1人が本棚に入れています
本棚に追加
自分を出せ
マンションに戻ると、玄関口に買い物袋を下ろす。
ワンルームでユニットバス。
最低限生活に必要な物が、手の届く範囲に詰まった部屋だった。
上がり口に冷蔵庫がある。
とりあえず、ビールとつまみ、見切り品の野菜、冷凍食品を入れた。
菓子類はほとんど買わない。
休日以外は間食する時間がないからだ。
疲れた体に鞭打って、最低限の動きで食事、風呂、洗濯、そして寝る。
こんな生活がずっと続くとしたら、人生とは何だろう。
とにかく、洗濯を最初にやらないと時間がない。
素早く着替え、スイッチを押した。
洗濯機の隣に小さなクローゼットと箪笥を収めた収納スペースがある。
明日着るものを確認し、レンジのスイッチを入れたときだった。
スマホが鳴っている。
遊び仲間の実起夫だった。
「ああ、さっき結から電話があってね。
ちょっと気になったから ───」
不動産会社の営業マンをしているため、仕事の相談をすることもある。
噂では、かなりの営業成績らしい。
かなり稼いでいるだろうが、派手な生活はしない男だった。
疲れが出て、スマホを持つ手がだるくなった。
テーブルに置いてスピーカーに切り替える。
「仕事の話か」
「お前はデキるから、後輩の話をよく聞かないんじゃないのか」
図星だった。
正直、帰ってから仕事の話をしたくなかったが、実起夫なら損得なく話せる。
「後輩にコピーを考えさせたんだけどな。
思いっきり滑って、おジャンになった」
「なるほどな。
じゃあ、もう分析は済んでそうだな」
「適当に反省会を切り上げて、新しい戦略を練って持ち寄ることにしたよ」
スピーカーから唸り声がした。
ご飯を盛って、おかずと共にテーブルに置いた。
「なあ、自分の話をしているか」
「なんでだ。
必要ないだろ」
「人をうまく動かす人ほど、親友を作ろうとする。
友達を増やせば解決する問題が、ビジネスには たくさんあるぞ」
「自分の過去を話すのか」
「そうだ。
人間は、己を知る者を信頼する」
「へえ、敏腕セールスマンが言うなら、説得力があるな。
試してみるよ」
夜遅いからと、切り上げようとしたときだった。
思いがけない言葉に箸を止めた。
最初のコメントを投稿しよう!