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第35話
「なっ、どういうことだよ!」
てっきり帰還命令だろうと気軽に内容を見たシドは煙草を灰皿に叩きつけた。
「『一人の命をそれ以上にも以下にも捉えない』のが別室長じゃねぇのかよっ!?」
「僕に言われても……テラ連邦議会の意向なんじゃないのかな?」
「この状況で俺たちにエラリーを見殺しにしろっていうのか?」
「そんな……エディトに会おうよ。どうなってるのか話だけでも聞かなくちゃ」
リモータ発振するとエディトは十二階の診察室にいた。何処までもついてくる兵士二名は無視、急いで二人はエレベーターに乗る。
診察中だった患者が出てくるのをイライラと待ち、エディトの部屋に飛び込んだ。
「どうしたのよ、いきりたって」
細巻きを咥え、紫煙を吐き出した女医の前に立ったままシドが訊いた。
「ルースの手術は中止じゃねぇのか?」
監視の兵士らはドアの外、聞かれる心配はない。
「上は予定を変えるとは言ってきてないわ」
「兵士に見つかるぜ?」
それに対処するのが自分たちに与えられた任務と知りつつ、シドはなおも訊く。
「ここは元々病院なのよ。通院患者も入院患者も沢山いるわ。一日に二人くらい手術したっておかしくない。その片方が手術に失敗して死ぬのもね」
「ブルーブラッド社会は瓦解した。なのにその意思である手術は敢行するのか?」
女医は『仕方ない』といった風に溜息をついた。
「ブルーブラッドじゃないわ。ここにきてクーデター派首謀者のバルドル社会民主同盟代表・ワレリー=カラエフが、のちに噛んで来るであろうテラ連邦議会へのワイルドカードとしてルース=ワイアット博士を残すよう通達してきたのよ」
「そんなアンビヴァレントな命令をするなんて……」
「それがわたしたち集団誘拐に関わった者の罪を軽減する条件。互いに弱みを握り合うことで、互いの口は固くなるわ。……まあ、座りなさい。コーヒーでもどう?」
二人は椅子に腰掛け、紙コップを受け取る。
「それを何故、僕たちにバラしたのかな?」
「さあ、何故かしら。私も断罪される身、疲れたのかも知れないわ」
「ルース自身は知ってるんですか?」
「いいえ。午後三時の手術に合わせて、意識を落とす薬を入れる予定よ」
「エラリー=ナッシュはどうなんだ?」
「収拾がつかなくなるのは双方望んでいないわ。だから混乱を避けて全員まだ催眠は解いていない。神と一体化し、魂の自由を得る。そう思い込んでるわよ」
リモータを見ると十時過ぎで、シドとハイファはまだかなり熱いコーヒーを一気飲みするとエディトの部屋を出た。約束の見舞いに行かなければならない。
監視を引き連れ十三階への階段を上りながらシドはハイファをつつく。
「どうするんだよ?」
「だから僕に訊かれても……ただ、ルースには言えないね」
「ったり前だろ」
これこそ知らなくていいことだ、告げられはしない……だが本当にそうだろうか?
疑問を呑み込むことができぬままシドはハイファと共に案内図を見て透析ルームを探し出す。オートドアはセンサ感知でスムーズに開いた。そこはベッドが十も並んでいたが、塞がっているのは窓際とその隣のふたつだけでルースはすぐに見つかる。
窓際のベッドでルースは腕にチューブを二本刺し、リクライニングのベッドを半ば起こして凭れていた。身動きならないだろうが起きてはいて声をかけてくる。
「やあ、来てくれたのかい」
「おう。……これが透析か?」
「そう。シャント、バスキュラーアクセスともいうけれど腕の静脈と動脈を繋いである。血管を膨らませたそこから血液を送り出して、そこの機械に通すと老廃物が漉し取られて綺麗になる。本来ならば腎臓がする仕事をこれに代用させてるんだよ」
「へえ。どのくらいかかるんだ?」
「三十分程度かな。昔はもっと時間がかかったらしいけれどね」
気付くと隣のベッドの十二歳前後の少年が物珍しそうに二人を見上げていた。
「ああ、透析仲間だよ。ブルーブラッドでね、心臓と腎臓が悪くて本当なら移植待ちだった。僕と白血球型、HLA型まで一緒でね。ノエル、自己紹介は?」
「ノエル=ヘニングです」
「シド=ワカミヤとハイファス=ファサルートだ、宜しくな」
赤毛の少年は、はにかんだ笑みを洩らす。
「おじさんたちは元気そうなのに、何でここにいるの?」
おじさん扱いされた二人は一瞬、ぐっと詰まる。
「お兄さんが無理ならせめてシドとハイファスって呼んでよね。失礼しちゃう」
やってきた看護師も一緒になって笑った。看護師はルースとノエルの腕の管を外すと処置をし、今度は無針タイプ、浸透圧式の点滴をそれぞれにセットして消える。
「お兄さんたちはルースの友達でお見舞いだよ」
「ふうん。……ねえ、外の戦争はどうなってるの?」
「戦争じゃなくてクーデターだが、心配ねぇさ。何日かすれば元通りだ」
「そう。なら良かった」
安請け合いに大きく頷かれ複雑な気もしたが、幾らブルーブラッドとはいえクーデター派も病気の子供まで標的にはするまい。
ノエルにせがまれてテラ本星や刑事の仕事、過去の任務のことなどを二人が面白おかしく話しているうちに約一時間の点滴は終わった。
「僕も大人になったら惑星警察の刑事になろうかな」
「そうか。ま、頑張れよな、後輩」
笑顔で大きく頷いたノエルをつれ、二人とルースは十二階に降りた。四人で混み合う前の食堂に寄って昼食を摂り部屋に戻る。ノエルはルースの隣の部屋だった。
無策の二人は焦りを感じながらもルースの部屋で、またチェスの必勝法を伝授される。そうしつつも十四時過ぎになると、二人は気もそぞろになった。
とうとうルースが溜息をついてシドとハイファを交互に睨んだ。
「こら、生徒。人がウィスキーも我慢してるのに、何だってそう上の空なんだい?」
「いや、別に……何だ?」
部屋のチャイムが鳴った。ルースがリモータ操作しオートドアを開ける。医師らしき中年白衣の男が看護師を連れて入ってきた。看護師は銀色のワゴンを押している。
「ゼノフォン先生。今日の治療は終わりましたが?」
「追加の点滴だ。一剤加えるのを上の看護師が忘れていたらしい。ここで構わないから、さあ、腕を出したまえ」
素早くハイファと視線を交わしたシドは振り向いた。ルースと目が合う。僅かに不審そうな表情でルースがシドを見返した。ポーカーフェイスの黒い目から何かを読み取ろうとするように、灰青色の瞳は強い色を宿していた。シドは迷う。
迷ったが確信的に思った。
この男なら全てを知りたいに違いない。知って戦うに違いない――。
シドが口を開こうとしたそのとき、部屋が僅かな振動に包まれた。
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