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第28話
(また貴方は鼻の下、伸ばして!)
(べっ、別に伸ばしてねぇよ!)
(嘘、一センチは伸びてた!)
(測ったのかよ?)
(小学生みたいな言い訳しないでよね。大体、この医者も医者だよ、あんな風に見せつけてサ。医者のクセして香水ムンムンで化粧も派手だし!)
(そいつは職業差別ってヤツじゃねぇのか?)
(ふうん、そう。女の人にはすぐ援護射撃するんだね)
(援護って……何をそんなにムキになってんだ、いい加減にしろよな)
などという会話をココロの中と肘の小突き合いだけで交わしながら、シドとハイファは女医に連れられ十二階までエレベーターで上がった。
渡り廊下にほど近い所に女医の自由になるスペースは確保されていた。ネームプレートの嵌った部屋の中はごく普通の診察室といった感じだ。
ただ、精神科だけに診察器具といったものは殆ど見当たらない。
エディト=メーダーは大きな多機能デスクの隅にあるコーヒーサーバを手にすると紙コップふたつに注いでシドとハイファに配給する。自分はマグカップを手にした。
「その辺に座って頂戴」
その辺といっても背凭れのない回転椅子とパイプ椅子がひとつずつしかない。シドがパイプ椅子に前後逆に腰を下ろしたのでハイファは患者用の回転椅子に座った。
「さて、何処から話しましょうか」
二人の処遇に関われる実力をここで振るっているエディトにハイファが訊いた。
「ここでは何故、違法な生体移植が行われているんですか? 培養すればいいのに」
「約三百年前、ここバルドルは強い宇宙線を浴びたの。大気の変化、恒星スカディの異常現象、ほぼゼロになった惑星バルドルを護る磁場……そちらの専門家じゃないわたしには詳しいことは分からない。けれど強い宇宙線を浴びたわたしたちの祖先は洩れなく遺伝子を傷つけられたわ。お陰で現在も出生率はかなり低い」
「その遺伝子情報の異常が生体移植と関係してる?」
話が早くて有難いとでもいう風に、女医はあでやかに微笑んで頷いた。
「ええ。このスカディ星系で生まれた者は誰もが遺伝子異常の業を背負ってる。臓器も四肢も、皮膚や眼球でさえも、培養しようとしても皆ガン化してしまうのよ。あらゆる方法を試してきたし、まだ諦めていない。でも今現在、病に苦しむ者は?」
「それで生体移植……でも何故そこでコロニー・ニオルドだったのかな?」
黙って聞いていたシドが口を挟む。
「このスカディ星系人の遺伝子異常発生は三百年前、それより二百年前にコロニー・ニオルドの人間は出て行ってる。それにおそらく純粋テラ人に近い俺には感じない匂いに対して、異星系人の血が混じっていると推測できるお前やエラリーは反応した」
「そうね。ここスカディ星系も他星系と同じ程度には異星系人の血がシェイクされているわ。その混ざり具合が同じで、なおかつ遺伝子情報に異常のない人々……それが約五百年前にこのスカディ星系から出て入植した、オッド星系第三惑星ガザラの六つのコロニーなのよ。そこに目を付けたのはもう何十年も前」
聴いていたシドが煙草を出してエディトに首を傾げて見せる。頷くのを待って一本咥え火を点けた。エディトは多機能デスクに何処からか出した灰皿を置き、自分も細巻きを咥える。ふうっと紫煙を吐いた。
「その貴重な人々を手に入れるために研究に研究を重ねたわ――」
現地固有種であるシフという果物に、スカディ星人に効くある種のアルカロイドを発見し、それを増強させたものを大量に育てることから始まった。
その植物塩基と結びつくアミノ酸と、催眠作用のあるバルビツール酸誘導体を新たに開発・組成し必要量を確保するまでにテラ標準歴で七年の歳月が経過していた。
「やっぱり異星系の血に反応する薬だったんだな。お袋さんが異星系の血の混じったセフェロ出身、ハイファ、お前が過剰反応したのも頷けるぜ」
「そうだったんだ」
紫煙を吐きながらエディトが赤い唇で笑う。
「シフの実を食べて、あの薬を嗅いだなら結構効いたでしょうね」
「まさか僕も『牧場』で飼う気じゃ……?」
「貴重な一体みたいだけど、もう一人の刑事さんの視線だけで殺されそうだわ」
「で、生体移植はブルーブラッドのみを対象にしているのか?」
と、シドはエディトを睨む。だが女医は平然として答えた。
「ええ、そうよ。今まではバルドルの全員に対しバルドルの全員が平等に脳死移植や部分的な生体移植の機会を与えてきたわ。でもニオルド計画は上手くいって、突然五千体以上もの献体を手に入れた……違法だということを踏まえて秘密を守り通せるのは、ブルーブラッドのみに限るだろうという判断がなされた」
「だがこうしていつかはバレる。テラ連邦議会にも、な」
「あら、貴方たちはここから生きて出て行くつもりなの?」
この自分を『飼う』ことは否定してみせたが、じつは目前の女医は既に自分たち二人も献体として見ているのだろうかとハイファは思う。
星系政府レヴェルの機密をするすると喋ってから見せた目がぞっとするほど冷たかった。
ブルーブラッドやエディトたちにとってここは紛れもなく『牧場』で自分たちは柵の中に迷い込んだ『二体』なのである。
けれどシドはその冷たい視線を溶かすかのように、力のこもった目で見返した。
「ブルーブラッドだけに与えられた特権か」
「彼らブルーブラッドは何千年もの間、この惑星を平和に治めてきたわ。その気質の優性遺伝は科学的にも立証されている。悪い選択はしていない筈よ」
「そういう理屈をこねたって犯罪は犯罪だぜ?」
「一体を潰せば、その目が、あらゆる内臓が何人もの人間を救うことができるのよ」
ハイファが手を挙げて発言権を得る。
「そういうサバイバル・ロッタリーのような言い方は卑怯ですよ。条件を満たしていません。貴女たちは本当に屁理屈をこねているだけです」
「サバイバル・ロッタリーって、何だ?」
シドにハイファが説明する。
「臓器くじとも言われる。『人を一人殺し、それよりも多くの人を助けるのは良いことだろうか?』っていう、哲学的な思考実験のことだよ」
まず公平なクジ引きで一人の健康な人間を選んで殺す。そしてその人間の臓器を全て取り出し、臓器が必要な人々に配るのだ。これによってクジに当たった一人は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数の人間が助かる訳だ。
さて、このような行為が倫理的に許されるかどうかという問題である。
だがこの思考実験には外せない条件があった。
まずはクジに不正行為が起こる余地がないこと。移植技術は完璧で手術は絶対に失敗しないこと。血液型や免疫反応その他の適合性などの問題も解決されていること。更に人を殺す以外に臓器を得る手段がないことなどが挙げられる。
「選ぶ段階で、もう条件から外れています」
「でも一体の犠牲で優秀な数人が助かるのは事実なのよ。この惑星の、星系の命運すら左右する、それがブルーブラッドなんですもの」
こんなことが公に罷り通ることになれば、間違いなく自らを傷つけてアディクション、依存症となる者が増えるだろうとシドは指に挟んだ煙草を眺めて考えた。
倫理的社会を大人しく生きようが、やりたい放題好き放題に生きようが、突然クジ引きで決められて五体バラバラにされお貴族サマの身の一部にされてしまうのだ。
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