第33話

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第33話

 翌朝二人が目覚めて十二階の食堂にルースの姿を求めると、彼は窓際の席でトレイも置かずにどんよりと曇った窓外を眺めていた。  薄い色の金髪が儚げなまでに思え、二人が声を掛けるのをためらっていると灰青色の目がこちらを向く。 「あ、おはよう、ルース」 「おはよう。僕に適合する献体が見つかったそうだ」 「えっ、じゃあ手術?」 「三日後の午後に。……献体は君たちと一緒に来たエラリー=ナッシュだよ」  食事もそこそこに狭い部屋に駆け戻り、ハイファは別室にダイレクトワープ通信した。全てをありのままに送信して三十分じっと待ったが返答はなかった。 「任務完了の引き上げ命令も来ない……どうしよう?」 「どうしようもねぇだろ。知る必要のねぇことを本人に告げたド阿呆は蹴り飛ばしてやりてぇが、知った以上はルースの問題だからな」 「そんな、冷たい……」 「だったらどうしろって? 洗脳されて〝あっち側〟に行っちまったエラリーを連れて逃げるってのか? ここまでの事態になるとは想定外だったがエラリーをある意味『荷物』だと俺たちは思ってただろ。荷物が家畜になっただけだ、チクショウ!」  珍しく感情的な言葉を吐いたシドの剣幕にハイファは黙り込む。 「……すまん。せめてエラリーに会いに行くか?」 「ううん、いい」  あの礼儀正しい男の茶色い瞳が曇ってしまったところなど見たくはなかった。  誰もの心模様を映したように窓に雨粒が当たり出す。 「ウェザコントローラ情報、入るか?」 「宙港の観光案内端末で入れたから。雨季なんだって。暫くの間降らせるみたい」 「そうか。あとでまた師匠の所に行くんだろ」 「うん。でも……どうしようかな」  ルースとエラリーの両者を知る自分はどんな顔をしたらいいのか、ハイファは戸惑っていた。そんな重たい気分をバディの力強い声が吹き飛ばしてくれる。 「昨日、約束してたじゃねぇか。行く前に一階の売店で何か買って行こうぜ。ちょっとは固形物を食わせねぇと、あれはだめだろ」 「そっか、そうだよね」  いかにもシドらしい発言にハイファもようやく笑みを浮かべた。  午前中は治療に充てられていると聞いている。ランチ後に買い物をしてルースの部屋に押しかけようとハイファは決めた。食べやすく摘まめるカロリーの高いものをおやつに選ぼう。  そう思えば絶好のチェス日和だ。ハイファはベッドに腰掛けシドの肩に凭れた。 ◇◇◇◇ 「今日こそは『目指せ、一勝!』だからね」 「二人掛かりなら何とかなると思って三日目なんだよな。天才はダテじゃねぇか」  ルースが明日に移植手術を控えた日だった。  相変わらず雨模様だったが二人は燃えて十二階に向かう。ルースはいつもと何ら変わらず微笑み二人を迎えた。そしてルースのアドヴァイスを受けつつチェス対戦だ。 「くーっ、序盤はいい線いってるのに、いつの間にか引っ繰り返されてんだよな。全くミラクルだぜ。……おい、ルース。食いながら飲めよ」 「だからって、スコッチのつまみがクッキーとは」 「チョコレートもあるじゃねぇか。カロリー高いモン選んだんだからなハイファが」 「ルース、僕より体重軽いんじゃないの?」 「はいはい、食べる。食べますよ」  もそもそとルースが焼き菓子を頬張っている間に、シドとハイファがチェス盤に再び駒を並べ始める。子供が新しい遊びに夢中になっているのと同じだ。 「更にハンデ、ルースは一生懸命食べながらやること。いいね?」 「何なら目を瞑ってやってもいいよ」 「うわ、すんごい自信。……って、何これ?」  ハイファは室内を見回し、同時に独り掛けソファに座っていたルースグラスを持つ手を止める。向かいの二人掛けソファにハイファと並んで腰掛けたシドが、天井のライトパネルを見上げた。細かく微かに部屋が振動しているようだった。 「地震じゃねぇのか?」 「ううん、違うよ。これ、壁材の中の音声素子が共振してるみたい」 「って、どういう――」  いきなりそれは始まった。 《私はバルドル社会民主同盟代表・ワレリー=カラエフだ》  ぶぅんと音声素子を振るわせ、声がこの部屋だけでなく建物全館に響き渡る。ただごとでない雰囲気に身構えながらハイファが小さく叫んだ。 「強電バラージ放送だ! 高出力であらゆる音声素子まで乗っ取ってるよ」 「ワレリー=カラエフとは野党第一党党首だよ。声の主に間違いないね」  そうルースが静かに解説する。 《現在の腐敗したブルーブラッド社会を打ち砕き新たな民主政府を建設するため、我々は同志と共に立ち上がった。我々革命軍はブルーブラッドと自ら名乗る者たちが、いかに悪辣なる罪を犯したかの証拠をテラ連邦議会に提出する用意がある――》 「クーデター……じゃあTV局か何処かの放送施設が乗っ取られた可能性が高い」 「クーデター? まさか……」  さすがのルースも疑わしげな目をハイファに向けた。 《――ブルーブラッドは生きた人間の内臓を貪る悪鬼である。五千名以上もの人々を謀ったのみならず、その人命を究極の形で軽視している。生体移植の材料とし、それをブルーブラッドだけの特権として秘匿しているのだ。あまつさえ五千名以上を収容した施設の呼称を『牧場』とし、彼らを家畜扱いする姿勢は人間として許されざる行為であり――》 「全部洩れちゃってるみたいだね」 「別室がリークしたのか?」  鋭い目をして訊いたシドにハイファは頷いた。 「分からないけど、否定できないよ」 「ふうん。でもこの演説さ、聞いてりゃ至極真っ当なんだが……生体移植を独り占めしたブルーブラッドへの妬みみたいなモンを感じねぇか?」 「そりゃあ妬むよ、命に関わることだもん。その感情を利用したのかも知れないし」  気付くと灰青色の瞳がじっと二人を見つめていた。 「そうか、別室……それで腑に落ちたよ。きみたちは別室員なんだね?」  テラ本星の軍施設に勤めていたルースである。別室の存在は当然知っている筈だ。  だがこのルースの言葉に猛然と反発した男が約一名いた。 「ちょっと待った! その科白は聞き捨てならねぇな、ルース。ハイファが別室員であって俺は違う。別室長ユアン=ガードナー、あの冷血オッサンの下で誰が働くもんか。相棒ながらハイファの気が知れねぇよ全く。俺は本当に太陽系広域惑星警察の刑事だ」 「そこまで主張しなくても信じるけれど、なら、何故別室と関わっているんだい?」 「……時々パートタイマーとして借り出されるんだ」  ぷっとルースが吹く。 「あそこがそんなに柔軟な機関とは思わなかったよ。で、この顛末はどうなるのかな?」  二人で顔を見合わせたのちにハイファが口を開いた。 「実際、事実を知らせたのは僕ら。でもこの展開は知らされてなかった。だから悪いけど予想だけなら。……革命軍がブルーブラッド社会を瓦解させた頃を見計らって、テラ連邦議会が直轄のテラ連邦軍を投入。クーデター派を平定・一掃するだろうね」 「真っ先にブルーブラッドが血祭りに上げられるってか?」 「完全解体するかは僕にも分からない。ブルーブラッドは一応長きに渡って平和にこの星系を治めてきたし。でも今回のコロニー・ニオルド集団誘拐のツケは別室なら払わせると思う。人間一人の命をそれ以上にも以下にも捉えないのが室長だから」 「ふん、あのえげつない別室長ユアン=ガードナーの妖怪野郎は、そもそも人を人とも思ってねぇぞ。それこそチェスの駒だろ、紙で出来てて水に溶けるヤツ」  そのシドの怨嗟の言葉にまたルースは吹いた。噂は聞いていたらしい。
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