30歳、実母殺し

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 そういえば、あと三ヶ月で三十歳になる。  仕事の帰り、最寄駅の本屋へ寄って「二十代のうちにやるべきこと」みたいな本を数冊買ってみた。普段は電子書籍派なのだけど、この手の本はきっと、お気に入りの小説みたいに何度も読み返さないだろうから、すぐ古本屋へ持っていけるように実物で持っておくことにした。さっそく家に帰って、ぱらぱらめくってみた限りでは、まあ、なんということはない。海外に行くとか。揚げ物をたくさん食べておくとか。貯金しておくとか。個人の価値観に基づいて、優先すべきと判断された事柄が並ぶばかりで、はっとはさせられない内容だ。だいたい貯金が大切とか、そんなことはわかってるんだよな。牛乳は白い、という文章を読まされている気分になる。  だいたい目を通して満足したら、オークションサイトでこの本の相場を調べる。定価以下だが、まあ仕方がない。本棚の隅に眠らせておくよりはマシだろう。何枚か、一人暮らしの狭い部屋で、それでも比較的綺麗と思われる一角を使って写真を撮り、最近出品された物より少しだけ安い値段でオークションに出しておく。これでいつか、必要とする人間の元へと続く橋が築かれるだろう。  役目を終えた携帯をその辺りに放り投げて、ベッドへ横になる。木造の天井が、それでも大層高貴な顔つきでこちらをみた。築年数の割にはきれいだ。うねる木目を追って、すこしだけ、考える。  二十代のうちに、終わらせておくべきこと。私がこの人生において、いちばん、価値のあると思うこと。  くるくる回る思考が、たったひとつの単語を拾い上げて、私の眼前に晒す。倫理が咎めて一度は見ないふりをしたけれど──そういえば、あと三ヶ月ほどで三十歳になる。それならば、そうだ。節目としてこれほどにちょうど良い時間はない。  実母を殺そう。あと三ヶ月、私が三十歳になる、ちょうどその日に。
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