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第31話
「ほら、しっかり歩けって」
「歩いてますよーだ」
「飲み過ぎだ、馬鹿」
「飲み過ぎでも、バカでもないもん」
そうハイファ本人は主張するが顔は紅潮して明らかに飲み過ぎだった。早々に部屋に放り込むことにシドは決める。エディトからキィロックコードは貰っていた。
あれから夕食もルースと一緒に摂り、十二階にあるルースの居室でも延々と飲みながらチェス大会を続けていたのだ。シドも熱中しすぎたあまりハイファが酔っていることに気付くのが遅かった。今はもう二十二時近い。
肩を貸すまでは行かないものの、腕を取ってシドは十七階の廊下をぐいぐい歩く。割り当てられたD3ルームはすぐに見つかる。同じドアが間隔も狭く並んでいて内部は相当狭いようだとシドは察した。だがハイファはそこをふらふらと通り過ぎる。
「どうした?」
「ん、お手洗い行く」
トイレでシドも用を足す。ハイファはスラックスの前をごそごそやっている。
「今度は何だ?」
「んー、見当たらない……」
「んなワケあるか、よく探せ!」
改めてD3ルームに戻って開けてみるとやはり中は狭かった。二段ベッドと洗面台があるきりでフリースペースは殆どない。だが文句は言えない。銃を取り上げられなかっただけマシ、その点エディトたちは所詮、素人だった。
二人だけなら脱出は容易だ。
ベッドの上に毛布と枕が置いてある。ハイファをベッドの下段に座らせ上着を脱がせてホルスタ付きショルダーバンドを外させると、ドレスシャツのボタンを外す。
「それくらいできるよ」
抵抗するのでシドが服から手を放すと案外スムーズにハイファはシドがショルダーバッグから出したドレスシャツと下着に着替えて横になった。溜息をついたシドは自分も着替えてから更にコットンパンツを身に着ける。二人分の脱いだ衣類を抱えた。
「何処行くの?」
「リフレッシャとダートレス。向こうに共用のがあった」
「僕も行く」
「お前は少し醒めてからだ。帰りに飲みもん買ってきてやるから、大人しく寝てろ」
「僕も行くってば」
「まだ夜も早いから大丈夫だ、お前が行くときは付き合ってやるから」
言い置いてシドは部屋を出た。ロックしリフレッシャに向かう。幾つもあるリフレッシャのブースに入る前に隣室のダートレスに洗濯物を押し込みスイッチを入れた。
立つことしかできない狭い脱衣所で服を脱ぎリフレッシャを浴びてさっぱりする。ドライモードで全身乾かすと服を着てダートレスを見に行った。まだ残り五分。
また戻ってくるのも手間だと思い、廊下の途中にあった休憩スペースで煙草を吸って待つことにした。すると五千人からの人員を収容している筈の建物なのに催眠作用のせいだろうか、驚くほど人の往き来が少なくて妙な底冷えのようなものを感じた。
この静けさは『牧場』の夜だからかと思いかけ、騙され連れて来られたコロニー・ニオルドの人々は家畜ではないのだと考え直す。これでは自分までがエディトたちの教義に毒されているようだ。
一人と数えずあくまで『一体』と言い続けていた女医自身の躰こそルースに移植しやがれ、メチャメチャ元気になるぜと口の中で呟いた。
◇◇◇◇
一方ハイファは二段ベッドの天井、上段の底板をぼんやりと眺めていた。
(酔ってないのに……僕の言うことなんて全然聞かないんだから。シドのバカ)
その他様々な罵倒語を思い浮かべながら仰臥していると、ふと眠気が襲う。リフレッシャは起きてからにして眠ろうかと目を瞑った時、ドアロックの解ける音がした。
「シド、早かったね……んっ、んんぅ」
急にのしかかられて唇を塞がれハイファは藻掻いた。
シド……じゃない!
「こんばんは、刑事さん」
「エディト……って、えっ、何で僕!?」
白衣のエディト=メーダーはライトパネルの下で艶然と微笑んだ。ハイファは唖然とする。この手の策に引っ掛かるのは自分でなくシドの役回りだと勝手に決めつけていたのだ。
「キィロックは……」
「流したのはわたしよ」
「うーん、問題だなあ」
と、のしかかられたままでハイファは唸り、
「それにしても会って半日の男の部屋に侵入とは、はしたないですよ」
「だって貴方たちはいつ献体になるか分からないもの」
「理由になってませんって」
「シドもいいけれど貴方わたしの好み、護ってあげたくなる。これでいいかしら?」
「良くありません。大体、僕はシドとしか――」
「あら、貴方たちってそうだったの?」
大仰に驚いて見せる女医にうんざりして棒読み口調になる。
「精神科医の観察眼も大したことはありませんね」
「認めるわ。でも強気の発言もいいけれど、私の言葉ひとつで貴方たちは明日から離ればなれよ。内臓や眼球とも離ればなれかも知れないわ。それでもいいの?」
「脅しで愛は得られませんよ」
「今だけ勃てば問題ないわよ」
「直截的ですね。でも貴女に恥をかかせたくありませんので止した方が、んっ!」
そのときオートドアが開いた。瞬間、立ち止まったシドは室内に入ると二段ベッドの上段に洗濯物を置き、踵を返すと黙ってすたすたとオートドアから出て行った。
◇◇◇◇
十五分後、休憩スペースで煙草を吸うシドにハイファはそっと近づいた。
「失礼なことを言うようだが、早かったじゃねぇか」
「ごめん。納得してお帰り頂くまで時間が掛かっちゃった」
「十五分で納得させるのもそれはそれで大したもんだな」
「嫌味はいいよ。……僕はシドとしか、だめだから」
「ふん。何がいい?」
咥え煙草でオートドリンカにリモータを翳したシドにコーヒーを頼む。シドは保冷ボトルを開封しひとくち飲んでハイファに手渡す。受け取ってハイファは気付いた。
「シド、口紅ついてる」
「お前もだぞ。行きがけの駄賃みたいにキスして行きやがった」
「本当にごめんね」
「お前が謝る筋じゃねぇと思うがな」
その気になった肉食系の女性がいかに手強いか、その気持ちを男として共有してくれたらシドはそれで良かった。本当にハイファが食われていないのは分かっている。
「それ飲んだらリフレッシャだろ」
「付き合ってくれるの?」
「こんな所でお前を独りにできるか。敵はオンナだけに限らねぇぞ」
「ありがと。じゃあ急いで浴びてくる」
「ゆっくりでいいぞ、磨いてこい」
コーヒーを飲むハイファの後ろに回って、シドはハイファの髪を縛っている革紐を丁寧に解いた。クセのない明るい金髪がサラリと流れる。
ハイファがリフレッシャを浴びている間、シドはブースの前で見張り番をし、これも共用の洗面所でルージュを洗い落として部屋に戻った。
戻ってロックするなりシドは細い躰を抱き竦め、薄い肩を壁に押し付けた。立ったまま幾度も唇に、露出した華奢な首筋にキスをする。
片脚でハイファの膝を割った。
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