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エレベーターで5階に上がる。
ドアが開くと目の前にナースステーション。
顔馴染みの看護師達と目が合う。
「平日の昼間って…珍しいわね、真斗さん」
「はい。仕事も兼ねて寄りました」
「今、宮村さんが部屋に行ってるわよ」
含みを持った笑顔で、また告げられた。
ドキッ!っとしたのを誤魔化す術もない。
「あ…そ、そうですか💦 ありがとうございます」
言っておきながら、何のありがとうか?
と、内心で自分に問う。
(バレバレじゃん💦)
宮村 朱音、27歳独身。
母の担当看護師であり、片想いの相手である。
とりあえずは、母の個室に急ぐ。
カードキーを翳すと、スライドドアが開いた。
「あら、真斗さん。こんな時間にどうしたの?」
先に声を掛けたのは、宮村だった。
その声に、自動ベッドを30度程起こす母。
「仕事サボっちゃダメよ、真ちゃん」
正直、未だに真ちゃんと呼ばれるのは恥ずかしい。
ましてや、片思いの相手がそこに居る。
「仕事で寄ったついでです! サボるだなんて、人聞きの悪いこと言わないでよ母さん💧」
「病院に何のお仕事ですか、真ちゃん?」
天使の笑顔で、わざとそう呼んだ宮村。
思えば、母が会話できる時に会うのは初めてで、いつもは容体が悪くなった時や、眠っている時であった。
「もぅ宮村さんまで💦 これです、これこれ!」
照れながら、チラシを見せて渡す。
内容を見て驚く宮村。
「古賀さん、これは花火大会の案内です!」
古賀もチラシを受け取り、目を疑う。
そのままの表情で真斗を見た。
「真ちゃん、あなた本当に?」
「ホントだよ。母さんと約束した通り、市長に直談判して、花火大会の復活を議決してもらいました!」
面接のインパクトが強かったせいか、滝川市長に気に入られ、親しい関係になっていた。
そして、その理由を聞いた市長は、反対派を押し退け、半ば強引に通したのである。
「すごい!凄いじゃない真ちゃん!」
思わず抱きしめそうな勢いを踏み止め、握手の手を差し出した宮村。
照れながらも握手を交わす真斗。
その手にもう片方の手も添えて来た。
本当に嬉しそうな笑顔。
もう『真ちゃん』でいいと思った。
しかし?
「母さんは、懐かしい想い出だから分かるけど、宮村さんまでどうしてそんなに?」
30年ぶりの再開であり、自分はもとより、宮村も生まれていないはずである。
「あっ、そうよね💦」
慌てて、恥ずかしそうに手を離す宮村。
少し…テンションが下がった気がした。
「真ちゃん。宮村さんのお母さんはね、私と同級生だったのよ。よく一緒に花火を見に行ったわ」
「えっ、そうだったの!」
母の言葉が、過去形であることには気付いた。
(もう…いないんだ)
「そうなんです。実は母も…あ!ごめんなさい、母は膵臓癌で5年前に…。母もずっと、あの花火をもう一度見たかったと言っていました」
気を遣って言い直す宮村。
「いいのよ、私ももう長くないのは分かってるから。きっと天国で喜んでるはず。私は何とかそれまでは生きて、彼女への土産話にしないとね」
「何弱気なこと言ってんだよ母さん。まだまだ俺の偉業は、始まったばかりなんだから」
「偉業? …ぷっ、あっははは」
顔を見合わせて笑う2人。
不貞腐れながらも、その笑顔が嬉しく思えた。
(こんなに笑う母さん。久しぶりだな…)
「あはは、ごめんなさい真ちゃん。でも、本当にありがとうね。正直なところ、抗癌剤治療が辛くて諦めかけてたけど、母さんも頑張るわ!」
「そうだよ、頑張ってくれなきゃ困る」
その辛さは、十分に分かっている。
励ますしか出来ない辛さが、今の笑顔で少し楽になった気がした。
「じゃあ、まだまだ配って回らないといけないから、行くね」
「はいはい、頑張ってね」
「頑張ってくださ〜い、真ちゃん!」
最後のちゃんは、絶対わざとだと思った。
でもそれが、なぜか心地良い。
(恋って…こんな感じだっけ?)
エレベーターを待つ間。
背後からの冷やかし視線は無視した。
今はこの幸せに、どっぷり浸っていたい。
開いたエレベーターから、車椅子のお婆さんが出るまで、ドアを手で押さえて待つ。
敢えて車椅子に手を貸したりはしない。
その親切に、ニコッと横見で頭を下げられた。
軽く振る手には、まだ彼女の感触が残っている。
それは決して柔らかものではなかった。
そんな楽な仕事ではない。
玄関ロビーには、既にポスターが貼られ、何人かはチラシを見ながら話している。
(よし。5時迄には、皆んなに届ける!)
この病院を出るのに、こんなに足が軽いなんて、初めての感覚であった。
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