済みますれば、なるべく早く出立致したいと存じます。」 「誠に、お若いのに、さすが周清上人様のお眼鏡にかなった方でございますな。 拝謁の準備が整ったようでございます。 ご案内申し上げます。 お付きの方は、こちらにてお待ち下さいませ。」 春日局に先導され、拝謁の間に案内された。 将軍家光公は、上段の間、御簾の向こうにおられ、こちらからはその影しか見えない。 私は、手のひらを上にして(手は数珠を持つため畳には付けない)平伏し、慶光院新院主として跡目相続した挨拶を言上し、将軍からねぎらいの言葉があって拝謁は終わるはずだった…。 だが、将軍は沈黙してお言葉がない… 春日局が小声で、 「面をあげられませ。」という。 ゆっくりと上体を起こすと、御簾越しに将軍家光公と向き合う形になった。 「遠路の長旅誠にご苦労であった。 春日局、慶光院を良くもてなすように。」 そう言うと、家光公が拝謁の間から立ち去る音がした。 どうやら、無事拝謁は済んだらしい。 それにしても、あの沈黙は何だったのだろう? そんなことを考えながら、控えの間へ戻って行った。すると、そこに居るはずの供の尼僧たちがいない。 「お付きの方々は、先に別屋敷に移られております。私が、逗留していただく別屋敷にご案内いたします。」 また、春日局直々に案内されて江戸城内の別屋敷に案内された。 「こちらが、慶光院様に逗留していただくお部屋にございます。 こちらは、慶光院様のお身の回りの世話をいたす奥女中の藤野でございます。 なんなりとお申し付け下さいませ。」 「春日局様、私の供の尼僧はいかがしたのでしょうか?私の身の回りの事は、供の者がいたしますので、奥女中の方は不要でございます。」 「お供の尼僧の方々は、明日伊勢に御出立されますので、別屋敷にて、休息していただいております。」 「供の尼僧が明日出立するとは、 どういうことでございましょう。 院主の私を江戸に置いて、供の者だけ伊勢に返すのでございますか?」 「藤野、人払いを。」 「畏まりました。」 「慶光院様。 これからお話いたしますことは、 大事なことでございますので、良くお聞きになり、お考え下さいませ。 将軍家光公にあらせられては、慶光院様に還俗の上、大奥にお入りいただくことを望まれておいでです。 このことは、周清上人様にもご承認をいただいております。ですから、あなた様が慶光院七世院主となった事は、慶光院の記録にもその他の記録にも一切残っておりません。」 「そのために、私を大奥に入れるために江戸へ下向させたのでございますか?」 「有り体に申せば、そういうことでございます。 仏の道を求めて幼い頃から尼寺へ自ら入られた方に、大奥へ入れなど、なんと無礼な事とお怒りかもしれません。 ですが、どうぞ良くお考えになって下さいませ。 私も上様もあなた様を必要としております。 ですが、権力をもって、力尽くで大奥へ送り込もうなどとは考えておりません。 もう、すでに代わりの方が七世院主として登座されておりますので、伊勢にお帰りいただくことは出来ませぬが、もしどうしてもご納得いただけないのであれば、江戸から遠くない場所に一寺を建立し、そこのご住職となっていただきます。」 「そこまでして、春日局様と上様が私を必要とするとは、どういうことでございますか? 大奥へ入るとは、側室になれということでございましょう?」 「ご存じの事かと思いますが、上様と御正室鷹司孝子様は不仲にて、御台所として大奥の主であるべき方ですが、別殿中の丸御殿にお住まいで、事実上離別の状態でございます。 そして、これまで何人かの側女を侍らせ御子も生まれましたが、皆死産か早世。 現在は側室もなく、上様は中奥でお過ごしになり、大奥に足を運ぶことも稀な状態でございます。 このままでは、お世継ぎがなく、また相続争いから戦乱の世に逆戻りするやもしれませぬ。 上様が男色家で女人を近づけぬからとか巷では噂をする者もいるようでございます。 確かに、それもあながち間違いとは言い切れぬことではあります。ですが、男が好みというより、女人に心を開けないからなのです。なぜ、そうなったのかは、一言では申し上げられません。色々な事が積み重なってそうなったのでございます。」 「春日局様は、私に、その上様の閉じてしまった心を開けと仰るのですか? 幼い頃に尼寺に入り、男女の事など何も分かりませぬのに、なぜ私なのでございますか?」 「大奥へ入りたがるような女子は、皆出来れば上様のお目に止まり、お手が付いて子を産み、のし上がりたいと 欲望を持って上様に媚びを売る者ばかりでございます。 そういう女子では、上様の閉じてしまった心を開き、傷ついた心を癒すことは出来ませぬ。 非情なことと思われるでしょうが、 あなた様が大奥へ入られても、上様の御子を生むことはできませぬ。 幕府は、朝廷や公家が外戚となることを良しとしていないからです。 それなのに、側室になれというのがどれ程非情な事であるか、分かっております。 それでも、いや、それだからこそ、 あなた様しかいないのです。 あなた様が必要なのです。 尼寺に入り仏の道を求めたのは、弱い者、苦しんでいる者を救いたいと思われたからではございませんのか? 私が無位無官の身で帝に拝謁を賜り、 朝廷から春日局という名をいただいたのも、上様の御子をお世継ぎを望むのも、 自分や一族の栄誉栄達の為ではありませぬ。 ひとえに、この太平の世を守らんが為なのです。 徳川家が揺らげば、また戦の世に逆戻りしてしまいます。 尼僧として、貧しい民、苦しんでいる民を救うことも尊いことです。 しかし、ひとりの尼僧に出来ることには限りがございましょう。 上様おひとりをお救いになれば、日本の多くの民を救うことと同じ、いえそれ以上の事が出来るのではありませぬか? どうか、良く良くお考えになって下さいませ。 私は、これにて失礼いたします。」 それだけ言うと、春日局は立ち去った。 部屋に独り残された私は、春日局が語った言葉を思い返していた。 江戸へ下向する旅の中で、己の無力さ、 慶光院の在り方など感じていたことを刺された気がした。
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