囚人番号204 尾瀬遥

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囚人番号204 尾瀬遥

 あーしはさ、こう見えて結構いい家の育ちだったんだよ。お前今嘘だって思っただろ。はは、息を呑んだ音がしたからわかる。壁が無かったらぶん殴ってるよ。嘘だ嘘。戻ってくれって。独りで黙ってるのは気が狂いそうなんだ。こうして話してないと、頭の中で色んな事がぐるぐるして悲しくなるんだ。気が狂いそうになるんだ。ここにいる連中は大体そうさ。  んで、あーしの話だよな。美里チャンはどうして死刑囚になったんだっけ?……あー、火付けね。けど、ぶっちゃけ本意じゃなかっただろ。うっかり寝ちまったとか、そんな感じだろ。何で分かったって……声の感じとか?こうして壁越しで話してることが多いからさあ、声で相手の感情が察せるようになるんだよ。ホントだって、信じてくれよ。  まあいいや、あんたは意図せず人を殺してしまった。そしておとなしくその罪をひっかぶって犠牲になった。美談っちゃ美談だ。だが、あーしは違う。あーしは家では恵まれてたが、学校ではさっぱりだった。まあ、こんなナリだからかな、いや、性格が悪いんだよ。今ならメンヘラってのかな。特定の子にひっついたり、喧嘩ばっかり売りまくったり、最悪殴り合いとかしたよ。彫刻刀振り回してサスマタ?で取り押さえられたのは笑ったなあ。あーしが不審者かよ!っていう。  悪い、話が逸れた。懐かしくてな。あーしの家は犬を飼ってたんだ。あーしが拾ったからな。白い小犬で、垂れ耳でまん丸に丸まってたんだ。工場の猫車の中で一匹だけ寝てた。これじゃ熱中症になる、ってんであーしが親に頼み込んでそいつを飼い始めたんだ。名前は白い小犬だから……わたあめだよ。名前は「わたあめ」だった。プードルか何かが混ざってたんだろ、モコモコしてて、その癖図体は段々でかくなって、餌をくれるかーちゃんや遊んでくれる兄ちゃんになつくようになってた。わたあめの中ではあーしの存在は軽かったんだよ。ホラ、犬って家の中でヒエラルキー作るっていうだろ?あーしは底辺になってたってワケ。眼中になし。やる気も無くなるよな。  あーしはわたあめを「バカ」「バカ犬」とか言って、足でどかしたり結構乱暴なことをしたよ。虐待はしてねーよ。その……触りたかったし、飼い主と犬になりたかったんだ。本当は。兄ちゃんやかーちゃんみたいに、懐いて欲しかった。でもわたあめはあーしを無視し続けたから……どうしようもなかったんだよな。  そんな中でも、変な日があったんだ。あーしはわたあめを飼い始めて、「犬神憑き」とか言われていじめられるようになってた。「ナントカ菌がうつる」レベルのいじめだよ。あーしは出身が四国のK県の方だったからさ……それでネタにされて……わたあめは全然懐かないのに、それをネタにされて馬鹿にされて、クソ腹立ってそいつらとその場で乱闘したんだよ。  その結果?こっちが一方的にぼっこぼこさ。骨折だのしなかったのが幸いだ。脱臼はしたけどな。湿布やらカットバンだらけになって帰ると、珍しくじっと玄関でわたあめがあーしを待ってたんだな。 『何だよ、このバカ犬。ボロボロになったヒエラルキー最下層の奴隷を笑いに来たのかよ。ムカつく。ぶっ殺してやろうか。畜生、殺せねーのが腹立つ……」  そうだよ、バカ犬でもイヌッコロを殺すだけの度胸なんて当時のあーしにはなかったんだ。あのまん丸の、くりくりの純粋な目を見てると、体から力というか、怒りが抜けるんだ。わあわあと泣きそうになるんだ。大抵の殺人鬼なんて動物殺してんのにな。あーしにはできなかった。  だから、わたあめを無視して部屋に上がろうとした。    けど、その後ろを、わたあめは無言でとたた、とついて来た。こんなことは初めてだった。てっきり、買い物に行ってるかーちゃんや大学に行ってる兄ちゃんを玄関で待ち続けると思ってたのに。よりにもよってあーしを追ってきたんだ。びっくりして振り返ると、わたあめはじーっと、あーしの顔を見てたんだ。んで、ぷるぷる震えてたんだ。何か言いたげに震えてた。  だから、しゃがんで撫でてやった。そしたら、怪我したところに鼻面を当ててすんすん甘えてきたんだ。こいつ、わたあめ、待ってたんだ。あーしが振り返るのを、ずっと待ってたんだ。怪我してるのを、知ってたんだ。それを心配して、慰めようとしてずっと追いかけてたんだ。  この犬は馬鹿でもないし、あーしを……私を見下しても無かった。  「家族の一員として認めてくれていた、慰めようとしていてくれたんだ」。そう思ったら、もう涙が止まらなくなって、わたあめを抱き締めて家族が帰って来るまで私は泣いてた。ぎゃあぎゃあ泣いてた。その間中、わたあめは傷を舐めていてくれた。  それからかなり経って、私がバイトとはいえ社会人になった後、わたあめは20歳の大台になっていた。人間なら100歳超えだよ。いつ死んでもおかしくない。流動食ばかり食べて、それだって変なところに入ってはむせて、もう立ち上がることも難しくなって、それでも家族が近づくとタコみたいに足をくねくねして近寄ろうとしてくれた。  わたあめは家族だった。  そう、最期まで家族だった。    あれは夏の日だったな。部屋の中は涼しかったけど。わたあめがやたら切なそうに鳴いていたんだ。だから、家族全員がわたあめの周りに集まったんだ。わたあめはそれを理解したみたいに、 「くうううううん」  って甲高く鳴いて、首を伸ばして順繰りにとーちゃんから兄ちゃんまで手の上に首を乗せていった。そして、最期は私の手の上だった。 「くうううんくうううん」  私の手のひらの上に擦り寄り、もう見えないであろう目で私を見上げて、ゆっくり目を閉じた。ずん、と掌が重くなった。  わたあめの死を、私は手のひらに刻んだんだ。
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