第3話

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第3話

 署から右手に七、八百メートルの場所に単身者用官舎ビルは建っていた。  見上げれば夕暮れの空を超高層ビル群が切り取り、それらを串刺しにして繋ぐ通路のスカイチューブが分断している。シドとハイファが何気なく眺めているうちに、それは色分けされた航空灯を鈴なりに灯し、けたたましく自己主張を始めた。  内部がスライドロードのこれを使っても帰れるが、ヴィンティス課長が幾ら口を酸っぱくしても常日頃から『刑事は歩いてなんぼ』を標榜するシドは使いたがらない。  自分の足を使うことにシドが拘るのは何もヴィンティス課長への嫌がらせではなく歩いていなければ見えてこない犯罪から人々を護ろうと、少しでも『間に合おう』としているのだ。それをハイファも理解しているので文句も言わず日々一緒に靴底を擦り減らしている。  警戒しつつ二人は歩いたが珍しくノーストライクで官舎の根元に辿り着いた。 「買い物はどうすんだ?」 「うーん、挽肉とトマトだけ」  官舎ビルの地下は一般人も利用可能なショッピングモールとなっていて、主夫ハイファが帰りに夕食の食材を買い求めるのが日課となっている。  ハイファの主夫根性はなかなかに見上げたモノがあり、いかにして愛し人に新鮮でビタミン豊富な食事を摂らせるかが殺しやタタキの二、三件より日々の重大事といって憚らないのである。  一方、料理のことなど何も知らないシドは荷物持ちだ。  一般客用エレベーターで地下に降りると二人はプロムナードを競歩の如く歩いてスーパーマーケットに向かった。挽肉とトマトを手に入れ本日の当番であるシドがリモータリンクでレジにクレジットを移すと二人はそそくさとエレベーターに移動する。  だが二人が住人用エレベーターに乗り込もうとした時、またしても事は起こった。 「キャーッ!」  という絹を裂くような悲鳴がプロムナードに響き渡り二人は顔を見合わせる。深い溜息を洩らした。幾ら足での捜査をモットーとし人々を護ろうとしていても、今日の連続ストライクにはさすがにシドも食傷気味だった。  これで帰ればハイファには主夫業も待っているのである。だからといって放置はできず振り返ると二、三十メートル先に人だかりができていた。 「うーん、まだイヴェントが残っていたとはね」 「くそう、帰らせねぇつもりか?」 「見に行くの?」  返事の代わりにシドは人だかりの方に向かう。ハイファも続いた。輪になった人々をかき分けてみるとイヴェントはただの喧嘩だった。  だが内容はかなり壮絶で一人が数人の若者に袋叩きに遭っている。完全に一方的で袋叩きになっている男は顔が血塗れだった。  おまけにあちこち衣服が破れて既に気を失っている状態だ。 「仕方ねぇな。惑星警察だ、両手を挙げて頭の上で組め!」  シドが大喝する。いつもならここで蜘蛛の子を散らすように馬鹿どもは逃げるのが普通だ。しかし左腕に紙袋を抱えて様にならなかったのが拙かったのか、若者たちは殴る蹴るを一瞬だけ止めたものの薄笑いでこちらを見るに留まった。そして更に男を蹴り始める。  いい加減に嫌気が差したシドは再度大声を発した。 「動くな、動けば撃つ!」  バディが銃を抜き構えたのを見て、なりゆき上ハイファも銃を抜く。  太陽系では普通、私服司法警察員に通常時の銃の携帯許可を出していない。持っているのはせいぜいリモータ搭載の麻痺(スタン)レーザーくらいである。  だが普通でない刑事のイヴェントストライカとそのバディに関してはこの限りではなかった。二人にとって銃はもはや生活必需品、捜査戦術コンもその必要性を認めている。  シドが常時携帯しているのはレールガンだった。  針状通電弾体・フレシェット弾を三桁もの連射が可能な巨大な代物で、その威力はマックスパワーならば五百メートルもの有効射程を誇る危険物である。  惑星警察の武器開発課が作った奇跡の二丁で一丁は壊し、今のは予備の二丁めだ。右腰のヒップホルスタから下げてなお突き出した長い銃身(バレル)を、専用ホルスタ付属のバンドで大腿部に留めて保持していた。  ハイファもイヴェントストライカのバディを務める以上、執銃は欠かせない。  ソフトスーツの懐、ドレスシャツの左脇に常に吊っているのはAD世紀末期に銃メーカーのHK社が限定生産した名銃テミスM89と言いたいが、そのコピーである。火薬(パウダー)カートリッジ式の旧式銃だった。  薬室(チャンバ)一発ダブルカーラムマガジン十七発、合計十八連発の大型セミ・オートマチック・ピストルである。  使用弾は認可された硬化プラではなくフルメタルジャケット九ミリパラベラムで、異種人類の集う最高立法機関である汎銀河条約機構のルール・オブ・エンゲージメント、交戦規定に違反していた。  パワーコントロール不能な銃本体も本来は違反品である。元より私物を別室特権で登録し使用しているのだ。  そんなモノを向けられ、シドの据わった目に見つめられて、若者たちはさすがに固まった。凍り付いた若者たち五人をシドはいとも無造作に蹴り飛ばし、プロムナードの床に這わせる。  銃を収めてベルトに着けたリングから捕縛用の樹脂製結束バンドを引き抜き後ろ手に捕縛した。慣れたもので片手でさっさと全員を拘束する。 「十八時二分、傷害で現逮だ。……ハイファ?」 「緊急機と救急機要請したよ」  プロムナードは専用入り口からBELが入れるほど広い。到着を待ちながら二人は袋叩きになっていた男の容体を看る。  茶色の髪をしたひょろ長い男は地に伏せたまま、身動きひとつしない。 「バイタルサインは正常だよ。ちょっと脈が速いけど」 「生きてんなら手続きが色々要るな。深夜番にまた文句言われそうだぜ」  呟きながらシドは男のリモータを操作した。ロックされておらず有難い。 「テラ本星人じゃねぇな。エラリー=ナッシュ、オッド星系第三惑星ガザラのコロニー・ニオルド出身。仕事で出張か、旅行者か」 「災難だよねえ」  待つこと暫し、二重奏の緊急音を響かせながら二機のBELが現着した。  銃は抜いたが発砲はなし、カードゲームに負けて深夜番を背負ったケヴィン警部とヨシノ警部の幹部コンビの愚痴を聞いてから丸投げし、二人は今度こそ住人用エレベーターへと急ぐ。  駆け込んだエレベーター内のリモータチェッカに二人は交互にリモータを翳した。ビルの受動警戒システムがIDコードをマイクロ波で受けて瞬時に二人をX‐RAYサーチ。本人確認してやっと階数ボタンを表示する。  銃は勿論登録済み、シドが五十一階を押す。仰々しいセキュリティは仕方ない、ここに住んでいるのは平刑事だけではないのだ。  五十一階の廊下の突き当たり、右のドアがシドで左がハイファの自室だ。ここで一旦左右に分かれる。シドは靴を脱いで上がると、キッチンのテーブルに買い物袋を置いた。対衝撃ジャケットを脱いで椅子の背に掛ける。  執銃を解きながら寝室に向かい、ライティングチェストにレールガンと手帳、捕縛用結束バンドの束などを並べた。  キッチンと続き間のリビングで煙草を吸っていると、ハイファが勝手にキィロックを解除して入ってくる。これもいつものことだ。  二人が今のような仲になって以来、ハイファは着替えやバスルームでリフレッシャを使う以外の殆どの時間をシドの部屋で過ごすようになっていて、殆どこちらが帰る家のような具合である。  ソフトスーツの上着を脱いでショルダーホルスタの執銃だけ外した、ドレスシャツとスラックスの上に愛用の黒いエプロンを着けて言った。 「ご飯ができるまで、先にリフレッシャ浴びてきていいよ」 「ん、そうするかな」  自動消火の灰皿に煙草を捨てるとシドは言葉に甘えてバスルームに向かう。脱いだ服をダートレス――オートクリーニングマシン――に放り込んでスイッチを押し、バスルームでリフレッシャを浴びた。  洗浄液で全身を洗い熱い湯で泡を流してさっぱりする。ドライモードで全身を乾かしバスルームから出て部屋着のスウェットを着た。
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