人畜の子として、生まれた意義

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「ここがあの書にあったアンナの四年間過ごしたケージだよ。高さは百二十センチほどだ。膝下を発達させないように常に膝歩きができる高さで設計されている。あの姿見はアンナが二歳になる時にほしいと言った物だ。陽郎君はなぜか鏡だけは許して中に入れたんだよね」  部屋の中から湿気を多分に含んだ死神の吐息のような空気が洩れた。噎せて咳が止まらなくなった。 「あと、この廊下の左右に扉があるだろう。左側の扉は浣人の飼育部屋だ。同じような部屋がたくさんある。右側は処理場だ。論文に出て来た人間と猿のハーフを殺したり、あと手の指を切断したりする儀式を浣人が生まれるたびに行っていた。儀式の様子を常に浣人たちに見せていた。おかげで指が発育しないような体になった。指の切断はアンナが生まれる以前にしていたのだよ」  教授は再び歩きだして元いた部屋に戻ろうとしていた。 「何の話していたっけ。そうだ、陽郎君が貴子さんを結婚相手に選んだ話だな。陽郎君が貴子さんを椎野さんと重ねて見るようになって、好意を抱いたところまで喋ったかな」  元の部屋に戻ると、伊藤教授は棚から何か取り出して、ボクの目の前に掲げた。二つの透明な瓶で、中には透明の液体と薄桃色の液体が入っていた。表面にシールが貼ってあり、透明な液体の方には「変質破」と書かれ、薄桃色の方は「ピーチ蛋白」とあった。  ボクはお父さんがリビングでこの二つの液体を混ぜているところを見た記憶があった。あの時、お父さんは植木鉢の中の腐葉土を作る作業をしていたのだと、今になって分かった。 「でな、陽郎君は貴子さんに惚れ込み、結婚までして慎太郎君を生むわけだ。彼は自分の研究を一代だけで成し遂げられるとは思っていないと言っていた。いつかは継いでもらわないといけない。跡継ぎは、ここまで浣人に関わって来て、遺伝子が記憶をしているはずだから自分の子供ではないと駄目だと言っていたんだ。つまり慎太郎君は浣人の研究のために生まれて来たということなんだ」  伊藤教授の話をさえぎって、森先生と船橋さんが二人して何やらバーバーバーと怒鳴っていた。何を言っているのかは、聞こうとも思わなかった。  もう帰りたかった。いや、やっぱり帰りたくもなかった。どこかに放って置いてほしかった。強いて言えば、また叫んで魂を口から放出してそのまま天に召されたかった。椎野さんも天に向かいたかったのかもしれない。  これからボクはどう生きていけば良いのか。
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