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第27話
「何で俺たちをここに入れた?」
機先を制して訊いたシドを面白そうに男は見上げる。
「入りたかったんじゃないのかい?」
そう言った男をシドは観察した。博士と呼ばれていたが歳はシドやハイファと大して違わないだろう。薄い色の金髪で瞳は灰青色、意志の強そうな光を宿している。
だが惜しむらくはその顔色だった。土気色で目の下はどす黒い。躰も痩せ衰えていて、どうやら何処か病んでいるようだ。
「取り敢えず、礼を言った方が良さそうだな。助かった」
「『取り敢えず』、本当にそうだ。ここは出ていく方が難しいよ」
「ふん。上手く捕らえた、または俺たちに利用価値を見出したのか。あの一瞬で」
「なるほど、大した推理力だね」
「ハズレと言わねぇのか。なら、まずはあんたのリモータIDを貰えるか?」
「出る際の保険か。いいだろう、僕はルース=ワイアット。コードは小電力バラージで流す。でも文明人の慣習として、きみたちのリモータIDも貰えると嬉しい」
三人が同時にリモータIDコードを受け、こちらも流し返す。
「シド=ワカミヤだ」
「エラリー=ナッシュと申します」
「ハイファス=ファサルートです」
「何者って訊いたらさっきの警備員と一緒になるけれど、いいかい?」
「俺たち二人は太陽系広域惑星警察の刑事だ」
ひゅうっとルース=ワイアットは口笛を吹いた。
「刑事か、それはいいかも知れないな。さて、何処が見たい? 案内するよ」
いきなりそう言われても困る。だが最大の疑問を解消すべく質問を繰り出した。
「ここはいったい、何をする所なんだ?」
「何も知らずに迷い込んだのかい? 刑事とは、やけに知識欲旺盛な職業なんだね。そうだなあ、『牧場』というのが一番近いしここのスタッフも皆、そう呼んでいる」
牧場……その響きをシドは薄気味の悪いものに捉えた。
「メインを見ればある程度は掴めるかな。百聞は一見にしかず、ついてくるといい」
立ち上がったルース=ワイアットは後ろのポケットからスキットルを出してキャップを外し、ひとくち飲んでから元通りに仕舞った。ぷんとアルコールが匂う。
「では、行こうか」
呆れるほどに素っ気ない細い廊下を歩いてエレベーターに乗った。二階のボタンをルースが押す。出てみるとそこは十三階よりは廊下が広かった。病人のようなルースだが、意外にも足取りは軽く颯爽と歩いてゆく。
「ここが食堂、食堂は偶数階ごとにある。そしてメインがこの大ホールだが、今は本日二回目の『ミサ』の最中だ。けれど引き返すのなら今のうちだよ」
ここまで連れてこられ、見るものも見ずに帰れる筈もない。
「中に何がある?」
「Need to know.……僕は一旦、これで失礼する。透析治療の時間なのでね」
おどけたようにそう言って去る背中を三人は半ば唖然として見送った。
「ふうん。『知る必要ある者』の原則、つまりは『必要なければ知るな』かあ……どうする?」
「入ってみるしかねぇだろ」
何枚かあるオートドアのうち、ひとつの前に立ったシドはためらいなくセンサ感知し、開いた目の前は暗幕のようなカーテンだった。その隙間からムッと熱気が洩れ出してくる。
カーテンを捲ってみると、そこはダンスパーティーが開けそうなくらい広かった。やや光量が落とされ、ずっと先にある演壇だけに強力なスポットが当たっている。
そして演壇以外のカーペット敷きの床にはそれこそ数えきれないほどの男女が直接座り込んでいた。びっしりと人だらけ、これなら目立つこともないだろうと踏んで、シドは中に身を滑り込ませた。ハイファとエラリーが続く。
中に入ると僅かな面積を見つけ、周囲に倣って三人は腰を下ろした。演壇に立つ黒髪をオールバックにしスーツを着た男の話に耳を傾ける。
《――皆さんは選ばれたのだ。今こそ神々の身の一部となるためにここに来た。真の魂の自由は神の身に宿らない限り、得られない》
《――その目、その躰の全てが神のものとなるべくして存在する》
《――新たなる生を、神と共に生きる刻を、心安らかに待つのだ。皆さん一人一人が我々神の五人に、十人に値するよう、我々は手助けをしよう》
空調も利いていないようで、シドは対衝撃ジャケットの前を開けた。
「クソ暑いし、ルース、あの野郎。何なんだよ、これは」
あぐらをかいたシドの膝にハイファが手を置く。
「本当に分からない?」
「分かりたくなんかねぇんだが……そうも言ってられねぇってか」
「そう。ブルーブラッド、イコール、神だったら?」
「この人数がそっくり貴族の移植用生体、キープってことか?」
「だよ。それにこの『ミサ』は本日二回目、もしかしたらもっと大勢が――」
「神への供物として飼われてるってか。……どうした、エラリー?」
突然膝立ちとなったエラリーが前に腰を下ろしていた女性の腕を掴む。
「ジャニス!」
「エラリー、貴方!」
ジャニスとはエラリーの妻の名ではなかったか。するとこの人々は――。
暗い中、エラリーとジャニスを交互に観察していたシドの腕に重みが掛かった。ふと見るとハイファが凭れて息を荒くしていた。
「うっ……やっぱりこの臭い、気持ち悪い」
「大丈夫か、ハイファ……ハイファ?」
「ごめん、あのニオルドの大気発生装置のときと同じ、甘ったるい……うっ!」
「無理に喋るな。廊下に出ようぜ」
シドはショルダーバッグを担ぐとハイファを支えて肩を貸し立たせ、人々を縫って廊下に出た。真っ青な顔色で口を押さえるハイファを手洗いに連れて行く。
幸い手洗いは掃除も行き届いて清潔に感じられた。だが洗面台の流水で何度も口をすすいだハイファは、まだ気分が悪そうだ。タイルの壁に凭れる。
「涼しいだけマシかも。薬剤が循環してしまわないようにエアコン、止めてたね」
「なるほど、それであの暑さか」
「それにしても、相変わらずのストライクだよねえ」
「五月蠅いぞ、お前。……とにかく、エラリーの記憶が戻ったのは、その、果物が腐ったみたいな臭いとやらをまともに浴びたせいかも知れねぇな」
「でも大ストライクのお蔭で、大体掴めたよね」
「だからリピートするなって」
顔をしかめたシドにハイファは無理に笑って言い募る。
「だってそうでしょ。エラリーがこんな所で奥さんに出会ったのもすごい偶然だし」
「分かった分かった。それよりもうお前は入らねぇ方がいい。別室に連絡するか?」
ハンカチで口を押さえながらハイファは暫し考える。
「連絡はいつでもできるから先にジャニスさんにことの経緯を訊いてみたいな」
「アレをまともに聴いてる奴に、まともな話ができるか疑問だと思うぞ」
「うーん、そう言われてみれば……でもそれが無理なら、せめて事情通らしいルース=ワイアットとは、もう少し話してもいいと思う」
「それが妥当な線だろうな。しかし気色が悪ぃな、何がカミサマだよ」
青ざめた顔でハイファが微笑んだ。
「拠り所を持つと強いし、人によってはそういうのも必要なんじゃない?」
「アレがそうだとは、俺には思えねぇんだがな」
「まあ、アレは確かに別物だよね。五百年も前に蒔いた種を刈り取った手腕といい、五千人以上も一気に信徒にした『教義』は大したものだけど」
「感心してる場合じゃねぇぞ。早いとこ何とかしねぇと、あいつらがたったひとつの心臓を、いつカミサマとやらに差し出しちまうか知れねぇんだからな」
とはいえ、まだ気分の悪いハイファに目立つ廊下を歩かせる訳にはいかず、シドは空調の下に移動すると煙草を出して火を点けた。ポケットから吸い殻パックを出す。
「お手洗いで隠れ煙草なんて中学生みたいだね」
「俺も中学生以来の悪行だ」
「いったい、いつから吸ってんですか、あーたは」
「いいじゃねぇか、五月蠅いこと言うなよな」
「自動消火装置が作動しても知らないから」
冷たさが気持ちのいい壁に凭れたハイファは、何でもいいから喋っていた方が気が紛れるのを分かっているシドに感謝しつつ話し続ける。
「エラリーに関しては、あのままでいいと思うんだけど」
「フットワークを軽くして、エラリーが腹の中身を引きずり出されるのを早急に防いだ方が建設的だろうな。与党議員連中も知っての所業、つまりはここの星系政府ぐるみの企みを俺たち二人で早々に止められるかどうかは怪しいもんだと思うがな」
「珍しく弱気? これまでだって僕と貴方で何とかしてきたじゃない」
「弱気って訳じゃねぇんだが。ただ本当にお前の言う『Need to know.』だったらと思ってな」
「『好奇心、猫を殺す』って? でもここで帰れる? じゃあルースに発振するね」
「もう動けるのか? 無理はするなよ」
ハイファがリモータに触れようとしたとき、トイレのオートドアがサッと開いた。入ってきたのは驚いたことに何と女性だった。
それも出る処はシッカリ出ているナイスバディの大柄な美女だったのだ。黙って凝視するシドにムッとしてハイファが美女に進言する。
「あのう、ここ、男性用ですよ」
「知ってるわ。さっきホールを中座した貴方たちを捜しにきたんだもの」
「へえ、俺たちはいつからそんなに有名人になったんだろうな」
「不法侵入よ、刑事さん」
「わあ、エラリーが喋っちゃったんだ……」
「ルースに訊きたいこと、わたしでも答えられると思うけれど、いかがかしら?」
シドとハイファは顔を見合わせる。選択肢は究極的に少ない。
「私はエディト=メーダー。主にここの人間たちの精神面をサポートしているわ、貴方たちには不要でしょうけれど。シドにハイファスだったわよね」
ルージュの塗られた肉感的な唇が笑みを作る。結い上げた黒髪をバサリと解いた。頭を振ると白衣を盛り上げている胸が揺れる。
赤茶色の瞳が面白いものでも見るように二人を往き来した。
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